2-1 レーンベルク
”ゴーン”
遠くで鐘が鳴った。ゆっくりと目を開ける。
”ゴーン”
2回目。ゆっくりと立ち上がり、姿勢を整える。
見上げると、優しく微笑む女性の顔が目に入った。これまで何度も見た表情だ。
自分は正しいのか、と考えることがある。
いや、常に考えていると言える。
おそらく直ぐに答えは出ないだろう。生きているうちに答えが出るのだろうか。難しいかもしれない。
「お勤め、ご苦労さまです。」
微笑みかける女神像を眺めながらそんなことを考えていると、背後から声をかけられた。
「おはようございます。シスター。」
振り返り、声の主に微笑んだ。
少し年配だが品の良い女性が、美しい姿勢で立っていた。
生成りの白いローブを纏っているが、それはところどころ薄汚れている。
白は象徴の色だ。ただし、純白の生地を作るのには相応の技術と時間と手間がかかり、故に金がかかる。それでも、形だけでも近づけようと、白を好んで着るものだ。つまり、彼女の立場はそう言う事だ。
「なにか考え事ですか?」
顔に出ていたのだろうか。
「ええ、そうですね。常に何か考えています。性分でしょうか。」
「それはとても良いことだとは思いますが、もしお悩みなのでしたらいつでもご相談くださいね。貴方様ほど熱心に祈りにいらっしゃる方ですもの。きっと女神様のご加護がありますわ。」
咄嗟に答えをはぐらかしてしまったが、彼女は気づいていないようだ。いや、気づかないふりをしているのか。
「ありがとうございます。その時はお願いします。」
短いやり取りの後、神殿を後にした。
聖都ザビオラ。女神降臨の地にしてフィリス教の聖地。故に女神フィリスを祀る神殿はそこかしこに存在し、その数は大小合わせると百を超える。異常な数と言っていい。
聖都の中心に世界最大の規模を誇る大神殿が存在するが、その他の小神殿は聖都内に無造作に配置されている。いま出てきたのは、その小神殿のうちの一つだ。
「やっぱりここだったか。」
細い路地を曲がると、一人の人物に声をかけられた。
茶色く短い髪と美形と言って良い顔立ち、いたずらな目つきが印象的な男だ。金刺繍の装飾が施された紺色の鎧下、細身の長剣、純白のマント。
「おはようございます、アベル。私を探していたのですか?」
「それはそうだよ。一緒に行こうと言ったじゃないか。」
「それにしても、こんなところまで。……シルフィに聞いたのですか?」
「お、正解。流石だね。」
「よくそんな格好で無事でしたね?」
「まだ早朝だしね。」
この聖徒で身の危険があるはずも無いが。いや、彼の格好は別の意味で危険かもしれない。
「誰かに見られる前に行きましょう。」
「君のファンに囲まれるのも悪くないけどね。あ、勿論女性限定。」
自分を棚に上げて、とは言わなかった。
「少し早いけど、このまま向かうかい?」
「そうですね。準備はしてあります。」
「流石、抜かり無いね。」
まだ日は昇りたてで、建物の影は長い。それでも、歩く大通りの脇では屋台から煙が上り、肉やパンの焼ける香ばしい匂いが流れてきている。
突然アベルがそちらへ歩いていき、二、三やり取りをした後に串刺しの焼肉を二本、両手に持って戻ってきた。
「シルフィさんに怒られるかな?」
「彼女はこんなことで怒りませんよ。」
ありがとうございます、と串を一本受け取り頬張る。怒りはしないだろうが、少し呆れるかもしれない。だがそれを言うならば、明け方に突然訪ねてきたアベルの方もあまり褒められたものでは無いと思うのだが。
他愛のない話をしながら聖徒の中央へ向かって歩く。普通この距離なら馬車を使うものだが、たまにはこう言うのも悪くないと思う。
この悪友との付き合いは長い。
初めて顔を合わせてから十五年。家の繋がりもあるのだが、それ以上に彼とは馬が合った。出会い方が違ったとしても、良い友人になれただろう。障害があるとするならば、普通は出会う立場にないと言うところだ。
「結構いい時刻になったんじゃないかな?」
ふらふらと寄り道を繰り返し、目的の場所へたどり着いた時には、すっかりと日は昇って街には活気が溢れていた。
”ゴーン”
近くで鐘がなった。鐘の音に周りの音がかき消される。
「ほらね?」
”ゴーン”
鐘のなる隙間に、アベルが得意気な笑みを浮かべた。
”ゴーン”
「さて、それじゃ行きましょうかね。」
その言葉を合図に、鞄から純白の外套を取り出し、広げ、深緑のローブの上から羽織った。
「今回はどのようなご要件なのでしょうかね、司祭様?」
「さあ、わかりかねますね。騎士殿。」
皮肉に皮肉で切り返し、お互いにニヤリと笑ってから、大神殿の階段を上っていった。
神殿の中心部、大聖堂と呼ばれる場所。その奥に、一際巨大な女性の像がある。こちらを見下ろし、微笑むような顔。女神フィリスの像だ。
その前に、跪き、祈る人物がいた。純白の祭服を纏い、その姿勢は堂に入っている。
部屋の中央を空けるように、その周りで八人の人物が同じように祈っている。彼らも同じように純白の祭服を身に纏っている。
その後ろで、同じように跪き、祈った。
「神殿騎士団第一大隊隊長、戦闘魔導団筆頭、セティ・レーンベルク、招集に応じ参上いたしました。」
「同じく神殿騎士団第三大隊隊長、守護騎士隊筆頭、アベル・ドレール、参上いたしました。」
しばしの静寂の後、立ち上がり、名乗った。様々な称号を持つ二人だが、この場ではこれが正しいだろう。
「ふたりともよく来てくれました。まずは楽に。」
振り返った男性の声は、とても穏やかだが、同時に力強さも感じる不思議な響きだった。周りの人物も、それぞれ立ち上がって自分たちを見ている。この顔ぶれが一同に介するとは。
そして、目の前にいる人物の、教皇のその口から突然予想もしていなかった言葉が発せられた。
「まずは、セティ・レーンベルク師。あなたを司教に任命します。」
「え……は? あ、はい。謹んでお受けいたします。」
あまりにも突然のことで頭が混乱したが、直ぐに持ち直し、跪く。同時に、先程の名乗りが間違っていたことに気づいた。そちらだったか。
「さて、セティ師。あなたに一つ使命を与えます。」
司教任命の儀式が一通り終了した後、教皇が切り出した。
来たか、と心の中で身構える。突然の召喚と司教任命。何か事を成すにあたり、肩書が必要だったのだろう。
理由あってレーンベルクが教皇になることはあり得ない。教皇は司教の中から選出されるのが慣例であるため、事実上レーンベルクにとって司教は最高位ということになる。
それが、若干二十三歳と言う年齢で最高位に任命されてしまったのだ。(もっとも、その年令で司祭であったこと自体が異常なのだが)
言うまでもなく、フィリス教の歴史において最年少だろう。そのような歴史的な決断をしてまで与えられる使命とは、一体どのようなものか。
「父上も人が悪いですよ。」
「こんなことを話すわけにもいかんだろう。」
「確かにそれはそうですが……。」
夕食時、昼にあったあの出来事を語り合う。セティの隣にはアベルが、正面には養父であるアルベルト、その隣に養母であるマリアンナが座っている。あの場に居た三人が顔を合わせていた。
「しかし、私としてはセティの驚く顔が見れたのは大きな収穫だったな。」
「まあ、それは見てみたかったわね。」
「母上まで……。」
「確かにアレは見ものでしたね。もうあんな顔は見られないかもしれませんね!」
「いや、アベル殿も相当驚いた顔をしていたよ。女性が見れば百年の恋も冷めるような。」
「ありが……ええ? 俺そんな酷い顔してないと思いますよ!」
あら、それはぜひ見てみたかったですわね。と言いながらワインを注いでくれた侍女、シルフィに礼を言いかけ、アベルは慌ててアルベルトの言を否定する。
「仮にそうだとしても、シルフィさんに嫌われたら、俺生きていけませんよ?」
「セティ様と懇意にされている限り、私がアベル様を嫌うことは無いと思いますよ。」
「よし、生きる希望が湧いてきた!」
その場に居る全員が笑った。
「それにしても、アルトリアか。」
晩餐会も一通り落ち着いたところで、アベルがポツリと呟いた。
「ずいぶん遠いわね。」
マリアンナが遠くを見つめるように呟く。
「大陸北端とは言え、船で向えば二十日ほどと聞いています。用事が終わればすぐに帰ってきますよ。」
「その用事がなぁ……。」
セティの言葉にアベルが溜息交じりで反応する。
「アルトリアに大神殿建造ねぇ。今更必要なのかな?」
「第二神殿ですね。事実上の大神殿ですが。まあ、あの地もフィリス教が浸透しているとは言え、存在する神殿は小さなものばかりです。アルトリアほどの大国が大神殿規模のものを建造するとなれば、国教と認めたも同じことでしょう。」
「そのために形振りかまっていられないって? ちょっと強引すぎる気もするけど。」
「そう見えますか? 神殿建造に司教とその護衛である神殿騎士が赴くのは不自然ではありませんよ。むしろ最大規模の礼儀と捉えられます。」
セティがちらりとアルベルトを見る。目が合い、アルベルトが小さくうなずき、マリアンナに目配せをしたのをアベルは見逃さなかった。
マリアンナが、それでは、私はこれで。とシルフィとともに退席したのを確認し、セティが再び口を開いた。
「……と言うのは建前で、実際は別の狙いがあるのではないかと思いますが。どちらかというと、神殿建造のほうが序でなのでは?」
「序で、とまでは言わんが、主目的が別にあることは間違いない。」
「えー、それ聞いちゃっていいんですか?」
あっさり白状したアルベルトにアベルが反応する。
「むしろ知っておいてもらわないと困る。君たちの任務なのだからな。」
「ここ数年のアルトリアの内情は知っているか?」
「あまりいい話は聞きませんね。食料は安定しているようですが、治安はあまりよろしくないと。」
「そのとおりだ。アルトリア王は、どうも内政を軽視しているように見える。」
「……それに関して我々が口出しをするのは筋違いでは?」
「アベル、君の反応は最もだ。だが、私には彼がそのような愚かな男とは思えないのだ。」
「父上はアルトリア王にお会いしたことが?」
「ああ、何度か言葉をかわしたが、非常に実直で優秀な印象だった。常に民のことを思う素晴らしい統治者だと。事実、数年前まではアルトリア王国は彼の統治によって潤っていたのだ。」
「父上がそこまで言うのであれば……。」
「知らなかっただろうが、私は人を見る目には多少の自信があってな。」
「そりゃ、セティを見出したんですから。」
セティ・レーンベルクはアルベルトとマリアンナ夫妻の実子ではない。彼らは子宝に恵まれず、やっと授かった第一子も生まれてすぐに亡くしてしまった。セティは五歳ごろにアルベルトが孤児院から引き取った孤児だ。そしてこれは周知の事実だ。
彼の才能をいち早く見抜き、レーンベルク家の跡取りとして見出したアルベルトの人を見る目を疑う者は居ないだろう。たとえそこに大きな問題があるにしてもだ。
「つまり、アルトリアの内情を探ってこいと?」
「そのための出世かー。」
司教ともなれば、有力貴族との面会も難しくはないだろう。場合によってはよりデリケートな相談を受けることもあるかもしれない。
「正直なところ、司教任命は私の予定外だったのだ。神殿建造と言うもっともらしい理由付けには必要であろうとベネディクトが……。」
ベネディクトは教皇の名前だ。アルベルトが教皇を呼び捨てに出来るのには、当然それなりの理由が存在する。
フィリス教内でレーンベルクの立場は非常に微妙な位置にある。悪い意味で力が強すぎるのだ。
協会内での立場では教皇がトップだが、実際はレーンベルクは教皇と同等、下手をすれば教皇以上の力を持つ。
二百数十年前に起きた女神降臨。この女神に神話の時代から仕えてきたとされる四賢者。女神同様に四賢者も神格化されており、その一柱の確かな末裔たる血族の一つがレーンベルクであり、『風』の力を受け継いできた。
神に次ぐ存在であるレーンベルクが力を持ちすぎると、主神であるフィリスの教義を脅かしかねない、と言う非常にくだらない理由を根拠に、レーンベルクが教皇に選出される事は無かった。そしてそれはいつしか暗黙のルールとなっていた。
だが、こと現在においてはその暗黙のルールも破綻しかけている。
セティ・レーンベルクは養子である。この一点においてだ。つまり、アルベルト・レーンベルクの代で、確かな血筋は途絶えるのだ。
彼の細君であるマリアンナは第一子出産時に命の危険に晒され、二度と子を授かることのできない体となった。
アルベルトは妻以外の側室や愛妾を持たず、そろそろ彼も高齢に差し掛かってきており、つまるところアルベルトの子を望むのは絶望的な状態にある。
そこに血の繋がりのないセティが現れ、レーンベルクの名を継ぐ事となった為、今後は必然的に協会内でレーンベルクの力は落ちることとなる。
教皇は兎も角、司教団がセティの司教任命を認めた経緯もここにあるようだ。今後我々は対等な立場である、と。
もっとも、アルベルトはそのような政治的な物事には全く関心が無いようなのだが。
「彼らはお前たちが事を成せるとは思っていないようだ。」
彼らとは司教団、事とは神殿建造についてだろう。
「司教と神殿騎士団筆頭を同行させた上での話なのだがな。しかもレーンベルクとドレールだぞ?」
ふう、とため息をつくアルベルト。このような所作は非常に珍しい。勿論、幾ら名高い家名を出そうと、それだけで素直に進むと考えているはずもないが。
「私としては、そちらはどうでも良いというのが正直なところだな。そうだ、二、三年経ったら戻ってきなさい。」
”チリンチリン”
アルベルトが小さな銀のベルを響かせた。侍女を呼ぶベルだ。
「勿論、全て上手くこなして、彼らの鼻を明かすのも面白いと思うがな。」
察するに、教皇とアルベルト対司教団と言う構図なのだろう。となれば、教皇側にはまだ何かの思惑があるに違いない。
「お呼びですか」とシルフィが部屋に入ってきた。その後ろには十歳程度の少女を伴っている。
「君は見習い?」
カップにワインを注いでくれた少女にアベルが問いかける。
「はい、リナと申します。」
「リナちゃんか、かわいいね。将来はきっと美人になる。」
「アベル様、うちの子たちに手を出したら嫌いになりますよ?」
シルフィが貼り付いた笑顔でアベルに話しかける。
「あ、それじゃシルフィさんが相手をしてくれる?」
「あら、そんな事になったらセティ様が黙っていないのでは?」
「……そう言う事にしておきますよ。」
いつもの軽いやり取りだが、これから暫くは目にすることも無くなるだろう。
「シルフィ、留守の間二人と皆のことをお願いします。」
「はい、お任せください。セティ様。」
「あれ? シルフィさんは一緒に来るんじゃ?」
その少し後、深まりかけた夜の屋敷の一室にアベルの絶望にも近い声が響いたのだった。




