1-18 疑問
「え?もう終わり?」
「ああ、彼は賢明な判断をしてくれたよ。」
ボドレア公国の首都ボルトス。公国の北部に位置する第一都市に到着して五日、ボドレアへの遠征は思いの外早期に決着したようだ。
ただ、この場にザックスの言葉をそのままの意味で受け取る者はいない。
「謎の石、所謂魔石を偶然発見したボドレアギルド支部長アダム・ソメス氏は、その危険性を認識する前に魔石の犠牲になったエージェントの存在に心を痛め、その責任を負って周囲からの慰留にも関わらず、自ら職を辞する決意をされたのだ。」
「えーっと、辞職しなかった場合ってどうなっていたんですか?」
早口でアダム氏の公式な辞職の経緯を説明したザックスに、ヴァンが質問を投げかける。
「せざるを得んさ。彼にもプライドはあるし、家族もいるのだからな。」
「えげつないわねぇ。」
心なしか楽しそうに話すマリット。ザックスとアダムの間でどのようなやり取りがあったのかは想像に難くない。そして何があったにせよ、アダムの人となりを知る人物達からすれば、表向きの経緯など飾り立てられた虚構であることなど明白だろう。それでも今回の処置は必要なことだったのだ。
「馬鹿なやつだ。あの若さでギルド支部長など、そうそうなれるものでもないだろうに……。」
心底残念そうにつぶやいたザックス。ザックスとアダムはアカデミー時代の同期らしい。
「ちょっとだけわかる気もするけどなぁ。」
エリオがポツリと呟く。同期に自分より遥かに優秀な人物がいて、尋常な方法では追いつき追い抜くことができないとなると、その手段を選ばなくなる可能性はあるだろうか。少なくともその誘惑はあるだろう。実行に移すかは別として。
「ところで、今の話し方からすると、やっぱり……。」
「ええ、ありました。残念ながら。」
マリットの問いにザックスが答える。もちろん話題は魔石のことだ。
「え、見つかったのなら良かったんじゃないの?」
「そうでもないよ。ここにアレがあるってことは、少なくともエルニアの外にも魔石が存在したということになるからね。」
「もう世界中に拡散してしまっている可能性もありますね。」
「あ、そうか!」
確かにヴァンの言うとおりだ。魔石自体はつい最近発見されたものだが、それがヴァンス周辺以外で見つかったということは、より広範囲に存在してもおかしくない。むしろあるべきと考える方が良いだろう。
「発見した魔石には触れずに置いてあります。回収に向かいましょう。頼んだぞ、ヴァン。」
「しかし、見ればわかるとは言われていたが……。」
マーセナリーズ・ギルドのボドレア支部。その支部長室の片隅に鎮座する暗黒の塊。周りのすべてを拒絶するような黒はその表面の凹凸すら視認できない。
「マトモな神経をしていたら、おいそれと触ろうなどと考えはしないな。」
「えっ?」
ザックスがふと呟いた言葉に、マリットが大げさに反応した。人差し指で触れようとしていたようだ。
「それ、今から俺がやるんですけど……。」
マリットの反応を無視しながら、ヴァンがため息交じりに言うが、そもそも鉱山で初めて発見したときには迷わず持ち出したのではないか。
「あのときは暗くてよく見えなかったから……。」
エリオは何も言わなかったが、その視線で考えていることが伝わったのかもしれない。ヴァンが焦ったように釈明する。
「あの、本当に大丈夫なのでしょうか?」
その様子をすこし離れた位置から見ていた女性が話しかけてきた。
女性の名はロージー。ボドレア支部でアダムの秘書官をしていた人物だ。ザックス曰く、出来る人物らしい。
その評を聞いた瞬間に全員が理解したものだ。これは押し付ける気だな、と。
事実、彼女は支部長不在のギルドをうまく回していた。職員やエージェントからの信頼も厚いようだ。
悪評が立っていたとは言え、支部長を突然更迭した上で別の人物がトップに立っては、何らかの軋轢が生じることもあるだろう。例えそれがどれだけ優秀な人物であったとしてもだ。
その点、彼女ほどの人物があとを引き継ぎ、業務を回していけば問題は少なくて済む。ひとまずは仮の人事として支部長代理とし、その後期を見て昇格させれば大丈夫だろう。というのがザックスの見立てだ。
そのロージー女史曰く、休日明けに突然この物体が支部長室に現れ、支部長からは決して触るなと半ば脅され、同時期に突然枯渇を発症する複数のエージェントが現れたとなると、その関連性を疑うのは自然というものだ。しかも本部から魔石なる危険物質の捜索命令が来たにも関わらず、支部長はそれを無視した。
そうこうしているうちに、どこから漏れたのか本部と学士ギルドから調査員が来訪し、あれよあれよと支部長が更迭。自分も二日ほど尋問されたが、無関係と判断されたのか、今では通常業務に戻っている。
そしてその調査員が揃って例の物体、魔石について慎重すぎるほどの調査をしていたと思えば、先程のやり取りだ。
「まあ、色々用意してるから、よっぽどのことがない限り大丈夫大丈夫!」
マリットがドサリと床に置いた鞄の中には、ヒールポーション、マナポーション、解毒薬に気付け薬、それから何故か興奮剤や媚薬の一種まで詰め込まれている。先程の行動は今の言葉が根拠になっているのだろうか。
「うーん。」
結果として、ヴァンは何事もなく魔石を取り上げ、そしてそれ専用に用意された鞄に仕舞い込んだ。実験と称して魔石に触れる愚を冒さなかったマリットを褒めてもいいのかもしれない。流石にその程度のTPOは弁えているか。
「どうした?」
唸るエリオにザックスが問いかける。少年はこの部屋に入って魔石を目にしてから、なにか考え事をしているようだ。
「いや、不思議だなと思って。」
「何がだ?」
「この魔石、誰がここまで持ってきたんだろうって……。」
言われてみればそうだ。現状、この魔石を持ち歩ける人物は、ヴァンと、そして……。
「ヴァンができるんだから、他にもできる人が居るんでしょうね。それか、方法があるか。」
マリットが言うことももっともなのだが、それならば別の疑問が浮かんでくる。
「一度アダムに尋問する必要があるな。もしくは彼自身が運んだか。」
「その可能性はすごく低いと思うけどね。」
「私もそう思います。自分で運べるのならば、このようなところにおいておくのは不自然ですし。」
ロージーがマリットに同意する。であれば、誰が、どうやって、何のために、こんなことをするのか。
「ま、ここで考えていても仕方がない。宿に戻って、明日改めてアダムのところへ行こう。」
現状、ザックスの提案が一番合理的だった。
「マリットさん?手紙が来てるよ。」
宿に到着するなり、主人がマリット宛の手紙を差し出してきた。ここに滞在していることを知っているのは、マーセナリーズ・ギルド、そして学士ギルドの一部の人物のみだ。そしてその封蝋は学士ギルド。
「嫌な予感がする。ザックス見て!」
「誰が見ても内容は変わりませんよ。」
世界広しといえど、ザックスを顎で使う人物は片手で数えるほどだろう。自分は今物凄く貴重な光景を目の当たりにしているのではと、エリオは変な方向への感動を覚えた。
「これは……。」
ザックスが無言でマリットに手紙を手渡す。読むには早すぎる。
「ごめん。私すぐ帰るわ。」
「そちらは任せます。こちらも終わり次第すぐに。」
短いやり取りでマリットは駆け出し、ザックスは目頭を押さえた。
「何があったんですか?」
ヴァンの質問に、ザックスはただ短く答えた。
「学士ギルドの魔石研究記録が盗まれた。」