1-1 粛清
“ゴオォン!“
大きな衝撃音の後に、石垣が音を立ててガラガラと崩れた。
「うわっ!」
石垣を一撃で破壊した攻撃を繰り出した相手と、それを辛うじて回避し、尻もちをついた金髪の少年との間に割って入った影は、右手の得物を振り上げた。
「このっ!」
何かが回転しながら空を舞った。
「エリオ、やれ!」
甲殻に包まれた“腕”が宙を舞い、それが地面に到達する前に体勢を立て直した少年は、短槍を敵の頭部目掛けて突き上げた。
「ギィアアアアァァァァ……!!」
断末魔を上げ、敵が崩れ落ちる。
それと殆ど同時に、先ほど敵の腕を斬り飛ばした青年は体を捻ると、素早く得物である片手斧を放り投げた。
「ギャンッ!」
回転しながら一直線に投擲された斧は、二人を目掛けて突進してきた魔狼の脳天をカチ割った。その巨大な体は短い断末魔を残して力なく転がり、そしてもう動かない。
「お見事。」
青年は腰に差した剣を抜きながら、今倒した敵から槍を抜こうと四苦八苦している金髪の少年に声をかけた。
「ありがとうございます。ヴァンさん。」
金髪の少年エリオは、剣を抜いた青髪の青年ヴァンに礼を言う。
「でもヴァンさんの方が、ずっと凄かったっス!」
「その槍は諦めろ。ここからは剣で行く。途中使えそうなものがあったら使うぞ。」
「了解っス!」
心なしか嬉しそうに腰の剣を抜くエリオ。
「こいつとの戦闘を経験しておいて良かったな。とは言え、なかなか厄介な状況だ。どこかでみんなと合流して対策を立てよう。」
頭部に槍が刺さったまま動かなくなった敵を一瞥し、ヴァンがエリオに話しかける。
「了解っス。でも、いったい何が起きてるんですかね?」
本当に、一体何が起きているのか……?
“カンカンカンカンカンカン……。“
今までに聞いたことのない、できれば一生聞きたくなかった鐘の音が聞こえる。敵襲の合図だ。
敵襲。敵?確かに敵だが、なぜ?
ここはヴァンス。海と山、そして高い城砦に囲まれた、難攻不落の城塞都市である。
その造りもだが、この街には『ギルド』がある。マトモな神経をしていれば、この街を攻めようなどとは思わない。だが、現実は……。
そこら中で人の叫び声、泣き声、獣の咆哮、剣戟の音、騒々しいなんてものじゃない。まるで戦争だ。
「……!」
一瞬、大きな影が横切った。北から南へ、港の方向へ。
そして、その直後、目の前が歪んだ。
比喩ではなく、空間が歪んでいる。真夏の石畳に見られる陽炎のような、いや、もっとはっきりと、ぐにゃりと完全に歪んでいる。その歪みが次々と現れ、二人は吐き気をもよおすような、気味の悪い感覚に襲われた。これはあのとき感じた……。
「まさかこんなところで……?!」
ヴァンが思わず声をあげる。先ほどまで歪んでいた空間はいつの間にか元に戻り、代わりに有機物とも無機物とも、虫とも動物とも見える、そもそも生き物かもわからない、悪意……そう、悪意の塊を形にしたようなモノがいた。
まずい!
言葉にならなかった。体が言うことを聞かない。
直視することすら憚られる悪意。そんなモノを溢れさせながら、音もなく叫ぶソレは耳の奥で響くような、言葉にならない何かを発していた。
───恐怖。いや、それとは違うかもしれない、本能が停止する感覚。死すら思考できないほどの絶対的な拒絶感。
ソレが音もなくヴァンへ近づき、そして腕のような、触手のような体の一部を振り上げる。やられる……!
まともに見てしまったな。やけに冷静な思考でそんなことを思う。
“ヒュンッヒュンッ!“
二人には、何が起こったのか一瞬理解できなかった。
「キヨオオオオオォォォォォォォォォ!!!」
一閃。ソレは真っ二つに切断され、耳をつんざくような悲鳴のような大音量を発した後、姿を消した。
「な、なにが……?」
何が?いや、何が起こったのかは理解できる。問題は誰がこれをしたか、だ。
「まさか混沌まで絡んでくるとはな。」
ぐぐもった声が聞こえた。
そこには、全身を鈍色のプレートメイルで覆い、長剣と盾を手にした人物が立っていた。フルフェイス型の兜のバイザーを下ろしており、顔は見えない。声がぐぐもって聞こえているのはそのせいか。声と体格から、男性であることは間違いないだろう。鎧と兜に見たことのない紋様が刻まれている。よく見ると剣の刀身と円形の盾の外周にもだ。豪華ではないが貴重なものだ。一目で分かる。
「おい、お前たち。アレは悪意の顕現だ。まともに見たら恐怖で動けなくなるぞ。」
全身鎧の男が話しかけてきた。
「ありがとうございます。助かりました。」
ヴァンが礼を言う。
「以前ヤツとは戦ったことがありまして、あの攻撃も知っていたのですが……。」
本当に正直だな。とエリオは思う。
本来戦士は他人に弱みを見せるべきではないのだ。
「ふむ、未熟だな。だが露払いぐらいには使えそうだ。ついてこい。」
少し考えた男からは全く予想外の言葉が発せられた。
見ず知らずの男からの突然の指示。しかし、本能が信じても良いと告げている。
「え、どこへ……?」
エリオが当然の質問をする。
「奴らの頭を叩く。さっき影を見ただろう?港だ。」
言うが早いか、男は駆け出した。
「はやっ!」
エリオが驚くのも無理はない。あれだけの重装備で、その走る速さは軽装歩兵の全力疾走と遜色がない。とてつもない脚力だ。
「き、貴殿はいったい何が起きているのかご存知で?」
全力に近い速度で走りながら、ほとんど叫ぶようにヴァンが問う。当然だ、ヴァンとエリオは先ほど商店から出た瞬間、いきなり街中での遭遇戦となったのだ。
「私の事はシギルと呼べ。これは大規模襲撃、お前たちの言う『粛清』だ。今からその首謀者を叩く。そうすれば収まる。」
これだけの速度で走りながらも、声にはずいぶん余裕がある。
「しゅ、『粛清』!?」
だが二人を本当に驚かせたのは、その言葉に含まれたただ一つの単語だった。
粛清?これが?
だが、すべてが納得できる。『粛清』この言葉のみで。
「兆候はあったはずだ。見逃していたのなら、ギルドが聞いて呆れるがな。」
何を、と反論しそうになったが、兆候という言葉が意識を過去へと引き戻す。兆候はあった。あったはずだ。