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未来屋 環エッセイ作品集

私が紡ぐ『僕』の物語 -教授はそれを『クロスジェンダーパフォーマンス』と呼んだ-

作者: 未来屋 環

 みなさん、こんにちは。未来屋(みくりや)たまきと申します。

 最近とみにさむいですね。

 リーマンの4Qは嵐のように去っていくので、穏やかであたたかい春が待ち遠しいです。


 さて、今回久々にエッセイを書きます。

 というのも、先日とあるエッセイ作品を読ませて頂いた中で、「エッセイもっともっと読みたい!」「そこのあなたも書きましょう!!」という力強いエールを頂いたからです。

 私は創作論が結構好きなので、色々な方のエッセイ作品を読ませて頂きながら「はーそうやって構想を練っているのね」とか「へーそういう書き方もあるのね」と日々勉強をさせて頂いております。


 なので、頂いたエールを真に受けて、最近自分の中で目からウロコだったことについて書きたいと思います。

 なお、これから書くお話は創作論という程高尚なものではありませんので、「ほーこのひとはこうなのね」くらいのスタンスで楽しんで頂けたら嬉しいです。



 ここで、唐突ですが書き手のみなさんにお伺いしたいことがあります。



 ――それは、作品の『語り手』の性別に関して。



 みなさんは一人称語りの作品を書かれる時、語り手は自分と同性の方が書きやすいですか? それとも同性でも異性でも特に変わりないでしょうか?


 ちなみに、私は語り手の性別によって書きやすさが変わらない人間です。同性であっても語り手は(私小説やエッセイを除けば)自分とは別人格ですから、想像しながら執筆を進めるという行為自体は同性も異性も変わりがないためです。

 一方で、書かれた文章としては、比較的書き手と同性の語り手(つまり私(=女性)のケースですと、女性の語り手)の方が違和感なく読まれやすいのかなと思っていました。語り手との共通項やこれまで過ごしてきた経験値は同性の方が多いからです。

 そういう意味で、異性の語り手の際には、読み手の方が違和感を感じないよう注意しながら書いているという違いはあるのかも知れません。



 ――しかし、その考えは、或る相手からの指摘によって揺らぐこととなります。



「未来屋さんの作品は、男性が語り手の方がよく書けているね」



 そうはっきり断じたのは、私が大学時代にお世話になっていた国文学の教授でした。


 私が教授に出逢ったのは受験生の頃――いわゆるオープンキャンパス(学校見学会)の場でした。

 その際「作家になりたいんだったら〇〇大学(文化人を多く輩出している某大学)に行けば?」と言い放たれたのが、彼とのファーストコンタクトです。

 私もその頃は血気盛んな若者でしたので、「それもそうですね。じゃあ〇〇大学に行きます!」と売り言葉に買い言葉という状況だったのですが(今思うと失礼ですね……)、結果的に夢破れて母校に入学し、そこで教授と再会しました。


「あれ? 君、〇〇大学行くんじゃなかったの」と言う教授。

「そのつもりだったんですけど、見事に落ちました」と答える私。

 すると、教授は少し考えて言いました。

「それなら、僕の授業を取りなさい。僕は文学作品の書き方は教えられないけれど、文学作品の(たの)しみ方は教えてあげられるから」


 そこから様々な経緯があり、現在(いま)では定期的に互いに書いた作品を送り合うという少し不思議でありがたい関係性を築いています。



 そんな文学の専門家から届いたメッセージは、私にとって目からウロコでした。

 というのも、私は比較的女性が多い環境で育ってきたからです。それこそ社会人になってからは男性が多い環境にはなりましたが、思春期を過ごしたのは女子校ですし、自身も女性です。

 それなのに、男性の語り手で書いた作品の方がよく書けているとは……。


 もしかしたらその時送った作品の質の問題かも知れないと考えた私は、その後も教授に何度か作品を送りました。

 しかし、決まって評価が高いのは女性視点ではなく男性視点の語り手のものだったのです。私にとっては非常に印象的な出来事でした。



 このように、書き手が異性の語り手で作品を書くことを『クロスジェンダーパフォーマンス』と呼ぶそうです。


 よく考えてみればこれは文学作品に限ったことではなく、J-POPで女性シンガーやアイドルが『僕』と歌うことにも通ずるのかなと思いました。

 私が思春期の頃には、一人称『僕』の歌姫の曲が大ヒットを連発していました。もしかしたら『私』でも良かったのかも知れませんが、あの曲達は少し中性的な色を感じさせる『僕』だからこそしっくりきていたように思います。

 一方で、男性シンガーが歌う『私』の曲には何とも言い表せられない色気が感じられ、こちらも名曲が多いです。

 知らない内に私も『クロスジェンダーパフォーマンス』の作品に多く触れていたのだなぁと気付いた次第です。



 ちなみに、自分の身に翻ってみると、なろうに投稿している一人称語りの24作品中、女性語りは8作、男性語りは12作、男女混合は4作でした。

 あまり意識していませんでしたが、男性語りの作品の方が多かったとは。これも今回改めて気付くことができたウロコポイントです。

 あとは、特に恋愛作品だと語り手から見て異性の描写をするケースが多いので、もしかしたら男性より女性を(えが)く方が得意なのかも知れません。


 そんなわけで、いつか教授に「未来屋さん、女性が語り手の作品もよくなったね」と言わせるというのが目下の目標となった今日この頃でした。



 ――さて、それではここで、もう一度お伺いしたいと思います。


 あなたは一人称語りの作品を書かれる時、語り手は自分と同性の方が書きやすいですか? それとも……。



(了)

最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。

いつか書こうと思っていたネタだったのですが、件のエッセイ作品に背中を押して頂いて書きました。

もしよろしければ「自分はこっちの方が書きやすいよ」「読む側としてはこうかなー」など、感想欄にでも残して頂けると嬉しいです。実際どちらの方が書きやすい方が多いんでしょうね……?

理想は「どちらも変わりなく面白いね」と思って頂けるような作品を書けることですね! これからも修行を積んでいきたいと思います(`・ω・´)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 非常に興味深く読ませていただきました。かなり貴重なお話だと思われたのでしばらくこのエッセーを参考に自分の書き方についても考えてみていました。 未来屋さんの作品の語り手は己を俯瞰している部…
[一言]  同性でも異性でも、書きやすさはあんまり変わらないですね。  なぜかというと、恋愛ものを書くことが多く、主人公が男性であれ女性であれ、必ずパートナーが出てくるからです。  鷹羽の場合、視点変…
[一言]  この件で考えるところがあり、石江京子様の活動報告で紹介を読んでやってまいりました。「クロスジェンダーパフォーマンス」かっこいい響きですね!  私は性別は女性なのですが、男性一人称で勢いで…
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