1-2 容認
「このように、各属性は強弱、相殺、相乗、そして不干渉と言う関係性になり……」
部屋の中は、講義する女性以外に声を発する者はいない。
「属性の相互性を理解することは、世界全体を理解することであり……」
属性学。世の精霊属性である、火、風、地、水、光、闇を系統立て、様々な事象を分類することで世界の真理を探究する、最も高尚な学問。これを制する者は世界を理解する。そうだ、これは高尚な学問だ。それなのに……
「このガキ。よくもまあ、私の授業で堂々と……!」
属性学講師マリットは、最前列で堂々と居眠りをする少年へ目がけ、地の精霊魔法『ストーンバレット』を詠唱する準備を始めた。
自分の講義には自信がある。精霊魔導士としての腕も一流だ。見た目も悪くないと自負している。それに加えて生徒には厳しく指導を行っており、まさかこの期に及んで自分の講義で居眠りをする重大犯が現れるとは夢にも思っていなかった。つい先日までは。
ところが、ヤツの所業は今日で数える事三回目だ。
“カーン、カーン、カーン、カーン”
「チッ、命拾いしたか。」
終業の鐘が鳴り、ストーンバレットは不発に終わった。
「はい、それじゃあ、今日の講義は終わり!」
一気に教室が騒がしくなる。マリットも講義の後片付けを開始する。
「おい、エリオ!」
次回は無詠唱でのストーンバレットを決意したマリットが目を上げると、先ほど居眠りしていた生徒、エリオへ一人の少年が話しかけている。
「ヴァンさん、戻ってきてるらしいぜ。」
「マジ!?」
勢いよく飛び起きたエリオという少年は、ヴァンという先輩に執心だ。ヴァンは既に一人前のギルド員であり、仕事もいくつか……というより、かなりの数をこなしている優秀な人物だ。
エリオはギルド員養成学校で授業を受ける、いわゆる学生であり、ギルドの見習いですらない。実はマリット自身、エリオの実力を認めるところもあるのだが、いかんせん不真面目で、特に座学は徹底してサボる傾向がある。身近に優秀な先輩がいて、自分自身も中途半端に実力があるため、一刻も早く実戦を経験したいようだ。
「ちょっと俺話してくる!」
マーセナリーズ・ギルド。城塞都市ヴァンス中央区にその本部を置く傭兵集団。ただし、傭兵とは言っても、基本的に国家間の揉め事には加担せず、中立を是としている。
害獣の駆除や要人の護衛、物資の輸送などの公的なもの、また一般人からの私的な依頼も請け負う便利屋としての側面も強い。むしろ一般的には後者の印象が強いだろう。
ギルド、すなわち組合という概念は古くから存在し、元々は商人たちが相互扶助や競合回避、または政治への抵抗勢力として組織したことが始まりと言われ、その後、鉱山ギルドや学士ギルド、果ては盗賊ギルドなど、裏社会にも広がっていった。
マーセナリーズ・ギルドは比較的新しい(それでも二百年の歴史を持つ)が、先述の便利屋としての認知度から、最も一般人と関わりのあるギルドとして、『ギルド』と一言でいえばマーセナリーズ・ギルドを指すほどとなっている。自らを戦士と位置づけ、便利屋としての側面を嫌う者たちも存在するが、その多大なる貢献度から、一般人からの受けは良く、その構成員は子どもたちの憧れの職業でもある。
そのギルドの受付カウンターで、ある人物を見つけた少年は目を輝かせた。
「ヴァンさん!」
ヴァンと呼ばれた青年は、何やら書面にサインをしているところだった。青みがかった黒髪は清潔に整えられ、実直な態度と誠実そうな目つき、つや消し処理のされた黒い鎧を身につけた隙のない佇まいをしている。彼はエリオの憧れだ。ギルドの中でも相当の実力者であり、しかも若くて自分と歳もそんなに変わらない。
自分にも自慢の姉がいるが、彼が兄だったらどんなに良いだろう。そうだ、兄になってもらえば良いのだ。姉は美人で優しくてスタイルも良くて、オマケに強い。控えめに言ってもそこいらにいる女性とは比べ物にならないし、並の男では釣り合わない。だが、彼は姉とお似合いだし、二人もお互い知らない仲ではない。と言うか同期だし、むしろパートナー?だし。あれ?これってもしかして、本当にあり得るんじゃ?
姉にヴァンを紹介されてから、この結論に至るまでに時間はかからなかった。かくして、少年の涙ぐましい努力の結果が実ったのかは定かではないが、少なくともヴァンさんと姉の仲は悪くない。むしろお互いに憎からず思っているはず。という少年の確信にも似た妄想は、ヴァンの隣にいた人物を視界に捉えた瞬間に霧散した。
「って、ラディアスもいたのか。」
「俺は呼び捨てかよ。」
少し長めの茶髪に鋭い目つきをし、黒い革鎧に黒いマントを纏った青年は、低い声で静かに、短く言い捨てた。
この男、ラディアスはヴァンやエリオの姉と同期であり、よく三人で依頼をこなしている。エリオはラディアスのことを特段嫌っているわけではないが、どうしてもヴァンと姉の間に割り込む障害のように思えて、ついぞんざいな態度を取ってしまっていた。実はラディアスも、ギルドで五指に数えられる実力者だ。本来なら、エリオのような見習いが気安く話しかけていい相手ではない。それでも一応面倒臭そうに相手をしてくれているのは、見た目や態度に反して後輩思いな彼の性格故だろうか。
「やあ、エリオ。相変わらず元気だな。」
すまない、とカウンター越しの受付嬢へ一言挨拶をすると、ヴァンはエリオへ振り向いた。
「それだけが取り柄っすから!」
「自分で言ってたら世話ないぞ……。」
「ところでヴァンさん、いつになったら俺を一緒に連れて行ってくれるんですか?」
ラディアスのツッコミも無視して会話を続ける。
「だから、それはお前にはまだ早いと……」
ヴァンが諭すように言うが
「そんなことないですよ! 俺、実技では成績トップですよ!」
畳み掛ける。
「実技では……ね。」
ラディアスが呆れたように呟いたが、その後彼が放った言葉に、他ならぬエリオ自身も驚く事となった。
「ま、一度ぐらい連れて行ってやっても良いんじゃないか?」
「ラディアス、本気か?」
「ああ、そのかわりアレだからな。」
意外な方面からの援護射撃で事態を飲み込めていなかったエリオも、流石に次の一言を聞いて飛び上がった。
「わかった、仕方ない。そのかわり、ファンナにもちゃんと話をしないとな。」
どうやら話は決まったらしい。
「またエリオがワガママ言ったのね……。」
一旦ラディアスと別れて、ヴァンと二人で自宅に帰ったエリオは、そこで姉の説得を行っていた。
右手を額に当て頭を抱え、左手の人差し指で少し癖のある長い金髪をくるくると巻き取るような仕草。これは彼女が悩むときの癖でもある。
「わかった。一緒に行きましょう。」
ため息混じりに、エリオの姉、ファンナは事態を了承した。
というのも、ヴァンの発案によりファンナの依頼に同行するという形を取ったからだ。彼女の受けた依頼は廃坑の調査だった。
城塞都市ヴァンスはマーセナリーズ・ギルドで有名だが、実はその装備を潤沢とさせる鉱山資源にも恵まれている。特にエルニオル鋼と呼ばれる合金は、周辺から採掘される質の良い鉄鉱石が原料となっている。
ある一人の男が見出した鉱山資源は、彼の持つ深い知識と製鉄技術も相まって、世界有数の武具生産地を生み出した。必然、その土地には集落ができ、そしてそれを守備する集団も発生する。この集団こそマーセナリーズ・ギルドの前身であると言う。彼はこの集団を束ね、その庇護を求めた弱者を守り、集落は街へと発展した。そして、それらの功績が認められ、時の王から『エルニア辺境伯』に叙された彼は、その戦いの苛烈振りも合わさり『戦神エルニア』の二つ名で呼ばれるようになった。
有名な英雄物語の誕生である。
閑話休題
一昔前にはこの良質の鉱石を求めて『エルニオルラッシュ』と呼ばれるある種のブームが引き起こされた。質の良い鉱石は高値で取引され、それによって違法な採掘や盗掘が頻発し、計画外の拡張をなされた鉱山は坑道の強度を保てなくなり崩壊に至る。
長年そのまま放置されていたが、ここ最近になって、崩れた鉱山を完全に封印するために、爆薬を使った人工崩落を起こすという計画が具体的に進みだした。
すでにブームが過ぎ去った鉱山での違法で危険な採掘を行う輩は皆無となっているが、逆に野党や山賊、あるいはモンスターの類が鉱山跡を根城とする事例が報告されており、爆破封印を前に安全性の調査と確保を、エリオの姉であるファンナが請け負ったのだ。
当然ながら単独での遂行は難しいため、ヴァン、ラディアスも同行する予定だった。そこにエリオが加えられた形だ。
「ただし、足手まといになったら置いてくるからね?」
「姉ちゃん、それ本気だろ?」
言葉と裏腹に声色は喜びを隠しきれていない。初めての依頼に心躍る様子の少年を見て、年長者二人は互いに目配せをし、そして苦笑いするのだった。