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一炊の夢 ~エリートリーマンのやり直し~  作者: もぎ すず
第三部 儚きエリートリーマン
119/121

118 俺のやりたいこと

 米国では、すでにサブプライムローンが始まっているようだ。

 と言っても、そういうローンの商品名があるわけではない。


 返済能力が高い顧客を「プライム」とした場合、低い顧客を「サブプライム」と呼ぶようになる。

 つまりサブプライムローンとは、信用度の低い人たちのローンということだ。


「たしかにあれは、ハイリスクではありますが、ハイリターンですね」

「まあ、そういう部分を考えないでもなかったが、住宅を諦めざるを得ない者たちにも夢を与えたいと思うたのだ」


「なるほど……米国の話になりますが、彼らがローンを組めたカラクリは三つあります。一つが担保を設定すること。自動車ローンや住宅ローンだと、車や家が担保になりますね」

「当然のことじゃな」


「二つ目が、初期の支払いを遅らせるか少額にしたこと。もしくはしばらく利息だけの支払いにして、債務者が出世したり給与が上がった頃に本格的な支払いにしたこと。実質的にローンの返済猶予ですね」

「そもそもいま手元に現金がない者に現物を先に与えるのがローンじゃが、そのサブプライムローンはその先をゆくのじゃな」


 品物が先、お金があとのローンに加えて、それすら出世してからの支払いとなる。

 飛びつく人は多いだろう。


「三つ目は審査基準を緩く設定したことです。本来ならば信用スコアが足らずに落ちるところをその緩さのおかげで救われた形になります。以上の三つが、低所得者でもローンを組めたカラクリなのですが……」


「問題があるということじゃな?」

「俺からしたら、問題ありまくりのローンです。一つ目は、そもそも住宅価格の下落を想定していません。担保価値がなくなった場合、どうなるのか、だれも考えていないのでしょう」


「住宅価格が下がったら、元本割れをおこすか」

 菱前老人は、すぐに俺の言いたいことを理解した。


「二つ目も同じです。ずっと給与が上がる、出世するなんてだれにも分かりません。不確実な出世をローン返済に組み込んでいます。そして最後。審査の甘さが致命的です。このローンが流行れば、何もなくても返済が滞る者にまで貸し出すようになるでしょう」


「最初から焦げ付くことが目に見えているのか……じゃが、その点をもう少し注意すれば……そもそも米国と日本は違うのではないか?」

 老人の言葉に、俺は首を横に振った。


「そのうち日本でも、同じ事を考える人が必ずでてきます。そして痛い目を見ます」

 リーマンショックが大きすぎて日本ではほとんど話題にならなかったが、実は日本でも同じようなローンが存在していたのだ。


 その名も「ゆとりローン」。いかにも返済できそうにない名前だ。「ステップローン」ともいう。

 はじまりは1993年。つまり今から二年後。このローンは、米国のサブプライムローンと同じように返済が焦げ付く者が続出した。


 1993年といったらバブル崩壊が叫ばれるころだ。これまで信じられてきた土地神話が崩壊。

 年功序列制と終身雇用制だって崩壊する。そんな社会の中で、信用度の低い者がローンなど支払えるはずがない。


 担保価値がみるみる減っていき、給与は変わらないか減少する。

 なのに支払金額だけは、グングンと上がっていくわけだ。


『夢』の中でだが、俺の周囲にもローンの借り換えに奔走する社員を何人も見た。

 テレビでもよく特集を組んでいた。そう、「よく」特集を組むほど一般的な問題だったのだ。


「日本でも同じか……」

「はい。間違いありません。それでも東京やその近郊で家を買った人はまだマシですけどね」


「そうなのか?」

「担保となった住宅やマンションを売ることができます。ただし、それを売ってもローンの返済には足りませんが」


 とにかくテレビでよく聴いたフレーズ。『家を売ってローンだけが残った』

 それだけ住宅価格が下落したのだ。当時、このフレーズを聴いたことがない人はいないだろう。


 真面目に働いてせっせとローンを返していき、途中で支払えなくなって家を売る。

 そうしたら当初思っていた数分の一の価格でしか売れず、ローンだけが残ってしまったという残酷な話だ。


「そうか、無理か。ままならんものだな」

 老人は、夢が破れたような顔をした。




 家に帰った俺は、先ほどの話を思い出していた。

「菱前老人でも、日本経済の先が読めないか」


 信用スコアが足らない者でもローンが組めるとなれば、たしかに顧客の新規開拓になる。

 ただしそれにはリスクが伴う。


 銀行はリスクを取りたくないから、不動産担保ローンとして証券化することになる。

 これは国債や地方債、社債、外債などと同じだ。


 時代が進めばデジタル証券化の道もあるが、いまはまだそこまで行っていない。

 そして債券の価格変動リスクと、破綻する可能性を含んだ信用リスクのことを十分知らずに顧客は購入することになる。


「……行くか、東大」

 亜門清秋が入学する東大には絶対に近づくつもりはなかったが、ヤツが外国に逃亡して、その問題は解決した。


 当時、俺は東大の教授からこう言われた。

「常に論理的思考を優先するキミの場合、研究者が向いていると思う」


 俺は一生研究室で本を読んで暮らすなんてまっぴらだと思っていたので、教授の薦める大学院へは進まなかった。

 民間企業に入って、俺の力を見せつけるのだと考えていた。


 だがいまならどうだろうか。

「それも悪くないな」


 リーマンショックが起こるのは2008年。その頃俺は、32歳になっている。

 以前、趣味でこの先の経済の流れを発表しようと考えたことがあったが、それを本格的に……仕事にしてみたらどうだろうか。


 大学の教授となって、学生に経済を教えるのだ。

 同時に、これからの日本、世界における流れを論文や本にしてもいい。


 警鐘を鳴らし続ければ、『夢』とは違う方向へ舵が切れるかもしれない。

 それに俺の教え子たちが、違う未来を切り開いてくれるかもしれない。


 亜門清秋は一人だ。ヤツは天才過ぎるゆえに、同レベルの仲間がいなかった。

 俺は仲間を増やせばいい。


 学生一人一人の力は弱いかもしれない。

 だがそれが百人、千人と集まれば、清秋の野望を挫ける力となるのではないか?


 あの閉塞感のある大戦直前のような雰囲気の世界ではなく、もっと明るい未来へ導けるかもしれない。

「……よし、やるか」


 俺の将来の目標が決まったような気がした。


 

今回は、主人公である大賀愁一の決着。終着点について書きました。

亜門清秋と決着がついたことで、無意識のうちに除外していた東大進学へ目を向けられるようになりました。


愁一がこの時代に戻ってきた当初、彼は荘和コーポレーションや上司に対して激しい復讐心を抱いていました。

大学の教授となって学生を教え導くなんて、露ほどにも考えていなかったと思います。


彼が心変わりしたのは、やはり人との出会いだと思います。

彼の数十年の人生に勝る出会いがこの一年のうちにあり、彼は人間的に成長できたのだと思います。


彼は初志貫徹の男ですから、多くの学生を教え導くことでしょう。

彼は生涯をかけて何千、何万という学生を世に送り出します。


大賀愁一の薫陶を受けた学生たちが、社会に出て何を成すのか。

それはこれを書いている今ですら、想像できるような気がします。


中国の故事にある『一炊の夢』は盧生(ろせい)が人生の儚さを悟って終わりましたが、本編の主人公は『夢』の中での立身出世に勝るとも劣らない人生を歩むと確信できます。

少しでも日本経済が良くなることを願って、大賀愁一の物語はこれにて終幕となります。


大賀愁一の物語はこれで終わりですが、あと二話ほどあります。

まだ解決していなかったものを少しだけ――エンディングだと思ってください。

というわけで、もう少しだけお付き合いお願いします。



今日は昭和時代を思い出しつつ、当時の生活を振り返ってみようと思います。

農家は現金収入が限られていますので、映画『オールウェイズ三丁目の夕日』のように新しい家電なんて、出てもホイホイ買えませんでした。

家電は基本、壊れるまで使います。


長い間、黒電話でしたが、どこでもそんな感じでした。

中学生頃まではロール式洗濯機が現役でした。手回しハンドルで脱水するやつです。


農家の作業着なら、それで十分でした。

ただファスナーが壊れやすいので、本来なら30年くらい使える洗濯機でしたが、昭和50年の中頃で二層式の洗濯機に買い換えたと思います。


あとロール式洗濯機はボタンが割れるんですよね。祖母がいつも似ているボタンを付けてくれるのですが、だんだんボタンの見本市みたいになってしまいます。(笑)


まな板は足つきでした。よその家庭だと普通の板だし、テレビでもただの板なんですよね。

なぜ我が家だけ足がついているんだろうと不思議でした。台所が石でできていたからですかね。


それとご飯はずっとお釜で炊いていました。

もちろん薪を使います。牛の餌と同じ場所が『火燃し土』だったので、あまり好きではなかったですが、ずっとお釜で炊いたご飯を食べていました。


中学のとき、お弁当がおこげ入りの麦飯だったのが恥ずかしかったです。

中学の終わり頃か、高校生になってから、お弁当用に小さな電気炊飯器を買ってもらって、周囲の生徒と同じごはんをお弁当に持っていった記憶があります。


このお釜炊きですが、私が仕事をはじめた1990年代でもずっと使っていました。薪は山で剪定した木を2年くらい乾かしたのを使っていました。

あと製材所から余った木を貰ってきたり、大工から木片こっぱを貰ってきたりして使っていました。

結局、家を建て替える前(18年前)まではずっとお釜を使っていたと思います。


風呂もヒノキ風呂で、やはり薪で湧かしていました。

だいたい私が火の当番だったので、毎日風呂を沸かすために火の番をしていました。

物心ついた頃からやっているので、火の扱いはむちゃ慣れています。


ちょっと古いですが、江川達也『日露戦争物語』で、主人公の兄が風呂屋で働いているとき、火をくべているシーンが、あんな感じです。(釜はあれほど大きくないですが、周囲に薪を置いて火の加減で追加したりしました)


このヒノキ風呂。たまに漏ったりするんですが、そのときは手ぬぐいを差し込んで補強します。すると湯の中に手ぬぐいの切れ端がゆらゆらして、見ていて気持ち悪かったです。

あと身体を洗うすのこもヒノキです。どんなに乾燥させても毎日風呂で使うため、湿気で腐るんですよね。

裸足の裏に腐った木の感触があって、とても嫌だった思い出があります。

それでもこの木の風呂も、家を建て替えるまで現役でした。


あと、農家の家は、壁がないんです。

我が家は廊下が家を一周しているので、それを縁側として使っていました。

平安時代の貴族の家を想像してみてください。

すだれをおろした所にガラス戸がある感じです。それが我が家です。


夜は道路側だけ雨戸を閉めます。

基本、どこからでも家に入れるので、夜でも戸締まりはしませんでした。


それでも住む人数が少なくなってからは、玄関と勝手口くらいは鍵を閉めたような気がします。

家も昭和初期に建てたもので、最後の方は屋根が崩れて、2部屋と押し入れは、天井がなかったです。

その部屋は立ち入り禁止にしました。


農家ですから、食事は靴を履いて食べます。風呂も家の中から行けますが、外からも入れます。

家は隙間だらけで寒いのですが、夏は庭に大きな池があって、そこに足を突っ込んで(上半身はゴザの上)、涼みながら本を読んだりしていました。

たまに足元に冷やしたスイカが当たるので、足でこねくりまわしていると、いつの間にか寝ている。

そんな生活をしていました。


その家も18年前に建て替えて、いまはないです。

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― 新着の感想 ―
[一言] そう言えば日本にもそんなローンがありましたな。 この世界では影響が少ないと良いね。
[一言] 上司と会社は潰さないのかな? 民事じゃないから起訴した検察にも復讐していいのよ?
[一言] 両親の実家が作者さんと同じ様な昭和の日本家屋で母屋は茅葺き屋根をトタンで覆っていました。釜で炊いたご飯を土間で食べ、薪のお風呂に入りました。井戸があり、そこでスイカを冷やしていました。加えて…
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