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一炊の夢 ~エリートリーマンのやり直し~  作者: もぎ すず
第三部 儚きエリートリーマン
120/121

119 やり残したこと

 1991年9月13日、金曜の夜。

 俺は成田空港から、ロサンゼルス行きの飛行機に乗った。


 到着までのおよそ十時間。

 機内で、これまでのことを思い返すには十分な時間だった。


 すべては、あの日から始まった。

 進路面談のとき、その場の思いつきで担任の出身高校に進学することを決めた。


 もはや俺には、いい高校に進み、いい会社に入って出世するつもりはまったくなかった。

 上司と会社に裏切られ、怒りと虚しさだけが残っていた。


 そんな会社も、もはや『夢』で経験したように大きく発展することはないだろう。

 ヒシマエ重工は詐欺に合うことがなくなり、吉兆院建設、リミス、戸山観光だって荘和コーポレーションに吸収されることはなくなったと思う。


 周囲の人の手助けをし、亡くなるはずだった人を助けただけなのだが。

 自分でもまったく予想できない運命の悪戯で、荘和コーポレーションに復讐を果たしてしまったようだ。


 そして俺は、もうまもなく、もう一つの運命と再会を果たす。




 翌朝七時。

 ロサンゼルス国際空港に降り立った俺は、タクシーを拾ってロサンゼルスにあるリトル東京に向かった。


 およそ二週間前。

 9月1日になると、菱前老人の言葉通り、新聞各社は一斉に巨額銀行詐欺事件の報道をはじめた。


 未遂に終わったとはいえ、巨大産業を狙った詐欺事件。

 しかも契約締結時に一斉逮捕というセンセーショナルな出来事。


 すでにいくつかの国で逮捕者が出ていたことも相まって、報道のネタには事欠かなかったようだ。

 世間の驚きは凄まじく、組織的な犯罪組織が『ジャパンマネー』を狙っているとこぞって報じた。


 それはある意味正しい。

 いまはまだ、ジャパンマネーが世界を席巻している。


 日本企業の時価総額はとんでもない値を叩き出していて、その金が狙われない方がおかしいとさえ言えるのだ。


 そして逮捕者が世界各国に広がっていることで、日本以外の国でも関心が高い。

 事件を事前に見抜いた日本の警察の優秀さがクローズアップされ、絶賛されていた。


 警察に彼らの情報を届けたのは菱前老人であり、ソースは俺が『夢』で見聞きした記事なのだから、警察としては非常にこそばゆいことになっただろう。


 もちろん裁判はこれからだし、取り調べでさらに多くの人間が浮かび上がってくると思う。

 警察には、そこをがんばってもらいたいと思う。


「……ここか」

 見覚えのある店の前まできた。といっても写真だが。


 俺は金土日月の4連休を利用してここまできた。

 今年はちょうど、敬老の日が日曜日となって月曜日が代休。渡米するのにちょうど良かったのだ。


 菱前老人宅で見たのと同じ土産物の雑貨店。

 俺はその中へ足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ」

 俺を日本人と見たのか、若い男が日本語で話しかけてきた。


 見間違えるはずもない。

 若くなっているが、俺の上司だった奥津秀明だ。


「何か手頃な土産物を買いたいのですが」

 俺も日本語で返事をする。


「ご旅行ですか? だったらあまり重くならないものがいいですね。プレゼントにするなら、別料金でラッピングもできますよ」


 両親が日本人だからだろう。流暢な日本語だ。

 俺の元上司だったこの男は、巨額銀行詐欺事件にも関与していた。


 お手伝い程度だったらしいが、一斉逮捕されたときにその名前があったのだ。

 俺が菱前老人に頼んで、写真の人物を調べてもらったことがある。


 老人はこの男を最後まで調べて、俺に結果を教えてくれたのだ。

 俺が彼の顔をマジマジと見ていたからだろうか。


「何ですか?」

 彼が不審そうに尋ねてきた。


「なんだかとても疲れているように見えたものですから」

 俺の言葉に彼は「ああ」と納得した表情を浮かべた。


 薄暗い店内でも分かるくらいに顔色が悪い。

 目が落ちくぼみ、頬がげっそりとしている。


 生活に疲れたサラリーマンが浮かべる、表情筋を失った感じが一番近いだろうか。

「何か心配事でも?」


 こんな一見(いちげん)の観光客が、店員の顔色が悪いからと聞くことではないかもしれない。

 だからこそだろうか。「そんなに分かりますかね」と乾いた笑いをひとつしたあと、俺の元上司は語った。


「少々失敗しましてね。卒業を待たずに大学を去らなくてはならなくなりました」

 力なく笑う姿から、諦観の表情が見て取れた。


 すでに俺は、彼が詐欺未遂容疑の関係者として逮捕されていることを知っている。

 ここにいるということは、身柄を拘束されずに起訴されるのだろう。


 たしか身柄の拘束には税金が使われるため、米国では公判前でも保釈が認められる。

 逃亡すれば保釈金は没収されるし、逃亡者の情報はバウンティハンターに流される。ゆえに逃亡するのは下策だ。


 彼の話から、すでに大学は退学になったことが分かった。

 本来ならば詐欺で大金を手にし、いい大学を卒業して、いい企業に就職したのだろう。


 順調にキャリアを重ね、最終的に俺の上司になるはずだった。

 だが、詐欺事件が未遂に終わって本人は逮捕。大学を退学させられて、いまは裁判を待っている状態。


 俺は元上司に復讐を果たすつもりだった。

 だが不思議と、いまの姿を見ても歓喜の気持ちは浮かんでこなかった。


 もはや元上司のことなど、どうでもいいのかもしれない。

 ここへ来たのは、俺なりのケジメをつけにだが、この顔を見ただけでもう果たされた気分だ。


 眼の前の彼はいま、『詐欺は無駄』だと気づいただろうか。

 復讐はむなしいと考えただろうか。


「――これなんか、どうです?」


 彼が示した土産物は、陶器でできた貯金箱だった。

 米国の国旗を箱型に模したもので、センスがいいとはお世辞にもいえない。


「いいですね。これにします」

 俺は薦められた貯金箱を買って店を出た。


 専用の箱すらないそれは、厚めの紙袋に入れられ、「特別ですよ」と、これまた厚めのビニール手提げ袋に入れられた。


 俺の元上司は、このあとどうするのだろうか。

 なんとなくこのリトル東京に住み続けるのではないかと思えた。


 本来のリトル東京は、日本人観光客が減ったせいで中国系、韓国系の店に取って変わられる。

 だがそれは表向きの理由で、本当は詐欺事件で大金を手にした者たちが、ここを離れたからではないだろうか。もちろん、真実は分からない。




 近くの海に来た。

 この海の先には日本がある。


 俺は紙袋の中から先ほど買った貯金箱を取り出した。

 決してデキが良いとはいえない貯金箱。彼は生涯、これを売り続けるのだろう。


 俺は手にした貯金箱を海に向かって投げた。

 貯金箱は放物線を描いて水面に落ち、小さな波しぶきとともに海中に消えていった。


 俺は振り返らなかった。



大賀愁一はやはり「持っている」人物だと思います。

努力の人ではありますが、主人公たる運を持っているのだと。


一度目の人生でそれが発揮されなかったのは、彼の性格や言動、行動にあるような気がします。

周囲をよく見て人の話を聞けば、意図しなくても人生はよい方向へ道が開けていったんだろうと。


そしていま、元妻と会えて良かったなというのが正直な感想です。

いまなら穏やかな気持ちで会えたでしょうし。


完結まであと1話となります。

明日完結しますので、よろしくお願いします。



さて今日は、昭和時代の『大学受験』についてお話ししたいと思います。

受験地獄などと言われたあの時代、一体どんな状況だったのか。


語れることは多々ありますが、正確なことを調べて確認していないので、記憶を頼りにした私の体験談だと思ってください。


当時、大学の収容人数を大幅に超えた受験生がいたので、大量の浪人生と一緒に受験しなければなりませんでした。

もう地獄ですよ。県立高校だと、受験が終わってもまだカリキュラムが終わらないんですから。(3月の卒業式前までにカリキュラムが終わればいい)


そういうわけで、顧問と大げんかして二年末までで部活を止め、一年間必死に勉強しました。

当時、赤本(大学受験問題集)に倍率が載っているんですけど、そこに受験者数と合格者数が書いてあります。『実質倍率』ですね。

昔は定員の何倍もの人を採ったので、『表面倍率』はあまり参考にならないのです。


この実質倍率がすごいです。10倍以下だと「少ないな」になります。どの大学も10倍から20倍くらいありました。

いまだとFランと言われる偏差値30代の大学でも10倍くらいあったんです。願っても入れない人がいっぱいいました。


上位の大学はもっとすごいです。日本全国からみんなが集まって受験します。

10倍、20倍は当たり前。模試のA判定やB判定でも落ちるんですよ。C判定……いまなら「もしかしたら」と思うかも知れません。偶然が作用して受かる可能性があるかもですよね?

当時は絶対に受かりません。それだけ倍率の壁がすごかったんです。


ウチの高校は進学校だったので、「日東駒専は、カツオくんやのび太くんが行くところ」「人間の行くとこじゃない」なんて言っていました。そんなこと言ってる人が、落ちるんですけどね。

当時のエリート思考というか、学歴社会の負の部分ですね。早慶レベルじゃないと認めないという。

「関関同立に逃げた」とか「最低でもMARCH」なんて平気で言っていました。(私じゃないです)


かなり痛い発言ですが、これが学歴偏重社会の負の側面。「高学歴にあらずんば人にあらず」という意識があったせいだと思います。お前は平家かと突っ込む人はいなかったと思います。


ここで、だれにも言っていなかった話をします。

親や友人、学校にも内緒で上智大を受けました。(これ、初めて言います)

当時、早稲田は『記念受験』が盛んで、倍率が100倍とか120倍とかありました。もう狂気の沙汰ですよ。

理系の早慶は、理科二科目なので単純に勉強時間が延びます。それに倍率もすごい。

そこで同レベル帯の上智大を狙ったわけです。(いまは知りませんが、昔は早慶と同レベルだったと思います)

模試でずっとC判定でしたが。(笑)


どうなったかといえば、普通に不合格です。

合格発表を見に行ったんですが、受験番号の最初が17。その次が62。(うろ覚え)

「18から61番までの人はどうなったの?」って気分ですね。この並びを見て私は普通に「落ちたな」と思いました。

案の定、私の番号がありません。

番号が50番、100番飛ぶことが普通にあった時代、C判定で受かるわけないんですよ!


難関大学になるほど倍率がすごいことになっていて、受験する教室内で一人か二人、合格者が出るかどうかという感じです。

そんな状態、いまでは考えられないと思います。


幸い、(上智を除いた)私立と国立に合格し、国立に通いました。良かったです。

老害と言われている現在50代の人たちって、そういう受験戦争をくぐり抜けていたりします。

そのあと年功序列や終身雇用が崩壊するのですから、結構災難だなと思いますが。


大学受験の感想としては「もう二度としたくない」です。マジ無理です。

試験一発で評価されるアレに青春のすべてを注ぎ込んだんです。もうやりたくない。

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― 新着の感想 ―
[一言] その貯金箱に何かしらのメッセージが入ってるとか、罪を着せるためのなにかが入っているとか邪推してしまいました
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 十年…もしかすると二十年も前でしょうか。漫画雑誌でバウンティハンターの漫画を読んだなかで、アメリカのバウンティハンターは銃の所持を認められているとありました。…
[一言] 50代で老害?と思ってしまうのは年配だからだろうか・・・ 老害は定年を過ぎてもポスト(権力)を譲らない人って意識があります
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