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Philistia  作者: 桜田文也
第二章
35/39

2-5 ふたりの出自

 ベッドの上で起き上がる。夜も更けて明かりになるものは無い。手探りで杯を探す。

 目が冴えてしまった。時々ふとこうなることがある。

 もう少しだ。もう少しで上手くいく。そうすれば、すべてが思い通りになるはずだ。そうすれば……。

 何度も夢想した。

「ククク……。」

 思わず笑いがこみ上げてくる。

 手に持った杯の中身を一気に煽る。気分が良い。

 概ね順調だ。想定外もあったが、より良い方向へ進んでいる。

 だが、まだやることがある。もう少しの辛抱だ。

 あの女を利用すれば、望むものが手に入るのだから……。




「母はここの一人娘で、両親、つまり私達の祖父母と共に暮らしていたそうです。」

「ある日、とある貴族の見初められ、屋敷に奉公する事になりました。既に母には婚約者も居たのですが、逆らえるわけもなく……。」

「ええ、事実上の妾です。そして、私達二人が生まれました。」

「実は、当初私はアリスの存在を知らなかったのです。生まれてからすぐに別々に育てられました。ですので、ここからの話は私自身の話です。」

「私はその貴族の屋敷で育てられました。妾腹とは言え、世間体もあったのでしょう。」

「ただ、待遇自体はあまり良くありませんでした。屋敷と言っても私と母が住んでいたのは庭の離れの小屋で、今思えば使用人の厩舎のほうがましな建物だったかもしれません。」

「特に正妻の子である兄や姉からの当たりが強く、それに乗じた使用人にも色々な目に遭わされましたね。」

「私自身はそれが当たり前の事でした。それどころか、貴族として()()しているのだという兄や姉の言葉を鵜呑みにし、私の中でも平民を見下すような感情や言動が芽生えていたことも事実です。」

「母は時々本館に呼ばれ、その度に私に本を持ってきてくれました。文字と簡単な計算も母が教えてくれました。」

「そんな中、庭師の男は私達母子を色々気にかけてくれていました。」

「最初は私達に媚びているのだろうと思っていたのですが、私も徐々に彼に心を許すようになっていきました。」

「十歳を過ぎた頃、母が突然顔に痣を作って帰ってきました。」

「転んだだけだから心配するなと母は笑っていましたが、そんなはずはないことぐらい分かります。ただ、どうすることも出来ませんでした。」

「同じ頃、()()は益々エスカレートしてきて、私もそれどころでは無かった……というのは言い訳に過ぎませんね。」

「彼らの()()が行き過ぎたのか、最初からそのつもりだったのかはわかりませんが、私も右腕にこのような怪我を負わされました。」

「ああ、日常生活には問題ありません。流石に剣を持ったりは出来ませんが。」

「この怪我を負って数日後、庭師の男が慌てた様子でやってきたかと思えば、母が大怪我をして医者に運ばれたと言って、私を屋敷から連れ出しました。」

「着の身着のまま屋敷を出て、数時間走ってから気が付きました。医者に、母の居るところへ向かっているのではないと。」

「問い質すと、男は大きくため息を吐いて私に向き直り、こう言いました。」

「君の母親は自分の目の前で殺された。このままでは君も殺されるだろう。だから遠くへ逃げなくては。」

「馬鹿馬鹿しいと一蹴しようにも、その時の男の顔は嘘を言っているようには見えなかった。」

「そのまま何日か逃亡し、この宿屋までたどり着きましたが、すぐ前で貴族の馬車とすれ違いました。」

「宿屋に入ると、初めて会った祖父母が泣いていました。すれ違った馬車は母の死を知らせるものだったようです。もっとも死因は病死とされていましたが。」

「そこで初めてアリスと出会い、そして助けてくれた庭師の男の正体を悟りました。」

「彼が私達の本当の父親だったのです。」

「母と本当の父との間に生まれた双子は、姉のアリスを母の実家、つまり祖父母が経営するこの宿屋に預け、弟の私はそのまま貴族の妾の子として育てられるように、二人で相談して決めたそうです。」

「アリスを見た瞬間、全て事実だとわかりました。アリスは母親似でしたし、私も母親似だったために、あまり不自然に思われずあの屋敷に居れたのだと思います。」

「父は私の死を偽装したあと、屋敷に戻ると言って出ていきました。そして帰ってきませんでした。」

「その後祖父母も亡くなり、二人でこの宿屋を切り盛りしています。」



「なるほど。」

 セティが顎に手を当てて得心が行ったという表情を見せた。テレスの知識は貴族の蔵書から得たものなのだ。

 とは言え、まともな教師に師事することもなくこれだけの知識を得たのだから、彼の非凡さは相当なものだ。

 だが、と考えた瞬間、ファルコがまさにセティが抱いていた疑問を口にした。

「グリゴリー氏のアリス殿に対する思い、というか執着は相当なもののように見えます。ですが、今の話とどう関係が?」

 アリスはたしかに器量好しと言える。気立てもよく、控えめに言ってもこの年齢まで結婚していないことが不思議なほどだ。

 だが、グリゴリーがここまで執着する理由としては弱い。見た目()()で言えば、代わりはいくらでもいるだろうし、性格についても勿論そうだ。

「ある日、グリゴリーが私に言ったことがあります。」

 どうやらテレスにはそれに対する答えもあるようだ。

「お前たちの正体を知っているぞ、と。」

「えーっと、つまり……?」

 アベルの顔に疑問符が幾つか浮かんでいる。



「それでは、次に彼、グリゴリーの話をします。当然私の知る限り、というものですし、多分に憶測のようなものも混ざりますが。」

「彼の話をするには、この国の貴族と経済についても少しお話する必要があります。」

「グリゴリーのフルネームは、グリゴリー・レノフ。彼はナザール・レノフ准男爵の長男です。」

「もっとも、ナザール氏の准男爵という地位も、金で買ったものだとか色々言われていますが。」

「ええ、王都で大きな力を持つ商会のひとつ、レノフ商会の長がナザール氏です。もともとキナ臭い話の多い商会でしたが、伯爵に取り入って今の地位を得た等という話も眉唾では無いのでしょう。」

「ご存知だと思いますが、この国で食糧に困ることは殆どありません。」

「収穫した作物を輸出し、代わりの贅沢品などを輸入して儲ける。これ自体は否定しません。」

「ですが、種を植えても収穫する必要が、収穫したものを運ぶ必要が、そして運んだものを加工する必要があります。」

「そう、大麦なら脱穀が必要ですし、小麦なら更に粉にする必要があります。単純な木ノ実でも収穫は必要です。」

「当然その作業をする人手が必要となります。昔はそれらを奴隷が担っていた。」

「ええ、その通り。奴隷は二百年前に廃止されました。ヴァン・スクラウドの功績の一つですね。」

「ところが、当時の貴族は当然農作業などしたことがない。ほんの数年で奴隷制と似たような制度を生み出しました。」

「農奴、と言われるものです。」

「農奴に対する税金はとても安く、貴族は(こぞ)って農奴を求め、自分の土地で働かせることで利益を得ています。」

「さて、その貴族に農奴を用立てていたのは誰なのか。そう、それがナザール・レノフその人です。」

「彼は数多くの農奴を貴族に売り、恩を売り、取り入って爵位を得たなどと言われています。」

「そしてその長男グリゴリーは、幼い頃から粗暴で短慮、手前勝手な性格だったらしく、ナザールも持て余したようです。」

「今はナザールは次男であるセルゲフを後継に考えているようで、グリゴリーは厄介者扱いのようですね。」

「グリゴリーは、ナザールからレノフの家名を名乗ることを禁じられているようです。」

「事態が悪くなったのは五年前、徴兵制が始まった頃です。」

「グリゴリーが百人隊長として兵役に就きました。腕力はともかく、あの性格で隊長など……。恐らくレノフの人間が手を回したのでしょう。体の良い厄介払いです。」

「あとはご存知のとおりです。彼は実家にも居場所は無い。だが曲がりなりにも社会的地位と力がある。」

「井の中の蛙とは言いますが、今の環境では彼の増長を止めることは出来ないでしょうね。」

「グリゴリーは百人隊長就任から更に横暴になり、二年ほど前からアリスに言い寄るようになりました。」

「彼は何処かで私の過去を知ったのでしょう。」



「私と母が住んでいたのは、現宰相ヴァレリ・アドロフ伯爵の屋敷なのです。」

「宰相?」

「おっと、大物の名前が出てきたぞ。」

 ファルコとアベルも驚きを隠せないようだ。

 貴族が町娘や侍女を手籠にし囲うなど、一昔前あたりはよく聞く話ではあったのだが、流石に最近は聞かなくなっていた。

 テレスの母やテレスを自分の屋敷から出さかなかったのは、それが外部へ漏れないようにするためなのだろうか?

「ヴァレリ・アドロフが宰相になったのは、今から十年程前です。」

 となれば、テレスがアドルフ邸から出奔したあとの話だろう。

「自分の私腹を肥やす事しか考えない貴族たちによって、内政はもう滅茶苦茶でした。それでも以前はフェルディナンド王は良い治世を()いていたと思います。」

 ここまで異口同音に聞く言葉。()()()フェルディナンド王は間違いなく賢王だったのだろう。ならば、やはり大きな疑問が生じてくる。

「フェルディナンド王の治世が乱れ始めたのは十年ほど前から。決定的に狂ってきたのは五年ほど前から……。」

 時期としては一致する。つまり、テレスはこの現状はアドルフ伯の失政だと言いたいのか。私怨にしては些か危険過ぎる考えではないだろうか。

「少なくとも、私はアドルフ伯がフェルディナンド王に何らかの影響を与えているのは間違いないと思っています。」

「テレスだけではありません。恐らく国中の人間がそう思っていると思います。」

 アリスの言う通り、少し考えればこの結論にたどり着くだろう。

「そして恐らくグリゴリーも……。」


「えっと、つまり、グリゴリーはアリス殿がアドルフ伯の娘であると勘違いしている?」

 アベルが半笑いで指摘したが、テレスが深くうなずくのを見てあからさまに大きなため息を吐いた。

「私とアリスが姉弟であり、私と母が貴族の屋敷で暮らしていたと知れば、アリスがアドルフ伯の血を引いていると勘違いしてもおかしくはありません。ただ、グリゴリーはまだその事を隠していると思います。」

「強引にでも結婚してしまってから、あとから『実は妻が伯爵家の血を引いていました』と公表すれば、一目置かれる存在になれると考えていると?」

「そんなところでしょうね。うまくやれば伯爵に近づけると考えているかもしれません。見積もりは甘いですが……。」

「そりゃ執着もするわけだよ。」

 あまりの馬鹿馬鹿しさに、その場に居た全員が大きくため息を吐いた。

「勿論事を成す前に発覚してしまえば、弟であるセルゲフにアリスを取られる危険性があることも承知していると思います。それぐらいの悪知恵は働くようです。」

 アリスを餌に権力を握るのが目的と考えれば、なるほどグリゴリーのアリス対する執着も頷ける。

 憶測だと笑い飛ばせないあたり、グリゴリーの人間性の評価の低さが物語っている。

「だったら普通に口説けばいいのに。」

「絶対に嫌です!」

 そして思わずアベルの口から出た言葉をアリスが即座に否定した。グリゴリーには彼女の心を射止めることは最早不可能であることが改めて確認された。


「現段階でアリスの存在をアドルフ伯に知られるわけにはいきません。」

 そういう意味ではグリゴリーとテレスの思惑は一致している。薄氷の上で踊り狂うような危うさの上でだが。

「どうするつもりだい?」

 アベルの質問にテレスは黙って俯いた。アリスも目を伏せって俯いている。

「彼に、すべて話します。」

 目を上げたアリスが決意の声を上げた。

「待って下さい。それでは貴女は……!」

 ファルコが思わず叫んだが、アリスの決意は固いようだ。

「全て知れば、彼も諦めてくれるかもしれません。」

 いや、むしろ逆上して何を仕出かすか分からないのではないか。

「それに、以前から二人で決めていたことなんです。何かあったときには、と。」

「しかし……!」

「ファルコ様、私達のせいでこれ以上誰かが傷つくのは見たくないのです。お願いします。」

「これはある意味賭けです。ですが状況としては悪くない。」

 テレスがアベルを見た。

 成程、アベルを護衛としてアリスに同行させるのだろう。グリゴリーもアベルの実力は見抜いていたようだ。

「決闘は三日後。ファルコ、君はそれまでに姿を隠すんだ。」

「テレス、君は私に決闘を反故にしろと?」

「自分が何を言っているかは分かっている。だがあいつは君を殺す気だ。何があっても君を失うわけにはいかない。それぐらいわかっているだろう?」

 誇りを捨てて逃げろ、と言っているのだ。それは死よりも屈辱だろう。それだけで斬り付けられてもおかしくない。

 それをわかっていても尚発したこの言葉だ。

「テレス、君は……。」

「お願いだ。このままだと君を監禁しておかなければいけなくなる。」

 ファルコがそれぞれの顔を見渡す。アリスはまた目を伏せって俯いており、セティが小さく頷き、アベルは少しニヤリと笑った気がした。

 ファルコがふう、と大きく息を吐いた。

「わかりました。ただ、事が済んだら必ず戻ってきます。」

「アリス殿の護衛は任せなよ。指一本触れさせないさ。」

 こ言うときに、アベルのこの飄々とした態度には救われる。セティは心からそう思った。

「ええ、アベル殿、セティ殿、あとはお願いします。」


「ファルコ殿、出発するなら明日早朝が良いでしょう。それに身を隠すのに良い宿を知っていますので、今のうちにお教えしますよ。」

 セティとファルコが連れ立って席を立った。

「さて、こっちはこっちで今後のことを考えないとね。」

 アベル、テレス、アリスの三人は席に残り、これから三日後、グリゴリーとの対決について話し合いを進めた。

 程なくしてセティも合流し、話し合いは深夜まで続いた。


 翌朝、皆が目覚めた頃にはファルコの姿は無かった。

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