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一炊の夢 ~エリートリーマンのやり直し~  作者: もぎ すず
第三部 儚きエリートリーマン
111/121

110 張り巡らせる罠

 俺は警察組織を信用していない。信頼もしていない。

 完璧も期待していない。


 九星会の運営には、亜門清秋という男が積極的に関わっていることを告げた。

 それだけではなく、指導的役割を果たしていることもしっかりと伝えた。


 彼は東京で高校生をやっているが、彼が九星会で果たす役割は大きく、あの洞窟のことも知っていると告げておいた。

 これだけ言えば、相手が一介の高校生といえども警戒するだろう。


 だがチートなヤツのことだ。警察の追及くらい、わけなく躱すと思う。

 ヤツを追い詰めるのは、ヤツの能力を把握していて、先の歴史を知っている俺でさえ難しいのだから。


 昔の俺ならば、労多くして益少なしと、関わらない選択をしたと思う。勝てない戦いなど、するだけ無駄だ。

 だが、ここまで関わってしまっては、もうあとには引けない。


 信用も信頼もできない警察をつかって、とことんまで追い詰めて決着をつけるしかないのだ。

 そう思った俺は、罠を張ることにした。


「亜門清秋は、九星会のシンボル、盟主……なんでもいいですが、彼らにとっては天草四郎的な存在と思ってください」

 俺の説明に、公安警察の面々は意味を測りかねているようだった。


 だが、洞窟を見つけた実績があるからか、俺の話をまともに聞いてくれた。

「清秋を事情聴取しても、おそらく言い逃れするでしょう。ディベートに長けたヤツです。尻尾を掴ませることはしない」


「では、どうすれば?」

「接触せず、放っておいてください。監視をつけたら、すぐに気づきます。放っておいて、警察の捜査がヤツに及んでいないと思わせるのです」


 その上で、洞窟の警備を厳重に……それこそ、全戦力を投入するつもりで守ってほしいと伝えておいた。


 九星会に警察権力が介入したこと、洞窟の秘密がバレたことは、すぐ清秋に伝わるはずだ。

 地元の警察官は懐柔済みか、もとから信者だろう。どれほど情報統制しても、清秋の耳には入ってしまう。


 清秋はどう動くか? ヤツならば、信者を使って洞窟とエーイェン人の痕跡をなかったことにする。

 あらかじめ別の場所に、そのような荒事をする実働部隊を置いていてもおかしくない。


 つまりこれは、時間勝負なのだ。


 ヤツは、俺が2030年から来たことを知らない。

 俺が清秋に注目し、ライバル視していることだって知らない。


 ヤツの考えることを予想して、それを上回る対策を立てているなんて、知りようがないのだ。


「想定の三倍、いや十倍の警備をしてください。必ず、ヤツは破壊しにきます」

 エーイェン人の遺体と研究所をすぐに移動させることは困難だ。その間にヤツは、絶対に破壊しに来る。


 とにかく清秋は動くので人を配置しろと、俺は何度も念を押した。

 決してそれを本人に悟らせるなとも。




 俺はあとのことを公安警察にすべて任せて、山梨から帰宅した。

 途中で夕食を済ませたこともあって、家に帰ったのは午後九時をまわっていた。


 大変な日帰りの強行軍だったが、成果はあった。

 翌朝、公安警察から電話があった。


 本日、事件について報道があるが、あそこで見たものは他の者に話さないでほしいというものだった。

 もちろん、吹聴するつもりはないので了承した。すぐにテレビをつけて、ニュースを確認した。


 報道は、山梨県にある宗教法人『九星会』が、脱税や死体遺棄などの罪で捜査が入ったというものだった。

 組織的犯行の可能性があるため、今後も継続して捜査していくとして、ニュースは締めくくられていた。


 それ以外の情報は、社会に大きな影響を与えるため秘められたようだ。

 それでいい。もはや動かすエネルギーがないとはいえ、オーパーツの存在を明らかにする必要はないのだ。




『ねえ、プール行かない?』

 このあとどうしようかと考えていると、名出さんからそんな電話がかかってきた。


『あやめたちと一緒にプール行くんだけど……ちょっと、黙っててよぉ……それでね、大賀くんも、もう、違うって……いま電話中……うがっ』

 電話口から神宮司さんの声も聞こえてくる。水着がどうとか、言っている。


 面倒くさそうな臭いがする。

「用がないなら、切るぞ」


『わぁーっ! 待って! 待って! 切らないで!』

「切る」


『お願い! プール、プール、みんなで、一緒に行こ?』

 電話口から必死な声が聞こえてくる。


 面倒なことになりそうだからあまり行きたくないのだが、こういうのも付き合いの一つだろう。

「分かった。行くから……それでいつだ?」


『今からだけど』

「…………」


『午後二時に、矢橋(やばし)公園プールの前に集合でいいかな』

「……おまえ、今日誘って、今日行くつもりなのか?」


『そうだけど、変かな?』

 小学生か?


「……まあいい。まだ時間があるから、それでいい。じゃあ、切るぞ」

 時計を見たら、午前十時だった。


 午後二時といったら、夏の一番暑い時間帯ではなかろうか。

 俺は水着を買いに、駅へ向かった。




「大賀くーん!」

 集合場所に向かったら、名出さんが先に来て待っていた。


 手をブンブンと振っている。周囲の人がクスクスと笑いながら、微笑ましそうな顔を向けている。本人は気づいてないが。

「早いな」


「そうだけど、大賀くんも早いよね」

「俺は十五分前集合だ。それで五分前に行動を開始する」


「うん。そういうところは大賀くんらしいよね」

 名出さんが変な納得の仕方をしている。


 社会人たるもの、五分前には行動してしかるべきだろう。

 まだ高校生だが。


 神宮寺さんは時間ぴったりに、吉兆院は十五分遅れて現れた。

「いや~、なかなかセーブポイントに到達できなくってさ」


 吉兆院は相変わらずだ。

 俺を含めた三人から白い目で見られたのは言うまでもない。


「着替えたら、プールサイドで集合ね」

 ズンズンと中へ入っていく名出さんのあとに続いて、俺たちも建物に向かった。


 日差しはやたらと眩しかった。



徐々に完結に近づいてきましたね。

なんか今日、やたらと疲れると思ったら、「男女比」の方も投稿していたんだったと。あとあとがきが長い。(自分で言っておく作戦)


さて今回は、高度経済成長期及び、バブル期の一般的な農家についてお話します。といっても我が家の近所を語るだけですが。


経済が発展すると、会社が儲かります。すると会社を大きくしようとします。これを拡大生産といいます。たくさん従業員を雇って、規模を大きくしたり、店舗を増やしたりできます。


農家が儲かったらどうなるでしょう。規模を増やすことはできません。一日一万円で雇っても、経費を考えれば大赤字です。つまりいくら儲かっても、家族経営は変わりません。毎年同じだけしか生産できないので、これは再生産と言います。


拡大生産を続ける企業と再生産を続ける農家。これは第一次産業にありがちなことですが、サラリーマンと農家の貧富の差が開いていくわけです。

生活品の値段だけが上がり、所得はほとんど増えません。というわけで、農家は農業だけでは生活できなくなってくるのです。


私が物心ついた頃はそんな状況でした。

たとえば、野菜の価格が上がると、中国から大量に同じ野菜が入ってきて、価格が下がります。

日本と中国の気候が似ているため、作物の収穫時期が被ることが原因です。


野菜の価格が高いときにたくさん売ればいいんでしょ? と思うかもしれませんが、そんな時期はほんのわずかです。しかも、野菜の価格が高騰しているときは、天候不順などで、そもそも野菜が収穫できていないのです。

つまり、手元に野菜がなく値段ばかりが上がってしまう状態になります。野菜が高騰しても、決して農家が儲かっているわけではないのです。


昭和三十年ごろから、農家は酪農に活路を見出します。

たとえば牛の飼育です。乳牛ではなく肉牛です。仔牛を買って1年か2年育てて売るわけです。その売却代金の中から次の仔牛を買えば、その差額が利益になります。


牛の餌は藁や糠などです。農家にあるものを使います。

昭和三十年頃では、どこの家でも牛小屋があって、牛を飼っていました。

ですが、牛の飼育期間が徐々に伸びていきます。昔は1年か2年で引き取りにきてくれたのに、3年、4年と伸びていくのです。


いつ引き取りにくるかは業者の胸先三寸だったので、3年、4年後になると、利益は1/2、1/3になるわけです。買い取り価格が上がるわけではないので、農家はみんな「やってられない」と止めてしまいます。


私が物心ついたときには、牛を飼っているのは我が家を含め数件だけでした。

我が家は最後まで1990年の中頃まで飼っていました。


毎日、牛小屋から出して、30メートルくらい離れた日陰に杭でつないで飼っていたのですが、小学校低学年の頃はよく牛の背中に乗っていました。

だいたい足を折って休んでいるので、よじ登るわけです。

マンガ本を持って牛の背で漫画を読んだり、夏は牛の背で昼寝をしたりしました。

体重20キロとかそのくらいだと、おおらかだから気にしないみたいですね。


野菜の市場価格は、日によって変わるので、あまり参考にならないと思いますが、子供の頃は、小松菜一束5円とか10円なんてことがちょくちょくありました。一束10円だと、ダンボール箱に20束つめると200円です。ダンボールは中古を買うのですが、それが80円です。つまり利益は120円。それに種代、肥料代などすべて差っ引くと、利益はあるのかどうなのかという状況です。


小松菜は洗って水を切ってなど、丁寧に処理しますので、手間もかかります。1日働いてひとり120束から150束くらい作れます。とてもじゃないですが、生活できません。

他の野菜でも条件は同じです。スーパーで売っている価格の1/7くらいが出荷するときの価格でした。


なぜそんなことになるかというと、市場のシステムがあります。市場に出荷した野菜は、市場側がすべて買い取らなければいけないという規則があります。そのかわり、値段は仲買人などが自由に決めていいことになっています。

セリじゃないの? と思うかもしれませんが、野菜すべてをセリにかけたりしません。

遠くからやってくる共選の野菜がセリにかけられる程度で、市場に野菜を段ボールごと置いておくと、仲買人が値段を書いた紙をダンボールの上に置いて、一番高い人が買うことになります。

そのため、小松菜一箱200円と書いて、ほかにだれも買う人がいないとその値段で決済されます。


私も父が病気で畑に出られなくなったときに、仕事を引き継ぎましたが、愕然としました。買い取り価格が昔と変わっていないのです。

2000年代に入っても、小松菜の安い時期は一束20円です。一日朝から晩まで働いて2000円の利益(ここから経費が引かれる)なんてこともザラで、さすがにどうしようかと悩んだものです。一束100円はほしいです。


じゃあ、なんでやるの? と思うかもしれませんが、畑はいつもきれいにしてあり、しかも栄養が良い土壌なので、雑草がすぐに生えるのです。これが問題です。

畑同士は隣接しているので、雑草を生やすと、他の農家が嫌がります。

そして、農地は税金が安いです。ですが、1年中作物を植えないと、固定資産税は倍くらいに増えます。収入はないのに税金は増えて、他の農家に嫌がられる。さすがに放置はできません。


そこで駆けずり回って、大手スーパーと交渉。そこに置かせてもらうことにしました。農家の大黒柱はだいたいが老人です。60歳くらいでまだまだ現役。息子が30歳ちょい過ぎくらいでも、実権は握れていないのが現状です。

しかも当時の農家は「学があると口ばっか達者になって働かなくなる」と思っていたので中卒です。

各農家を回って説得して、仲間を集めてスーパーと交渉。新参者ですから、あちこちに気を使いながら、交渉をまとめた思い出があります。


そしてスーパーの野菜コーナーに「私達が作りました」という写真とともに置かれるわけです。

買取価格こそ上がったものの、条件はかなり厳しく、前日収穫したものを朝6時までに用意しなければいけません。しかも毎朝です。

そして当日詰めが原則なので、前日の夜に洗っておいた野菜を当日、箱詰めや袋詰めします。

朝5時からはじめると、伝票を書く暇がないので、だいたい仕事は4時半スタートです。

6時に家の庭に取りに来るので、それが終わったら畑に向かう。そんな毎日を過ごしていました。


ちなみに、JAの直売所にも卸すことにしたので、朝10時前までに野菜を並べにいきます。200袋とか、結構狂気の沙汰ですよ。

夕方5時以降に売れ残った分は回収という作業もやっていました。

見栄え良く袋詰するのも大変ですが、畑での作業と同時です。小さい頃、両親が深夜2時、3時まで働いていた理由が分かりました。作業が終わらないんですよ。


それ以外にも割愛しますが、親の介護がありました。自分の子の世話もあります。まだ手のかかる小さいのが二人。

そして使い切れない田んぼや畑をどうすればいいのか、走り回ってましたね。市街化調整区域なので、建物の建築許可が下りないんですよ。

役所がうんと言わないので、2年くらいタフな交渉をして、裁判所の成年後見課や地元の農業委員、自治会長などを巻き込んで交渉してもダメで、届いたらどうか分かりませんが、市長に陳情書を書いたあと、田んぼに建物を立てる許可をもらいました。


以前テレビで、子なしの老夫婦が、夫が痴呆で妻が介護。農家はできないから収入がない。自営業なので厚生年金もなく、そもそも生活が苦しい期間が長く、年金を払えていない期間があって、ろくにもらえていない状態。

土地があるから生活保護が受けられないし、法律で畑は農家以外には売れないし、農家はだれも買ってくれない。

夫を○して首をくくるしかないと妻が思い詰めていたときに、畑にコンビニを立てる許可を役所が出してくれたというニュースを見ました。


そこは市街化調整区域で、「自分で経営(店に立つ)する」なら許可は出るが、立てたあとに人に貸して家賃を取るのは認められない地域だったらしく、妻は土地活用を諦めていたようです。それが役所のはからいで、生存することができたと放映していました。(詳細はうろ覚え)


それを思い出して、父は病気で収入がない。このままでは畑を残して死ぬしかないと、市長に手紙を書いたのです。

許可が下りたのはその陳情書かもしれないと思っていますが、違うかもしれません。万策尽きていましたが、それでもあがいていたので、何が功を奏したか分かっていなかったりします。


あの頃が人生で一番忙しい10年でした。進学塾の教師をしていましたが、上記の理由で止めざるを得ず、ゲームライターとして結構頑張っていましたが、やはり上記の理由で何年も仕事を受けられませんでした。あの頃ちょうど、仕事関連の断絶がおきました。2000年から2010年のころですね。


落ち着いた頃に再開して、またゼロから人間関係を構築しながら仕事を増やし、いまに至った感じです。農家関連のあれこれさえなければ、きっと違った人生を歩んでいたと思ったりします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 平成以降の自民党には第一次産業守る気概が全くないので終わってますね。 一部かもしれませんが、農家の実態が知れて大変勉強になりました。
[一言] 誰も言わないのなら私が言います 永らくお疲れ様でした、今までの苦労は無駄じゃないです これから報われますよ。 本編(あとがき)が面白すぎてオマケが霞みます(笑) 更新ありがとうございます
[一言] 農業、想像以上の厳しさですね。 昭和50年代頃のアウディ乗ってる先輩のイメージが強かったのですが...
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