表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/121

030 吉兆院がうるさい

「なあ、今度は(うち)に来てくれよ。いいだろ。おれのじいちゃんと会ってほしいんだ」

 先ほどから吉兆院(きっちょういん)がうるさい。


「おまえな……」

「名出さんの親父さんと会ったんだろ。なら次は、おれの番じゃん」


「…………」

 とにかく吉兆院がうるさい。


 先日、リミスの事務所を訪問して名出さんのお父さんと話をした。

 そのことを知った吉兆院が、今度は自分の番だと譲らないのだ。順番って、俺は家庭訪問の教師か?


 吉兆院建設は大きい。

 この当時ですら、日本全国でさまざまな公共事業を行っている。


 道路などのインフラ整備、企業の本社ビル建設、地方で工場の設置、山を切り崩してのリゾート開発やニュータウン事業など、手がけている案件は多く、その種類も多岐にわたる。


 リミスとは比べものにならない規模だ。


 荘和(そうわ)コーポレーション時代、俺はよく吉兆院建設と入札で争った。

 その時点でさえ、荘和コーポレーションよりも大きな会社だった。


 つまり、いまの時点で不安要素はない。

 もちろん問題も抱えているが、それは経済の動きとは関係ない。


 このあと吉兆院峰男(みねお)氏が社長の座を息子に譲る。

 だが、社長となった一鶴(いっかく)氏が亡くなり、跡目を巡って企業内部でゴタゴタが発生する。


 内部抗争を収めるため、先代が社長に復帰するのだが、その過程で吉兆院建設が抱える問題が表面化するようになる。

 優馬(ゆうま)が社長となる頃には、無視できない多くの問題が「負の遺産」として残っていることだろう。


 優馬は社長就任直後から試練の道を歩むはずだ。

 それは分かる……分かるのだが、なぜ俺が優馬の祖父と会わなければならないのか。


 もし会うとしても10年後でも間に合うと思う。

「頼むよ」


 たしかに『夢』の中で俺は、吉兆院建設に助けられた。

 会社に裏切られ、周りがどんどんと離れていく中で、リミスとともに助けてくれたのだ。


 ハッキリ言って俺は、吉兆院建設に多大な恩がある。

 恨まれても仕方ないのに、助けてくれたのだから、その恩の重さは計り知れない。


「……分かった。会うよ」

「やったぁ!」


「ただし、おまえの爺さんが『うん』と言えばだからな。無理に会う必要はない」

「分かった。じいちゃんにそう言っとく」


 なぜか吉兆院は、とても上機嫌だった。




 何事もなく、数日が過ぎた。

 五月も中旬となり、暖かい日が続く。


 先日の通り魔事件だが、逮捕されてもニュースにならなかった。

 少なくとも、俺がチェックしている新聞には影も形もない。


(連続事件の犯人じゃなかったのか……?)


 もしそうならば、警察官相手に思わせぶりに伝えた俺が馬鹿みたいだ。

 そんなことを思っていたら……。


『――次のニュースです。先日、女子大生を包丁で傷つけ、逮捕された工藤(くどう)輝美(てるみ)容疑者ですが、彼女が所持していた包丁と当日着用していた黒のロングコートから、複数人の血痕が検出されました。その後、警察が容疑者を厳しく追及した結果、二件の殺人を含む、複数の犯行をほのめかす供述をしていることが分かりました。工藤容疑者は、包丁で女性ばかりを狙い……』


 あの事件が、朝のテレビで大きく扱われた。

 どうやら杞憂だったらしく、『夢』の中でおきた未解決連続通り魔事件は、これで解決しそうな雰囲気だ。


「おにいちゃん、怖いね」

「……ああ」


 妹が食パンにピーナッツバターをたっぷり塗りながら「怖い、怖い」と連呼している。

 鼻唄をうたいながら手も止まっていないので、あまり説得力はない。


「春は変質者が多いからな、冬美(ふゆみ)も気をつけた方がいいぞ」

「通り魔だよ? どう気をつければいいのよ」


「暗い道を一人で歩かない。声をかけられてもついてかない。何かあったらすぐに大声を出して逃げる。それから……」

「分かったから。それにわたしは、これがあるから大丈夫!」


 妹が取り出したのは、防犯ブザーの『まもるくん』だ。

 中学校で、全校生徒に配られるやつだ。ちなみに俺も貰った。


「おまえそれ、ヒモ抜いてみな」

「えっ? どうして? うるさく鳴るよ」


「責任は俺が取る。練習だと思って、やってごらん」

「どうなっても知らないからね……えいっ!」


 ――ぴぃろろろ


 電話の着信程度の音量がスピーカーから流れた。

「……あれれ?」


「それは、入学時に学校から配布されたやつだろ? 安物でな、一年ほどで電池切れをおこすんだ。新しい電池に取り替えた方がいいぞ」

「え~、知らなかったよ」


「俺たちの代だと、結構イタズラで鳴らす奴が多くて、みんな知ってるんだけどな」


 学校へ納入する業者をどうやって選定するのか。

 それは入札で、一番値段の安いところが選ばれる。


 学校側はたとえ品質に問題があると思っていても、それを理由に業者を外せない。

 それができてしまうと、理由さえつくれば、恣意(しい)的に業者が排除できるからだ。


 いま冬美が持っている防犯ブザーは、最も安く価格を提示した業者の製品であり、おそらくだが、五年分の納入とかそういった契約だったのだろう。


 俺がもらった『まもるくん』と、色も形もまったく一緒だ。

 冬美が貰ったのは一年前だが、製造はもっと古いのかもしれない。


 何にせよそれは、防犯の役目を果たさない防犯ブザーとなり成り果てていた。

「電池入れ替えてくる。それとみんなに教えなきゃっ!」


「それがいいぞ」

 役所や学校の入札は、応募の時点で()ねられるケースもあるが、どうしても一定以下のクオリティの業者が交じってしまう。


 その場で品質が確認できるものはいいが、備蓄品などそうはいかない。

 値段だけで納入業者を選ぶのは本当に危険なのだ。


 しばらくして妹がやってきて「これに合う電池がなかったから、新しいのほしい」と、一緒に防犯ブザーを買いに行くことになった。


 妹と一緒の買い物。『夢』の中の時間を入れたら、何十年ぶりのことだろうか。

 護身用に、「それとは見えない隠し武器でも持っておくか?」と提案したら、「わたしは何と戦うのよ」とジト目で見られた。


 隠し武器で攻撃し、怯んだ隙に防犯ブザーを鳴らしながら逃走すれば、普通は追ってこないと思うのだが。

 それが嫌なら、俺が受けた特殊訓練でも伝授してやろうか。


 夏休みを全部使えば、素人男性を怯ませる攻撃くらい、マスターできるはずだ。

「おにいちゃん、買い物いくよ。ホラ立って!」


「分かったよ。それで中東で役に立つ技があるんだが……」

 俺は妹にせかされながら、立ち上がった。



私が小学生の頃はもう、防犯ブザーの配布がはじまっていました。

ただ、防水処理が甘かったのか、スピーカーの穴から雨水が入ると、結構な確率で電池が駄目になりました。

いまは電池切れ前に知らせてくれるようですね。家の火災報知器もそんな感じなので、進歩したなという印象です。


さて、いよいよ明日『男女比がぶっ壊れた世界の人と人生を交換しました』が発売されます。

Twitterに新キャラ情報と、帯と背表紙の写真を載せています。

書店で探す際の目印にしてください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 提案したとおりに武器を隠し持って技覚えようものなら兄妹揃ってスパイとか殺し屋とか言われるようになるってw
[一言] 低学年の頃の一時期は集団登校していましたが 防犯ブザーの配布という概念は存在しておりませんでした。  あったら確かにイタズラが激しかった事でしょうね。
[気になる点] 兄は妹をどう育てたいのか。 本人は大真面目だろうし、兄妹愛はあるのだろうけど、方向が斜め上ってる。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ