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Philistia  作者: 桜田文也
第二章
34/39

2-4 寂れた王都

 日はすっかりと落ち、月のない夜は静かな闇に包まれている。静まり返った街路には、民家の窓からわずかに漏れ出る光のみがヒトの存在を証明していた。

「ご無沙汰しております。」

 裏路地から低い声。

「お前が現れたということは、やはり彼は……。」

 自分はここに誘い出された。勿論ある程度相手の予測は立っていたのだが。

「ご明察にございます。」

 低い声の主の顔は見えない。

「些か不用心ではないか?」

「貴方様と共ならば。」

「私に押し付けるのか?」

 少し不満そうな声を出してみる。

「滅相もない。では、これにて。」

 声の主の気配が消えた。不満そうな声の効果は無かったようだ。勿論実際に不満があるわけではない。

 だが、一つ仕事が増えてしまったことは間違いない。




「さて、予想通りですね。」

 豪奢で堅牢な城門を抜け、歩きながらセティがアベルに話しかける。

 先程教皇からの書状を持ち、謁見の許可を得るためにそれを文官へ渡してきたところだ。

 ザビオラからの使者が二人だけという事に怪訝な表情をされたが、レーンベルク、ドレール両家名の名乗りと教皇の封印を押された書状を確認し、突然慌て始めた様子の文官に少しばかりの同情心が芽生えた。

「王は多忙につき、後日使者を送りご連絡いたします。」

 一刻ほど待ち、文官が申し訳無さそうな表情で予想通りの返答を寄越した。宿泊場所を伝えて引き返した。

 これで漸く今回の旅の目的のほんの入り口に立つことが出来たのだ。


「しかしこれは想像していませんでしたね。」

「まさかずっとこんな感じだとはねぇ。」

 セティとアベルは二人で周りを見渡しながら、ため息に近い言葉で会話をしていた。もう城門をくぐって馬車に乗り込んでから半刻ほど進んだところだ。

 世界最大の領地を誇るアルトリア王国。その王国の首都。人口は二十万人とも言われている。

 その割には活気がない。この王都に入ったときの最初の印象だった。

 そしてそれは未だに覆らない。


 ファルコの容態が安定し、日常生活に支障が無い程回復したのを見計らい、二人は本来この国に来た目的を果たすため、王城へ赴いた。

 王都の中心にある王城までは西門近くの宿屋からでは馬車で丸一日かかってしまう。宿泊も考えると三日は空けなければならないため、万が一ファルコの容態が急変した際に備え、遠出は控えていたのだ。それも杞憂に終わったことは幸運であったと思うべきだろう。

 それよりも目下の問題、そして疑問は、先程から二人の会話に表れている件だ。

「何でこんなに人がいないんだろうね?」


 正しくアベルの言葉どおり。最初は王城からも比較的遠い郊外、しかも早朝の出発であったためだと思っていた。しかし、日が昇り、王城に近づくにつれても、整然と並んだ建物の外に、整備された道に、噴水の湧き出る美しい広場にも、人は疎ら。武装した兵士がたまに巡回しているのみだ。これにはさすがの二人も面食らってしまった。

「これじゃまるで……。」

 地の精霊の加護により、この地で食料に困ることはないはずだ。綿花や亜麻と言った衣料品の原料となるものも同様。それどころか、豊かな大地は寒冷地に対応した毛皮や羽毛と言った防寒装置を備えた動物にとっても天国であるはず。勿論それを利用する人間にとっても。

 それなのに……。

「これじゃまるで、戦争中みたいだ。」

 時折見かける市民の顔もどこか暗いことがその印象を強くする。勿論戦争中などでは無いが、この寂れようには一番似つかわしい表現だろう。



「五年ほど前に、突然徴兵制を導入してから冷え込む一方です。」

 アリスが呆れたような口ぶりで掻い摘んで説明してくれた。

「徴兵制……。」

「ええ、強制徴用です。」

「なるほど、働き盛りの男手を突然奪われるのですから、当然と言えば当然ですね。」

 アリスの説明に、セティは得心が行ったようだ。だが、

「その、そんなに切羽詰まるほどの緊急事態があったのかい?」

 志願兵でもない兵士を一般市民から募るのには、当然ながらリスクがある。戦力は維持するだけで費用がかかるものだ。

 士気が低くなりがちな徴兵など、余程戦線に余裕がなくなった場合の最後の手段とすべきだ。

「あったと言えばあったのですが……。」

 アベルの質問に言葉を濁すアリス。五年前といえば……

「エルスですか?」

 セティのポツリとした呟きに、アリスは首を縦に振って肯定した。

 王都からは程遠い王国の端とは言え、自国領内の街が一晩にして消えたのだ。国として敏感になるのも理解はできる。自国の防備に躍起になることは何ら不自然ではない。

 だが徴兵程度でここまで国が疲弊するものだろうか。少なくとも女性や子供、老人などの徴兵の対象でない者たちは普段どおりの生活をしているはずだ。街中ではそれすら見かけなかった。国を守るために自ら疲弊していたのでは本末転倒だ。

「それに、最近行方不明者が何人も出ているんです。なのにいつまで経っても犯人は捕まらず、それどころか兵士たちがどんどん横暴になってきて……。」

 横暴な兵士とは間違いなくグリゴリー以下あの三人を指しているのだろう。だが、彼女の言い方からすると、他にも同じような輩がいるのだろう。もしかすると軍全体に及ぶかもしれない。

 そして彼女はもう一つ気になることを口にした。それについてセティが問いかけようとしたが、話し声に遮られた。


「つまり、君は王政そのものを廃止すべきだと?」

「そこまでは言っていない。ただ、王に権力が集中しすぎていることが問題だと言っているんだ。特に立法と司法の権力が一箇所にあるのは良くない。」

 二階から男性が二人、政治体制についてだろうか、討論をしながら降りてきた。

 侃侃諤諤。忌憚のない意見を言い合っているようにも見えるが、少し不用心ではないだろうか?

「いやいや、ちょっと待ってくれ。君の発言はとても危険だ。王の力を削ごうというのか?」

「それが国のためになるのなら、そうするべきかもしれない。」

 テレスの制止にもファルコは屈せずに持論を展開している。

 途中でセティとアベルに気づいたテレスが手を上げてファルコの論を遮った。

「心配しなくても口外しませんよ。」

 セティの言葉に、テレスは少しだけ安堵の表情を浮かべた。


 結局あの事件の後もファルコはこの場所に留まっている。

 アリスの説得に翻意したようだが、どのような会話がなされたのかは本人たちの口から語られることはなかった。

 その後テレスと政治や経済について議論し合うようになり、時にはほぼ徹夜で意見を交わし合っているようだ。

 当然外部に漏れれば反逆罪で捕らえられてもおかしくないような内容の会話であるが、幸いと言うには不謹慎だが、今この宿にはファルコの他にセティとアベルしか宿泊していない。

 それにしても、とセティは不思議に思う。二人とも何処でこのような教養を身に着けたのだろうか。


「ところで、皆さんは魂は何処に宿ると考えていますか?」

「突然どうしたんです?」

 セティの突然の質問にファルコが不思議そうな表情をした、次の瞬間、

 ”バンッ!”

 突然入口のドアがけたたましい悲鳴を上げた。

「お前ら全員そこを動くな!」

 ドアへの態度とその声から、わざわざ目で確認せずとも誰が来たのかその場にいた全員が理解できた。

 そしてグリゴリーが取り巻きを連れて、許可も得ずにずかずかと中へ入ってきた。

「グリゴリー殿、何事ですか?」

 落ち着いた、半ば呆れた様子でテレスがグリゴリーに問いかける。

「ここで謀反の用意をしているとの話があった。お前ら今何話していた?」

「ただの世間話ですが。ああそうだ、グリゴリー殿の意見も聞いてみましょう。」

 セティが白々しくもグリゴリーに向き直り、先程と同じ質問をした。

「グリゴリー殿、魂は何処に宿ると考えていますか?」

「はあ、何だそりゃ?」

 ポカンとするグリゴリー。

「いえ、今何の話をしていたのか問われたので。私は頭に宿ると考えていますが、グリゴリー殿は如何ですか?」

「私は心臓に宿ると思っているんですがね。こればっかりは昔からセティと意見が合わないんですよ。」

 アベルがセティに話を合わせてきた。

「ザビオラでは日常的に行われている問答なのですが、皆様にもご意見をお伺いしたくて。」

 そういう事になっている。

「俺は心臓だと思うな。死んだ人間は心臓が動いていないだろ?」

「俺は頭だと思うぞ。魂が抜けたやつも心臓は動いてたろ。」

 グリゴリーの取り巻きが思い思いの意見を言う。魂が抜けた状態とは、いわゆる気絶中のことだ。

「お前らも下らない事言ってんじゃねぇ!」

 取り巻きに怒鳴るグリゴリー。案外仕事は真面目なのだろうか。これが仕事であればなのだが……。

「本当にそんな話しかしていないのか?」

「ええ、我が女神に誓って。」

 たとえザビオラ教徒でなくとも、ザビオラ教の司祭が女神に誓うと言う意味は知っているはずだ。



「チッ。アリス。酒だ。酌をしろ。」

 諦めた、そして面白くない様子のグリゴリーは、予想を遥かに超えたセリフを吐いた。

「お出しできるものはありません。」

「そいつらには出せて、俺様には出せない酒があるのか?」

 呆れを通り越して感心してしまうほどの傍若無人ぶりに、アベルが堪らずため息を吐いた。

「そもそもお務めの最中ではないのですか?」

 アリスが前に出て、気丈に、そして明確に拒否の意を示した。

 それでも意に介さないのがグリゴリーの凄いところだ。今まで多くの悪党を見てきた身としては、そのあまりの小物ぶりに吹き出しそうになるのを我慢するのが大変なのだが。

 グリゴリーが怒りの表情でアリスに詰め寄ると、ファルコがアリスを庇うように前に出てきた。

「グリゴリー殿、ここは穏便に……。」 

「俺の女に触るんじゃねぇ、この軟弱野郎!!」

「誰が貴方の女ですかっ!」

 ファルコを恫喝したグリゴリーにすかさずアリスが反論した。か弱く見えて実はかなり気が強いのではという疑念は確信に変わった。

「行き遅れの没落女をこの俺様がもらってやろうってんだ。少しは感謝したらどうなんだ、この阿婆擦れが!」

「黙れグリゴリー!!」

 一瞬その場が静まり返った。

「私のことは良い。事実でしょう。だが彼女を侮辱することは許さない。」

 ファルコが静かに、だが明らかに怒りに満ちた声でグリゴリーに抗議する。その手は震えている。

「おい小僧。いまのは俺様に対してか?」

 背の高いグリゴリーがファルコを睨みつける。その目つきは完全に相手を見下している。

「他に誰がいると?」

 負けじとファルコが睨み返す。やはり彼は大物だろう。

 一瞬グリゴリーが怒りの表情となったが、何を思ったのか(おもむろ)に振り返り、入り口の方へと歩き出した。

 取り巻きも含めて、その場にいる人間が何事かと見守る中、突然振り返ったグリゴリーは、ファルコにめがけて何かを放り投げた。

「拾え。」

「……いけない!」

 アベルが叫ぶより少しだけ早く、ファルコが()()を拾い上げた。

「拾ったな?」

「……なるほど。」

 ファルコは落ち着いた様子だ。その手にあるのは手袋。

「小僧、お前が勝ったら今回の無礼は許してやる。だが負けたら俺様に謝罪しろ。」

 左手の手袋を投げ、相手がそれを拾う。それの意味するところは子供でも知っている。

「それでは足りませんね。私が勝ったら今後一切彼女に近づかないと誓ってください。」

 決闘。

「おいおい、それじゃ俺様に旨味がないじゃねーか。」

 つまり、貴族同士の公式な殺し合いだ。

「そうだな……。」

 獲物を見る目でファルコを観察するグリゴリー。その一瞬の後、ニヤリと笑いながら一つ条件を付け加えた。

「良い剣を持ってるじゃねぇか。」

 グリゴリーはファルコが腰に差した剣に目を付けたようだ。

 目ざとい。黒の装飾が入った赤い革の鞘、彫刻された白銀色の鍔、黒革巻きの柄、隼を象った柄頭。これの価値がわからないものなど居まい。

「……悪くねぇな。」

 グリゴリーの機嫌が急速に回復している。むしろ反転して上機嫌ですらある。

「俺様が勝ったら、その剣を寄越せ。」

「いや、それはやめたほうが……。」

「うるせぇ、外野は黙ってろ!」

 アベルに対してもこの恫喝。変に興奮状態になっていて、分別が付かなくなっているのだろうか。

「三日後、鐘三つだ。西門まで来い。」

 そう言い残すと、グリゴリーは取り巻きを連れて大人しく帰っていった。



「ファルコさま、あのような……。」

 決闘とはつまり、良い言い方をすれば己の矜持を賭けた私闘、悪い言い方をすればただの殺し合い。

「今からでも私が謝れば許してくれるかもしれません。」

「良いのです。少しは格好をつけさせてください。」

 外に出ようとするアリスをファルコが制止した。

「ですが、このままでは……!」

「私にも少しは恩返しさせてください。」

 アリスが縋り付くような目でファルコを見ているが、当のファルコはかなり落ち着いているようだ。

「しかし、貴族の決闘の作法とは。彼は貴族なのかい?」

「ええ、一応。」

 テレスが短く吐き捨てるように答えた。彼が貴族を毛嫌いする理由はグリゴリーなのだろうか。

「でも彼は自分が何したか気づいてないんだろうなぁ……。」

 アベルが呆れたような声で呟く。

「それよりも、彼の言ったことが気になりますね。」

 セティがポツリと呟く。酷い侮辱だったが、やはり気になる言葉だった。没落女……。

「わかりました。お話しましょう。」

「テレス!」

「アリス、わかってるんだろう?ここまで巻き込んだんだ。」

 テレスの言葉に押し黙るアリス。

「知られたくないことであれば無理にとは……。」

「いえ、ここまで来たのであればお話します。」

 テレスの申し出を断ろうとしたファルコだったが、他ならぬアリスがそう言うのだ。今更それを引き止める理由もない。


「私達の母は、この宿屋を経営している夫婦の間に生まれました。」

 アリスに軽く頷き、テレスが自らの出自を語りだした。

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