016 社長と対話
俺に絡んできた男は、谷安治といって、二十二歳らしい。
チンピラ風の見た目に違わず、すでにやらかした後らしい。
話を聞くと、前の会社は、酔って喧嘩をして相手に怪我を負わせたことで、クビになったそうな。
まだ執行猶予が残っているらしく、交番だけは勘弁してくれと、土下座せんばかりに謝ってきた。
だがこういう旧来の現場作業員は、会社にとってマイナス。
早く辞めてもらった方がいいと俺が言うと、顔を真っ青にして弁明した。
「違うんだ。これは……その、しゃ、社長に頼まれたんだ! お嬢のイイ人が来るから、少し脅して反応を見ろって。俺は社長に拾ってもらった恩があるから断れなくて……警察沙汰になったら、マジやばいんだ」
「なるほど……最初にガツンとやってしまおうと。そういうわけですね」
「おれは頭が悪いからよく分からねえけど、社長は言い出したら聞かないし、怒るとコエーんだよ」
現場に新人が入ってきたとき、これでもかと脅す監督がいる。
若い者の多くは、現場を舐めているからだ。
夜遅くまで遊び回って、寝不足のまま仕事に来たりすると危ない。
新人教育も兼ねているから、新人を脅すのは一概に悪いとは言えないが、俺はリミスの社員ではない。
「……まあいいでしょう。俺も本気じゃなかったし。では、社長のところへ案内してください」
「はいっ!」
語尾に「よろこんで!」がつきそうな勢いが返ってきた。
「……どうやって手なずけたんだね」
俺の前に座るのは、社長の名出敏弘氏、五十五歳。
「どうしてでしょうね」
俺に因縁をつけてきた谷は、なぜか俺の後ろで直立している。まるで従者だ。
社長は俺への牽制に谷を使った。
入ったばかりの新人だから、言うこと聞くと思ったのだろう。
俺がビビって逃げ出すもよし、そうでなくとも、泣きを入れてくるだろうと思っていたら、なぜか従えてやってきた。
名出社長は湯飲みを持ったまま俺を凝視し、「アチィ!」と飛び上がった。
そしていまに至る。
「……キミが大賀くんかね」
社長は先ほどから、渋面をつくっている。
熱い湯飲みでヤケドしたらしく、しきりに手を吹いている。
「お目にかかれて光栄です、名出社長」
反対に俺は、笑顔でこたえる。
三十年以上のキャリアで培った営業スマイルだ。
「娘が世話になっていると聞いた」
「はい。親しくさせていただいてます」
名出社長はさらに難しい顔をした。
思惑がはずれた。そんな表情が見て取れる。
「単刀直入に言おう。娘は歳を取ってからできた一粒種でな。それはもう、手塩にかけて育ててきたんだ。分かるかね」
「分かるとは言いかねますが、社長のお気持ちは伝わってきます」
「娘が生まれたのは、ちょうど独立した頃だった。好景気だが、大変な時代だったんだ」
「たしか、そのとき惚れていたバーの女性の名を社名に採用したんでしたね」
「……どこでそれを? だれにも言ったことはない。それこそ、妻だって知らないはずだ」
なるほど、この時代ではまだ知られていないのか。
『夢』の中で、俺がリミスについて調べたときにはもう、その情報はインターネットの海の中に存在していた。
「風の噂で、社長が通っていたバーに、そんな源氏名の女性がいたと」
「……そうか」
社長が落ち込んでいる。
奥さんに知られるのが怖いのだろうか。
いや、娘にか。
まあ、社長も忙しい人だろうし、本題に入ろう。
「俺が社長に会いたいと思ったのは、この会社のことです」
「……会社? 娘のことではなく?」
社長が首をコテンと傾けた。強面だが、ちょっとかわいい。
「もちろん会社のことです」
社長は喜色を浮かべつつも困惑しているような、なんとも不思議な顔をした。
「我が社に入りたいというのかね?」
「いえ、少々お話をしたいと思いまして」
「……?」
思惑が外されっぱなしだという顔をしている。裏表がないのか、表情を読みやすい。
リミスは二十年近く前に、この人が興した会社だ。
社長は中学を出て一年間、ヤンチャなことばかりして、何度も警察の世話になった。
そして十六歳になったとき、とある土建会社で働くことになる。
どうやらこの業界が性に合っていたらしく、すぐに仕事を覚え、多くのコネができ、部下もできた。
三十六歳のとき、独立にむけて退社。
一年間会社作りに奔走して、翌年リミスを設立……と同時に奥さんと結婚。
俺がリミスについて調べた情報だと、そうなっている。
名出さんが俺と同級生ということは、リミス設立の二年後に生まれた計算になる。
ちなみに奥さんはいま三十六歳なので、結婚当時はまだ十代だったと思われる。
それはどうでもいい。
バブルがもうすぐはじけ、リミスは方針の転換を迫られる。
リミスという名の船は、不況という名の荒波の中に放り出されるのだ。