111 プール(1)
矢橋公園プールはそれなりに大きな施設で、公園という名前がついているものの、レジャー施設に近いものだった。
俺と吉兆院が着替えを済ませ、プールサイドに出た。
名出さんたちはまだ来ていない。
プールを見ると、すでにあふれるほどの人が浸かっていた。
「あれじゃ、泳げないだろ」
「泳がなくてもいいんじゃない? ほら、ゆっくり休んでいる人もいるし」
コンクリートの床に尻をつき、金網に背中を預けて談笑している男女がいる。
女性はバッチリと化粧をし、男性はセカンドバッグを手にしている。水着を着ているが、どうみても泳ぐ感じではない。
「あいつらは、何しにプールに来ているんだ?」
「遊びにじゃない?」
だったら、プールに入るべきだろう。
吉兆院の考えることはよく分からない。まあ、分かることの方が少ないのだが。
「おまたせー」
名出さんがやってきた。
フリルのついたワンピースの水着だ。
この時代の定番だが、どうにも古臭く見えてしまうのは、2030年までの歴史を知っているからか。
「あれ? 神宮寺さんは?」
「なんか髪がまとまらないから、あとから来るって」
「そうなんだ。どうする? 待ってる?」
「どっちがいいかな? 大賀くんはどうおも……」
名出さんが俺を見て固まった。
いや、目を見開いているから、驚いているようだが。何をそんなに驚く?
「すごいよねー、愁一の身体」
「う、うん」
「……?」
吉兆院は何を言っているのだ?
「腹筋が割れているし、腕も胸もかなり筋肉がついているね」
「そ、そうだよね……」
「毎日鍛えているんだ。筋肉くらいつくだろう」
あの秋の日から俺は、ほぼ毎日、しっかりと身体を鍛えている。
何をするにも、身体が資本だ。十代のうちに頑強な身体を作り、それを維持していきたい。
「見た目だけなのか、確かめてみよう。えいっ……痛っ。愁一の腹筋、マジで固い」
拳を押さえて痛がる吉兆院だが、腹を殴っただけで、そこまでダメージを受けるはずがない。
遊びの延長なのだ。
「なるほど。では次は俺の番だな」
「マジっ!? それは勘弁! 愁一がやるとシャレじゃ済まなそうだし」
「俺も冗談くらいは理解するぞ。……冗談でも、本気でやるけどな」
遊びは真剣にだ。
「ぎゃー、愁一に殺されるー!」
吉兆院は悲鳴をあげて逃げていった。走ると転ぶぞ。
そしてこんなやりとりをしていても、神宮寺さんはまだ来ない。
この時代、ゴム製のスイムキャップの性能はあまりよくない。
そのため、ファッションを気にして、キャップを被らない人は結構いたりする。
髪が広がらないように三つ編みにするか、縛っているのだろうが、時間がかかりすぎる。
「それで、どこに行く? 売店はあっちにあったと思ったけど」
吉兆院が恐る恐る戻ってきた。
何気なく肩を回すと、「ひぃ」と言って距離を取るが、何をそんなに恐れているんだか。
「なあに、吉兆院くん。もう食べるの?」
さすがに名出さんも呆れている。
プールに来てすぐ売店の話をするのは、吉兆院くらいだろう。
「プールに来たからには、まず泳ぐべきだろう」
「そうね。あたしも暑いから水に浸かりたい……」
名出さんもやはり「泳ぐ」とは言わない。
この芋洗い状態では、泳ぐたびに周囲の頭を叩くことになりかねない。
「しかし、多いよな。東京中の人が集まってるんじゃないのか」
「そんなことないわよ。せいぜい……三分の一くらい?」
「おまえが住んでいる東京は、町一つ分より小さいのか?」
冗談だと思いたいが、名出さんのことだから……いや、冗談のはずだ。
俺に言われたからか、「五分の一くらいかな? 奥の方は見えないのよね、うーん」と呻っていたが、聞かなかったことにする。
それにしても、この人混みは異常だ。
都民が海水浴に行くとなると、神奈川県の湘南や江の島、鎌倉あたりになる。
だが、八月も上旬になると、クラゲが近くにやってくる。
クラゲに刺されたくない人が、こういったプールに足を運ぶのだろう。
もっとあとの時代になれば、娯楽も増えて、遊び方も多様になってくる。
一極集中することもなくなるのだが、この時代ではまだ無理。
どうしても夏は海かプール。冬はスキーかスノーボードになってしまい、人が集中してしまうのだ。
適当なスペースを見つけて、名出さんがレジャーシートを敷いた。
タオルや手提げ袋をその上に置く。
「あやめ、遅いな……」
たしかに遅い。神宮寺さんは何をやっているのか。
「あれ、絡まれてない?」
「ほんとだ。あやめ、ナンパされてる」
吉兆院が指さした先を見ると、神宮司さんがガラの悪そうな三人組の男たちに囲まれている。
一人は金髪で、一人はサングラスをかけている。もう人は、金のネックレスが光を反射していた。なんとも場違いな連中だ。
「あれ、嫌がってるんじゃないかな」
「そうだと思う……まったくもう。ちょっと文句言ってくる」
「待って! ああいうのは、すぐに逆恨みするから……先生、出番です」
吉兆院が優雅に手を動かして、俺の前に道を作った。
吉兆院の他力本願的なところは、以前とまったく変わっていない。
といっても、吉兆院がなんとかできるとも思えないので、最善を選んでいるのか?
「……まあいい。俺が行ってくる」
「そっか。大賀くん、気をつけてね」
「やりすぎないようにな」
失礼な吉兆院の言葉を無視して、俺は神宮寺さんの方へ歩いていった。
「彼女は俺のツレだが、何をしている?」
「んだ、てめえ」
三人組の男たちを近くで見た。思ったより歳をとっている。
二十代半ばから、後半くらいだろう。
その歳でよく高校一年生をナンパしようと思ったものだ。
もっとあとの時代なら、声をかけただけで事案になる。
「ヤんのか、てめェ」
「ザけんなよ!」
ナンパを邪魔されたからか、三人が凄んでくる。
中途半端だとあとが面倒なので、一気かつ一方的に制圧すべきだろう。
大立ち回りをするとプールの監視員が飛んでくるから、なるべく静かに一撃で……そんなことを考えていたら、三人が俺から距離を取りはじめた。
「オ、オイ……」
「ああ……」
「ナンパごときで、てめえ、何マジになってんだよ」
三人組は、捨て台詞をはいて去ってしまった。
「……?」
あの三人組は、何がしたかったんだ?
「いやー、さすが愁一だね。みんなビビってたじゃん」
「勝手にいなくなっただけだろ」
「大賀くんにタジタジだったよね」
吉兆院と名出さんがやってきた。
「いま……この場をどう切り抜けようかじゃなく、どう処理したら一番いいか考えていたかしら?」
「もちろんそうだが?」
神宮寺さんに聞かれたので、そう答えたが「やっぱり……」などと言われてしまった。
「狩猟した獲物をどう解体すれば一番面倒が少ないかって目をされたら、だれでも逃げると思う。ここで惨劇がおきなくて良かったわ」
神宮寺さんをナンパから助けたのに、なぜかそんな評価をくだされてしまった。
これは俺に対する挑戦なのか?
「ま、まあ、あやめが無事だったし、良かったよね……それじゃ、みんなで楽しもっ! あたし、あっちの波が出るプールがいいな」
名出さんの提案で、俺たちは波の出るプールに向かった。
海もスキーも行かなくなりました。
前日の夜にスキー板にワックスを塗って「滑れ、滑れ」と念じていたのはもう、30年も前になるでしょうか。
当時、ロシニョールの板を持っていた友人が羨ましかったです。
連載ですが、土日含めて数日は忙しくなるので、少しお待ちください。
さて今回は、みんなの知らない農家の世界の続きです。
バブル期以降、農家の生活はどう変わったのか。
野菜だけを栽培しても、一家養うことはできません。
というわけで、生活する手段は3つくらいです。
土地を売って生活するか、他に稼ぎを見つけるか、農家を辞めるかです。
お金がなくなると、少しずつ土地を売りながら生活する農家は結構多かったです。
一応、付加価値をつけて農業収入だけで生活する道はありますが、インターネットがない時代は、そもそも個人が付加価値をつけるのはほぼ不可能だったと思います。
近所の町医者は、高度経済成長時期に治療費の代わりに土地をもらったので、町のいたる所に土地を所有していました。
昭和の初期から中期は、近所でチンチロリンが流行ったので、負けた人は土地で払ったケースも結構ありました。
そういえば小さい頃、近所の農家に遊びに行くと、縁側にお茶碗の中にサイコロが入った状態でよくおいてあったなとしみじみ。
そんな感じで、土地に執着しているように思われる農家ですが、意外としょっちゅう土地を手放していたように思います。
我が家も例外ではなく、お金がなくなると土地を売っていました。なにしろ家族が多かったですし、近所付き合いもそれなりにあったので、出費が多かったわけです。
そして高度経済成長期の1960年代からは徐々に土地の値段が上がります。そして土地活用の魔手(?)は農家にも押し寄せてきました。
前に書きましたが、農家は基本無学です。とくに戦前生まれの農家は、小難しいことは苦手です。
「空いている土地にアパートを建てませんか? 儲かりますよ」という言葉で、次々とアパートを建てていきます。
この辺は地域差があると思いますが、私が住んでいるあたりはまだ入居率はよかったです。
ただ1970年代、80年代でも、アパートの入居率が70%くらいの地域は結構ありました。
いまでも、アパート入居率の全国平均は80%くらいだと思います。
「アパートを建てましょう」と言われ、「分かった」で、あとは丸投げです。なにしろ難しいことは分からないのです。
表面利回りとか、建築費の返済率とかは一切わかりません。
小さな建築業者「○○建設」みたいなところの中には、農家をカモにすると言ったら聞こえは悪いですが、知らないのをいいことにかなり暴利をむさぼっていた会社がありました。
当時、ローンを組むと金利は5~6%くらいで、変動金利だと8.5%でした。住宅金融公庫の公定金利が5.5%ですから、いかに金利が高かったかです。
我が家は、農協から特別金利4%で借りて、「安いね」と親戚に言われました。
とにかく高額な建築費と低い家賃設定だったりすると、金利が高くていつまでたっても元金が減らないのです。
私も子供心に「これはどうなの?」と思う賃貸住宅が結構ありました。
長いアーチをくぐった先に一棟あるのですが、たった2戸のテラスハウスです。庭と駐車場があって、植林もされています。絶対に採算とれないだろうと思いました。
まっとうな業者も多かったと思いますし、無知な農家にも非があると思います。
「よきにはからえ」的な感じで何を言っても頷く農家を相手にしていけば、自ずと大胆になるのだと思います。
結果、かかった費用に見合わない安普請がいくつもありました。
とくにバブル期は建築資材が足らなくなって、見た目はいいけど長持ちしない集合住宅というのがあったのです。
この頃はまだ耐震や防蟻の法律がなくて、柱は細いわ、床下は土のままだわで、15年くらいすると湿気で床がフカフカになっていました。当然、シロアリもすぐにやってきます。
私は床下から天井までシロアリに食われた柱を見たことがあります。
近所では、作るだけ作ってあとは管理会社に丸投げする工務店が多くて、最初はいいのですが、10年もすると空き室が目立って何年も入居者が埋まらない部屋がいくつもありましました。
それも当然の話で、インターネットがない時代ですので、人は駅前の不動産に行くわけです。
そして不動産屋はその道のプロです。バブル期に大いに土地ころがしをしています。買ったがいいが、不良債権化したアパートを不動産屋がいくつも持っていたりします。
客がくると、自分が持っているアパートの空き室を勧めますので、ただ管理しているだけの他人のアパートの空き室は中々順番が回ってこないのです。
親戚はマンションを所有していて、さすがに腹にすえかねたのか、マジものの怒鳴り込みをして、社員がひとり首になってました。やりすぎはだめですね。
安普請で古くなると、入居者が定着しないようで、数年で出ていったりします。
日本は、安いアパートでもリホームしてから貸すため、普通に数十万円かかったりするので、大家がお金を出して建築業者、不動産、リホーム業者を食わせているだけじゃないのかと思ったりします。
と、なかなか厳しい不動産経営ですが、もちろんうまくいっているケースも多いです。
知り合いは植木屋の四男で、親が亡くなったとき「お前だけは自営業じゃないのだから」と離れた土地を一つだけもらったそうです。あとは兄弟3人で分けたのだとか。
その土地は国道に面している斜面で、下は固く植木屋や農家をするには適さない土地。
彼はそこにコンビニを建てて、いまでも家賃収入を得ています。かなり前に聞いたところ、賃料が50万円で半分くらいが建築時の借金返済に当てられているとか。
「そこそこ小遣いになる」と言っていましたので、かえって良かったのではと思います。
何棟も建てて、悠々自適な生活をしている農家もいますので、みなさんの近所でも大きな家に住んでいる農家を見たことがあるのではないでしょうか。
私の場合、本業があり、副業もいくつかやっています。副業のひとつは不動産管理で、収入全体に占める割合は実は一番多いです。(副業なのに……)
こういう生活が優雅に見えるようで、一時期、地元農家に対する嫉妬がすごかったことがあります。
土地を買って家を建てた人が、野菜泥棒をしました。「農家は儲かっているんだからいいでしょ」という論理です。
たまたま自治会が補助金をもらって防犯カメラを設置した時期と重なったため、「監視するつもりか」と自治会役員を巻き込んだ騒動に発展したことがあります。
防犯カメラは、民家のない道が交わったところに設置しただけで、その家はもっと離れたところにあり、まったく関係はないのですが。
「ようしならば対抗だ」と、越してきた住民たちの何組かが、防犯カメラを自宅から棒を伸ばして(笑)道路を撮影するようにしたのですが、そもそも農家は暇ではありません。というか越してきた家に興味ないので、訪れることはないです。目論見は空振ったまま、いまだに防犯カメラは稼働しています。
いまのは十数年前の話ですが、たまたま私が自治会の役員だったので、この騒動と野菜泥棒の件を知りました。さすがに吹聴していませんが、野菜泥棒はだめだと思います。
そんな感じで昔と今の農家を思い出しつつ語ってみましたが、地域差があることはご了承ください。