表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/121

044 バブル崩壊の話

 吉兆院峰男(みねお)氏が俺の前に座ると、タイミング良くお茶が運ばれてきた。

 お手伝いさんが丁寧なしぐさで、お茶を置いていく。


 時代が進むと、目の前にペットボトルのお茶をポンッと置かれることが多くなる。

 人を雇うにも金がかかるのは分かる。だが俺は、こうして手で入れてくれた方が好きだ。


「いただきます」

 ゆっくりとお茶をすする。交渉や商談に入る前のわずかな時間。久しぶりに昔を思い出してきた。


 俺は今日、話す内容をいろいろ考えてきた。

 峰男氏が無能な経営者とは思えない。


 俺がリミスの社長に話したことなど、言われなくても時が来れば分かるだろう。

 もしアドバイスできるとしたら、早めに海外展開を勧めるくらいだ。


 このあと日本は、構造的な不況に陥る。だが、海外はその限りではない。

 とくに途上国のGDPは右肩上がりを続ける。


 ゼネコンが生き残る道は海外受注にあると、俺は思っている。

 それから、海外の安い労働力に頼りすぎないことも重要だ。


 外国人労働者の賃金は、これからどんどん上がっていく。

 そして彼らは、仕事を覚えても数年でいなくなる。


 技術を母国に持ち帰るのだ。

 まあ、その辺の話は、いますぐというものでもない。


 それに吉兆院建設の場合、リミスと違って死角はない。

 俺が入札で争っていた頃ですら巨大なゼネコンだったのだ。


 ゆえに当たり障りのない会話から進めようとしたところ……。

「日本経済は鈍化するかもしれんと思っとったところに、リミスの社長から話を聞いてな。おぬしと話をしてみたかったのじゃ」


 俺は目を見張った。

 昨年秋、正確には中学三年の進路面談の日に、俺は『夢』から醒めた。


 あとで調べたらちょうどその日、日本の景気動向指数(CI)はピークを迎えた。だが、これからの三年間、景気は下降し続ける。

 バブルの崩壊だ。


 地価や住宅価格が下落し、銀行ですら破綻する時代が到来する。

 ゼネコンも例外ではない。


 大規模なリストラを敢行する代わりに銀行から一部債務の免除を受けるなど、冬の時代に突入する。

 長年ともに現場で出ていた社員を左遷させ、自ら辞職するよう、半ば強制せざるを得なくなる。


 そうしないと、国から公的資金を受けられないのだから、企業も本気だ。

 いまは1991年の六月で、バブルの崩壊と言われるのは今年の十二月。


 だが目の前の老人はすでに日本経済の先行きが暗いことを見通していた。

 何を根拠にそう考えたのか……。


「金融引き締めですか?」

「……ほう?」


「利上げですよね。プラザ合意の円高から始まった過剰な投資が、1989年の消費税導入、先年行われた利上げで経済が一気に冷えきっ……」

「ちょっと二人とも、ムズカシすぎるんだけど、何の話?」


 いきなり蚊帳の外におかれた吉兆院がむくれた。

「この前、テーマパークの受注に成功したと言ったじゃろ?」


「言ってたね」

「完成はまだまだ先じゃが、それができる頃には果たして、人々に余暇を楽しむ余裕があるのかと考えての」


「……?」

「お(かみ)は、『お前たちは金を使いすぎだから、財布のヒモを締めよ』と言うてるんじゃよ」


「へえ……なんで?」

「借金して土地やモノを買いまくるから、釘を刺したわけじゃ」


 吉兆院は、あまり分かっていないらしく、首を傾げている。

 1986年から始まったバブル景気はおよそ五年――1991年の末で収束する。


 日本政府による強固な金融引き締め政策によって、経済が一気に冷え込むのだ。

 これまで銀行は、企業が「いらない」と言っても強引にお金を貸した。


 その金で投資、もしくは投機しろというのだ。

 企業はまったく畑違いと認識しながらも、土地やビル、マンションなどを買いあさり、他国の国債を買いまくった。


 だが、政策は一転。

 政府が金利上昇を決定したことで、メガバンクが相次いでそれに追従する。


 何しろ日銀から高い金利を払って資金を融通してもらったのだ。

 自分たちだって同じ事をする。貸し出すときの金利を引き上げた。


 銀行の金利が高くなれば、企業も投資を控えるようになる。

 これまで買いあさっていた不動産価格は一転して下落するようになる。


 つまりこれから、借金してまで買った不動産の価格がスルスルと下がっていく。

 だったら高いうちに売ってしまえばいいと思うだろう。


 売ろうにも買い手がいない。

 もしくは、残った借金より安い価格でしか売れなくなってしまう。


 こうして日本中に不良債権が積み上がっていく。

 それがこれからやってくるのだ。


「政府も思い切りが良すぎますね」

 タイミングが悪かったといえばそうだが、悪いことが重なり過ぎた。


 このときの後遺症か、このあと日本政府は、何十年にもわたって利上げを躊躇うようになる。

 そのため、延々とデフレが続くのだが……。


「そうじゃな……まったく、九星会(きゅうせいかい)にも困ったものだ」

「えっ!?」


 いま、何と言った?


「ん? 自由党(じゆうとう)大勝に貢献した団体がおってな。……まあ、世間では知られておらんが、現政権には、それの意向が反映されているのじゃよ」


 九星会は、亜門(あもん)清秋(せいしゅう)の……あの団体のことを『夢』で調べたときは、ただの政治団体と出ていた。


 T大卒業後、亜門は官僚になったため、俺は接点を持たなかった。

 考えてみれば、官僚は政治家を動かす。


 とくに初当選した議員などは、官僚との『勉強会』で政治の仕組みを学ぶとさえ言われている。

 大臣ですら、官僚の用意した文章を国会で読み上げるほどだ。


 決定権や認可権を持つ大臣は当然偉いが、そんな彼らを動かす存在こそが官僚なのだ。

 政治家が官僚と喧嘩したら、官僚に任せていた仕事を全部自分でしなければならなくなる。


 それが分かっているから政治家は、官僚と持ちつ持たれつの関係を続けていく。

「九星会が消費税導入や、利上げを推進したんですか?」


「噂では……な。真実は永田町(ながたちょう)の中にあるから、儂にも分からん」

「そうですか……」


 亜門一族の支配する九星会が「失われた十年」と言われるあの時代を引き起こした張本人の可能性があるようだ。

 なぜか背筋がブルッと震えた。



プラザ合意(1985年)があって、1986年からバブル景気と言われています。

同じく、金融緩和転換(1989年)と総量規制(1990年)で、1991年にバブルが終わったとされます。


政策転換をした翌年に動きがあったんだなとイメージしてください。

国民がそれを実感するのは、さらに1~2年はあとだと思います。


バブル当時、国民の多くが浮かれていたと書くと「馬鹿だなぁ、使わないで貯金すればよかったのに」と思う人がいると思います。

当時、毎年4~5%の経済成長をしていました。景気がいいので、貯金するという発想はあまり出てきません。


1億円を現金で持っていたとします。

翌年、日本全体が5%の経済成長をしますので、500万円分、資産が目減りしたことになります。(暴論ですが、そう思ってください)

翌年、翌々年も同じ比率で目減りします。


バブルが10年、15年続いたら、1億円持っていても、老後が心配になってきます。

というわけで、資産運用です。


この時期、資産運用と言ったら土地です。

土地の値段は「ヤバい」くらい上がっています。

だいたい5年で3倍から5倍になりました。


手持ちの1億円で2億円の土地建物を買います。(差額の1億円は買った土地を担保にした借金です)

翌年は、4億円の資産に早変わりです。翌々年は8億円になります。

建物を人に貸せば、賃料が入りますから、利益はさらに増えます。

日本中がそんな状態でした。


銀行は「資産1億円ですか。2億円貸すので、3億円の建物を買いましょう。担保はその買った土地でいいです」と言って、強引にお金を貸します。

日本中の銀行がそんな感じでした。


銀行も強気、投資家も地主も強気で、バブル期は、何をやっても損することはなかったわけです。

そんな状態で「なんで土地を買うの? 現金を貯金すればいいのに。馬鹿だな」と言っても、意味はなかったと思います。


これを現代に置き換えると「なんで貯金するの? 借金して土地買えばいいのに、馬鹿だな」と言われるのと同じかもしれません。


いま、資産の何倍の借金を背負って投資しろと言われたら、どう反応しますか?

「いまは不景気だから、やらない」と言うと思います。

バブル期は「いまは好景気だから、投資する」のが普通だったのです。


バブルがはじけて、土地の値段が下がります。数億あった資産価値が数千万円になります。

担保割れをおこすわけです。日本中で担保割れがおきました。

銀行も同じです。生き残るために、回収しやすそうなところを狙って、回収をはじめました。

個人投資家や地主、中小企業が狙われました。


彼らをすっからかんにさせました。

それでも足りません。大企業へ数千億円も貸し付けていたからです。


そのため、『優良な借り手』である中小企業が狙われました。


ちゃんと借金を返済していて、業績も好調、これから先10年でも20年でも返し続けられるような企業に「一括返済」を迫ったのです。『貸し剥がし』と言います。


銀行が生き残るために、債務超過に陥っていない真面目な企業が倒産の憂き目にあいました。

そして銀行は「お金? 貸さないよ」と守りに入ります。

一時的にお金を必要とした企業にも貸さなくなり(審査を厳しくして)、設備投資をできなくさせました。


重機(1台1億円)や工業機械(1台数千万円)、ダンプカー(1台1000万円)など、すぐに購入する必要があっても銀行がお金を貸してくれないので、買えません。

設備投資ができないので、企業は規模を縮小していきます。


こうして日本の不況は続いていったわけです。


最近はバブルを経験していない人たちは増えてきました。

あの熱狂した時代、日本中がアゲアゲだった時代を生きた人たちは、主人公ではないですが、何かに書き残しておくのもいいかもしれないと思ったりします。


私の見聞きした、または体験したバブルの話は、それこそ末期の一瞬だけでしたが、それでも書いたら「本当なの!?」と驚くレベルなんだろうなと思います。

みなさんは、どんな体験をされましたか?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] その頃コンビニでバイトしてたけど、あの時代は、そこら辺のジジイでも財布に万札いっぱいだったわ ジジイが店内に入るやいなや、棚から商品を床に落としながら店の中まわって、一周したあとレジに来て…
2024/02/18 16:18 退会済み
管理
[一言] 八九年に転職したホームセンターの新店舗には何故かヴィトンやらグッチやらのブランド品が陳列されていました。 まぁ「ホームセンターでブランド品を買った」では、ちと外聞が…であまり売れませんでした…
[一言] 夫は就職後数年でバブル期を迎えました。アパレル業界だったこともあり、勉強もかねて、社員旅行はヨーロッパでした。中小企業でしたけど。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ