117 巨額銀行詐欺事件の終焉
夏休み最後の日。
俺は菱前老人の屋敷に向かった。
巨額銀行詐欺事件は、すでに俺の手を離れている。
もはや俺から、情報提供することはなにもない。
あとは逮捕者から、計画の真相がどれだけ解明されるかだろう。
だがそれは、ヒシマエ重工や公安警察が考えればいいこと。
俺としては、荘和コーポレーションが飛躍する目がなくなったことでもう満足だ。
というわけで今日は、消化試合の結果を聞きに来た感じだ。
「本当に助かった。そして最後までいろいろ迷惑かけたの」
開口一番、菱前老人は頭を下げてきた。
「いえ、偶然とはいえ詐欺の計画を聞いた俺が、したいことをしただけです」
最初は情報提供だけの予定だった。
まさか一緒に渡米したりするなんて、ゴールデンウィークに手紙を出したときは、予想すらしていなかった。
だが、できる限り協力したことで、清秋の企みも分かったわけで、結果的に双方とも良い方向に運んだではないかと思っている。
「それとな、他の財閥からお礼と協力が来た。それについても礼を言わせてほしい。今後、経済をともに発展させていくことになるやもな」
「他の財閥……? なるほど、では別件で詐欺かそれに類する計画が進行していたわけですね」
「お主は本当に鋭いの。まあ、その通りなのだが……リトル東京で今回の詐欺に関わった者たちはすでに拘束した。そこから分かったのだが、規模こそ小さいが同様の計画が練られていたことが分かった」
他の財閥から切り捨てられ、強制収容所に入れられた者もいたのだろう。
彼らの子や孫が復讐心を持つならば、他の財閥がターゲットになってもおかしくない。
おそらく『夢』の中でも、規模こそ小さいが、同様のことがあったのだと思う。
面子のために表に出さなかったせいで、ニュースにならなかった可能性はある。
「復讐心を持つのは仕方ないですが、それで犯罪に手を染めるのは本末転倒ですね」
「うむ。結局、自らの首を絞めることになったわけじゃな」
他の財閥もターゲットになっていたとして、『夢』の中では成功したのだろうか。
バブルが崩壊してから、多くの日本企業が不良債権処理に手間取った。
これから失われた十年、二十年……三十年と言われ続ける暗黒時代が到来するのだが、財閥系が元気なかったのは、表に出ないところで何かがあったのかもしれない。
そう考えると、この巨額銀行詐欺事件が未遂に終わったことで、バブル崩壊からの復興が前よりマシになるのかもしれない。それは日本人にとって良いことだろう。
「それで国内の逮捕者はどうなりました?」
「うむ。契約を結ぶと言ったら、ホイホイとやってきたぞ」
「それはそうでしょうね」
「そこで一斉逮捕じゃな。加えて、判明しておった彼奴らのアジトから証拠書類が押収できた。それをもとに海外の拠点も一斉に捜索を入れさせた」
「では逮捕者はかなりの数にのぼりますね」
老人は頷いた。
「明日の九月一日に、第一報が出る。これ以上、マスコミを抑えることはできんかった」
「つまり、今日までがリミットの勝負だったわけですか」
詐欺事件が新聞やテレビで報道されれば、関係者は一斉に雲隠れする。
観念して出頭することを期待しても無駄だろう。
国際的な犯罪者は、本当によく逃げる。たいていは自国に逃げ帰ったりする。
自国人の身柄の引き渡しには、各国は慎重だ。日本や米国から脱出されたら、最悪居場所が分かっているのに、捕まえられないなんてことになる。
「買収するはずだった銀行は、勝手に名前や名刺を使われたと言っているようじゃが、社員の何人かは捕まえられそうだ。仲介業者のオフィスや、連絡先に使われた会社も判明しておる。すでに捜査の手が入っておるであろう」
「実際、勝手に銀行の名前が使われていたと思いますが、銀行員の中にも協力者がいたのですね」
「うむ。そうでなければ揃えられない資料もあったしな。電話すればそこの社員が出るわけだが、中に担当者がいなければ、発覚したであろう」
「何にせよ、これですべて決着ですね」
「表にあるものは決着がついたが……お主、あれで良いのか?」
「亜門清秋のことですか?」
老人は頷いた。
「行方が知れんと報告があった。あれこそが、今回の事件を計画したのであろう?」
老人の言う通りだ。俺は清秋に直接会って確認した。
「証拠はありませんので、俺としては別にどうでもいいと思っています。別件で逮捕状が出たみたいですし」
警察は、証拠隠滅のために洞窟の爆破事件を起こしたとして、清秋を指名手配した。
実行犯は殉教してしまったが、計画を立案し、主導的役割を果たしたのが清秋だと警察が認めた。
これは大きな進歩だ。これで清秋は日本に戻ることができなくなった。
「彼のことは早く忘れた方がいいですよ。あれは追い詰めると、ロクなことになりません」
死を恐れない信者がいることは爆破事件で確認済み。ああいう手合いは、まともに相手しない方がいいのだ。
老人は、「それもそうじゃな」と納得したようだ。
これまでのことから、九星会の異常性を認識しているのだと思う。
「しかし銀行は残念じゃった。どうしたらいいかのう」
「そのうち、窓口が要らない銀行ができるようになりますよ」
オンライン専用の銀行が誕生するまで、老人は生きているだろうか。
時代が進めば、どの銀行もインターネットバンキングをはじめるようになる。
その過程で、支店窓口を持たないインターネット上にのみ存在する銀行も誕生する。
「窓口がない銀行など、想像の埒外じゃが、お主がそう言うのなら、そのうちできるのであろうな」
老人は笑った。おそらくそれが実現するまで、生きられないと考えているのだろう。
「ちなみに、銀行を持って何をしたかったんですか?」
他の財閥への対抗だけで、多額の資金が必要な買収をするとは思えない。
自分のところで銀行を持てば、それだけ信用が上がるが、リスクは一定数存在する。
「うむ。最近、アメリカで始まった新しい住宅ローンがあるじゃろ? ああいう、これまで一般の銀行に見向きもされなかった者たちの需要は、馬鹿にできんと思っての。新規開拓できると思ったのだ」
「サブプライムローンかっ!」
米国でもう、サブプライムローンがはじまっていたのか。
あれは信用度の低い低所得者向けに住宅ローンを貸し付ける制度だ。
たしかに新たな顧客の掘り起こしになったが、それがもとで2008年にリーマンショックがおきる。
「そういう名前があるのか? これから伸びそうな分野だと思っての」
「伸びるかもしれませんが、あれは……ん? まてよ?」
俺はふとあることを思いついた。
主人公は何か思いついていますが、これで菱前老人の銀行詐欺事件についてはお終いです。
詐欺師たちを捕まえるところは、さすがに本人が出張るわけはありませんので、警察がしっかりやってくれました。
騙して人の金をかすめ取ろうとした人たちは軒並み逮捕されると思います。
先日、「寄付者および支援者の皆様へ」と題したメールが届きました。集まったお金はまとめて被災地に送りましたという報告と、お礼のメールでした。あらためて地震のことを思い出したら、今日でちょうど一ヶ月ですね。一日も早い復興を願っています。
さて今日は、イジメについてお話をしたいと思います。
昭和の頃とくらべて、令和のいまはイジメの件数が爆増しています。
不登校を含めて、過去最多となっているようです。
この辺のカラクリはあれですね。
「学校がイジメと認めるようになった」のと「教育委員会の正直に報告するようになった」のが関係していると思います。
子供の骨折も爆増しています。たった十年で1.5倍に増えたとか。
この辺も、「子供が報告するようになった」のと「骨折と診断するようになった」のも原因のひとつだと思っています。
昔は「ヒビくらいならいいや」と、そのまま生活していました。そもそもヒビを骨折と認識していない人もいましたし。
以前も書きましたが、人間の本質的な部分は数十年で大きく変わることはないと私は考えています。
そこで原因を社会や環境に持ってくるのは間違っていないのですが、このイジメについてはどうでしょうか。
少し昭和のイジメを見てみます。
昔の教師は、よく殴る蹴るの暴力……体罰をしてきました。(なぜイジメの話で教師の体罰? と思うかも知れませんが、もう少しお待ちください。)
休み時間廊下でふざけながら歩いている生徒がいると、教師がジャージのポケットに両手を突っ込んだまま、「なにやってんだー!」と蹴りを入れてくるのは普通でした。
授業中によそ見したり、ラクガキしていたりすると手のひらを頭にズドンと力強く落とします。あれで舌を切った生徒を知っています。
小中学生のときに鼓膜を破ったことがある生徒のほとんどは、教師のビンタが原因です。
それだけ体罰は日常だったわけです。
さて昭和のイジメ……昭和50年代を思い浮かべてください。
たとえばいじめっ子がだれかを殴ったとします。肩パンとか腹パンとか普通ですね。(普通か? と思うかもしれませんが、普通です)
教師がそれを見つけます。相談室という独居房のようなところへ連れて行かれ、強面教師がソファでぐでんぐでんに座って、いじめっ子を吊しあげます。
「なんでそんなことをしたんだ?」と聞くわけです。ちゃんと答えるまで許してくれません。だいたいが「むかついたから」などのような理由を挙げます。
すると教師は「じゃあ俺がお前にむかついたら殴ってもいいんだな」と確認をとります。
ここで「はい」と言うと本当に殴られます。
教師の拳のフルスイングを頬に受けたりしますので、それは避けたいので「いえ」と言うしかありません。
そこで自己矛盾が生じます。自分はむかついたから相手を殴ったが、自分は相手からむかつかれても殴られるのは嫌だ。
そこから教師の説教がはじまるわけです。
教師は目の前で根性棒を振り回したりして威嚇しながら延々と説教するわけです……。
というわけで初犯だと、これくらいで許してもらえます。(全然許してもらえてないじゃんと思うかもしれませんが、当時は許してもらったレベルなのです)
さて、問題は2回目です。
同じいじめっ子が、別の生徒でもいいですが、同じようなことをしているのを見つけた場合です。
相談室に連行されて「どうしてやったんだ」と質問され、答えざるを得ない状況におかされます。
教師は一時間でも二時間でも待ちますので、他の生徒は授業が自習になって万々歳です。
最終的に「殴りたかったから」とか「泣くか試したかったから」みたいな理由がでてきます。「よし、俺がお前が泣くかどうか試してやろう」と殴られるわけです。
授業中にいじめっ子が泣きはらした目でやって来ます。
口の中は血で真っ赤です。歯垢を見つける液みたいに歯の隙間に血が溜まっています。
授業中に頬が内出血で腫れてきます。保健室にいくと、冷やしたタオルをもらえます。それを頬にあてながら授業を受けます。
だいたい2回目に見つかると、こんな感じになります。
リスクが大きいので、3回目を見つかることはないですね。
そんな感じでイジメはなくなっていきます。
これは、昭和50年代になってイジメが社会現象としてニュースに取り上げられるようになったからで、その前は教師の体罰の方がヒドくて目立たなかったのだと思います。
昔の軍隊でもイジメはあったようですし、現代でも警察内部でイジメがあったりと、昔も今も変わってないと思いますので。
殴る蹴るされて育った私たちですが、教員免許とる頃になって「体罰は絶対に駄目」となって、ものすごく理不尽が気がしました。
私は教育実習に行ったとき、男女関係なく生徒が群がってきたので、片っ端から放り投げていました。あれは体罰ではないはず……。
というわけで、平成に入ってからは体罰が全面的に禁止されたので、イジメを見つけたら「イジメはだめです」と注意するのみです。
何度イジメをしている所を見つけても、「イジメをしてはいけません」と言うように指導されます。それと上に報告ですね。
基本、いじめられた相手に「つらかったね」と寄り添っておしまいです。
次、その次にイジメがおきても同じですが、これでイジメがなくなると教育委員会が本気で考えているのか謎ですが、基本、いじめられた側へのケアと上への報告が第一となります。
昔はいじめっ子に対してアクションをおこしていたわけですが、現代はいじめられっ子に対してアクションをおこしています。
その辺が、昭和と違うよなと思ったりします。
そして私の世代は、イジメと体罰を一緒に連想します。
それだけイジメには体罰で対処していたんだなと。