1-14 爪痕
「つまり、そのシギルと言う人物が事を収めたということで間違いないのか?」
「はい、状況的にもそうとしか思えません。」
「詳しく聞かせてくれるか?」
襲撃の翌朝、ここはマーセナリーズ・ギルドマスターの執務室。ボスと呼ばれるギルドマスターと、襲撃には間に合わなかったが急遽帰還したザックス。ヴァンとエリオは二人に報告をするために訪れていた。
襲撃直後、シギルと言う人物に救われたこと。その後彼とともに女神広場まで行き、ツヴァイと名乗る敵と遭遇したこと。広場で起こったこと。順序だてて説明する。
ボスとザックスは時折頷きながら二人の話を聞いていた。
「つまり、粛清は誰かが意図的に起こしているという事か。」
ザックスが確認するように呟く。
「それについても報告することがあります。」
ヴァンはシギルがツヴァイを倒した直後に起きたことを説明し始めた。
「アイツは何処に行ったんですか?」
「殺した。手応えはあった。」
シギルの手には剣と盾。その剣には、ツヴァイが着ていた黒ローブが引っかかっており、地面には手袋やブーツの他に髑髏の仮面と大鎌が転がっている。だが、そこに当然あるもの、あるべきものが無いのだ。
「だったらヤツの死体はどこに!?」
「ああ、そうか。そこから説明しなければならないのか。」
半ば呆れたようなシギルの声。剣を収めると同時にバサリとローブが地面に落ちる。
「まず前提を話してやろう。ヤツは人間ではない。ダークエルフ、所謂魔族だ。」
「魔族?おとぎ話の?」
「実在する。滅多に外には出ないがな。」
話には聞いたことがある。昔はそれなりの数がいたらしいが、ヴァンも見かけたことはない。エリオがおとぎ話と言うのも無理のない話だが、シギルが嘘をついているとも思えない。
「彼等は我々ヒトよりも、どちらかと言うと精霊に近い。我々より長寿で魔法に長け、魔力が強い。」
そして、と地面に落ちたローブを指した。
「彼等は死ぬと魔力に還元される。死体は無い。」
「つまり、消えるって事?」
「そうだ。正確には形が無くなるだけで、その場に魔力の残滓が残るが。彼等はそれを感じ取って、同胞の死を知るようだ。」
「でも、何も感じませんね。」
「それは、これだ。」
おもむろに地面に落ちたローブの辺りから何かを拾い上げる。
「えっ、それは!?」
ヴァンが見たもの、見覚えのある塊。ある面がまっ平だ。まさか斬ったのか?いや、それよりも……
「魔石に似ている……。」
「魔石か。言い得て妙だな。」
ふっ、とシギルが笑うのを感じた。
「コレは魔力を吸収する性質を持っている。勿論限界はあるが、あの程度の魔力ならば残さず吸い取れるだろう。」
つまり、ヤツは死んで魔力になった瞬間に魔石に吸収されてしまったという事か。少しだけ同情してしまう。
「まさか奴も、自分が利用していたモノが致命傷になるなどと考えていなかっただろうな。」
魔石をつまみ回し眺めながら、嘲笑ともとれる色合いを乗せた声を発するシギル。
「利用していた?」
「奴はこれを使ってカオスどもを呼び寄せていたのだ。知っていると思うが、カオスは恐怖の顕現だ。それは動物や魔物でも例外ではない。」
「ちょっと待ってください!」
彼は今核心に触れようとしているのではないだろうか。
「つまり、恐怖心を煽って魔物や動物を操っていたと?」
「恐怖の出現場所を工夫して、狙い通りの場所まで移動させれば良いだけだ。恐怖の度合いを制御すれば、恐慌状態に陥らせて周りを攻撃させるなど造作もない。」
「そんな……じゃあ、あの混乱すべてが意図されたものだったと……。そんなことが可能なのですか?」
「可能だからこそ私も利用したのだ。街の中心部に恐怖があれだけ集まれば、獣たちは蜘蛛の子を散らしたように逃げるだろう。残りを掃討することも容易い。」
そのために苦戦を演じたのだ。勝てるであろうが、油断すると危ない。あと二手、三手あれば大して労せずに倒すことができる相手。絶妙に面倒な相手だと相手に思わせたのだ。そして、それを演じ切りった。
「でも、肝心のカオスはなぜ消えたのですか?」
そうだ。獣や魔物を撃退できたとして、カオスがあれだけ残っていては意味が無い。むしろその方が厄介なのではないだろうか。
「カオスは恐怖の顕現だと言っただろう。恐怖は魔法で作り出せる。」
この人物はとんでもないことを言おうとしているのではないだろうか。
「逆に言えば、恐怖は魔力となり得るのだ。正確には恐怖に限らず、人間の感情そのものが、だがな。」
もう無茶苦茶だ。
「つまり、カオスを魔力に変換して、魔石に吸わせた……?」
「そのあたりに残滓が転がっているだろう?」
あたりを見回す。地面に光るものが見えた。あれは精霊石……の残骸?以前マリットに見せてもらったことがある。魔力が抜けきった精霊石だ。
「そもそも、それも奴らの狙いの一つだ。大規模な恐怖を生み出し、それを魔力として魔石に取り入れる。最後は恐怖の顕現ですらこの魔石の餌だ。」
「……魔石って一体何なんですか?」
「それぐらいにしてくれませんかねぇ?」
声のした方を一斉に振り返る。そこにいたのは黒いローブ、髑髏の仮面、大鎌。
「今日は大漁だな。」
シギルが剣に手をかける。
「おっと、私は争う気はありませんよ?用事も済みましたしね。」
「どうせロクでもない企みだろう。お前の仲間は殺した。次はお前の番だ。」
「まったく、貴重な『聖石』を一つ無駄にしてしまうとは、我が兄ながら情けない限りです。」
ですが、と言いながら、黒ローブは大鎌を前に突き出す。
「言ったでしょう?貴方たちと争う気はありません。」
「貴様、その鎌はまさか……!」
シギルの声色が変わった。
「ただの模倣集団では無いようだな。」
「ご理解いただけたようですね。さて、それでは私はこれで。」
「待て!」
「え、消えた?」
三人の目の前で、黒ローブはすーっと姿を消した。
「私は奴を追う。後は任せる。」
「え?あ……!」
そしてシギルは言うが早いか駆け出した。その速度は先ほど三人で街中を駆けたときよりも速い。
「何か当てがあるのかな?」
きっと襲撃中はこちらのペースに合わせてくれていたのだろう。その悔しさを振り払うように、ヴァンはエリオの言葉に同意した。
執務室に沈黙が流れる。
「つまり黒幕かそれに近い者は逃がしてしまったと。」
「不甲斐なく申し訳ありません。」
「いや、責めているのではない。外部の助力があったとはいえ、『粛清』を撃退したのだ。それは称賛に値する。」
頭を下げたヴァンに対し、ボスがフォローをする。
「それで、その魔石とやらは?」
「はい、ここに。」
ヴァンが懐から割れた魔石を取り出し、机の上に差し出す。
「割れてしまっているからか、その力は消えています。」
「そうか。これについては学士ギルドでの研究が待たれるな。急ぐように要請してみよう。」
この魔石が大きな鍵を握っているのは間違いないだろう。
「二人とも、俺の不在によくやってくれた。間に合わなくてすまなかったな。」
「誰がそれを責めると思う?ザックスも良く働いてくれたではないか。」
ボスの言う通りだ。
もともと依頼を終了して帰路にあったザックスが到着したのは、襲撃があったその日の日暮れ直前だった。ちょうどその頃は本襲撃も終わり、残党の掃討戦を行っている時分であり、体力、精神ともに疲弊した人々にとってザックスの姿は大きな希望と活力を与えた。
黒幕が倒れ、本襲撃が収まったとはいえ、ザックスがいなければ、どこかで緊張の糸が切れていたことだろう。
夜を徹した掃討作戦もひと段落した頃、ヴァンとエリオは報告のためにギルドへ向かい、今に至る。
「いずれにせよ、そのシギルと言う男は粛清に関しての何か重大な情報を持っていると見て間違いないな。」
「確かに、お会いできなかったのが悔やまれますね。」
ボスの言葉にザックスは心の底から残念そうな声で応えた。
既に日の光は高くなり、街を照らしている。報告を終え、ギルドを後にした二人は、この時ばかりは明るく日差す太陽を恨みたくなった。さきほど通ったときは薄暗くてよく見えなかったのだ。
落ち着きを取り戻した街は、その被害の大きさをまざまざと浮かび上がらせた。
道の至る所に獣や魔物の死骸、同じぐらいの数の住人の遺体、破壊された石垣や家屋、おびただしい血痕、折れた剣や槍。
住人が手分けをしてそれらを移動している。目に活力は無く、感情が消え去ってしまっているかのようだ。
ヴァンとエリオはその光景を目に焼き付けながら歩く。目をそむけたくなる光景だが、これは忘れてはいけない光景だ。誰に言われるまでも無く、そう感じていた。
「ヴァンさん、俺……。」
その光景をただ黙って見ているのに耐えられなかったのだろう。エリオが何かを言いかけたその時、
「ここにいたのか!」
ラディアスが慌てた様子でこちらに走り寄ってきた。
“タッタッタッタッタ……。“走る。そこへ向かって。もう少しだ。もう少しで着く。急げ!早く、速く。
奥だ。一番奥だ。長い長い廊下の奥に扉が見える。なぜこんなに、あの扉は遠いのか?いや、自分の気が急きすぎているだけなのだろうか?
“バンッ!”と大きな音を立て、蹴破る勢いで扉を開ける。部屋の中にいた人物は一瞬驚いた顔でこちらを一瞥し、そして咎めるような目を向けた。そして、ゆっくりと、だが全く無駄のない動きで振り返り、自らの仕事を続ける。
その先、その手元には、これまで何度も考えてきた、考えたくない可能性の具現があった。
「姉ちゃん……。」
それが息も絶え絶えな自分の口から零れたものだと、数瞬後に気づく。部屋の奥、清潔に整えられたベッドの上には、蒼白な顔色をした最愛の姉が横たわっている。
ふらふらと歩み寄る。傍で作業をしていた女性はそれに気づき、少し場所を空けてくれた。
ラディアスがもたらした凶報を聞くや否や、エリオは全力疾走でこの治療院まで駆けてきた。『粛清』を撃退したという誇らしさや、その後の街の惨状ですっかり頭から抜け落ちていた、いつでも起こり得た可能性。
信頼しきっていた。組織も、先輩も、姉も。ある意味依存していたのかもしれない。自分の中から根本的なことが抜け落ちていたのだ。世界が信頼できないのに、なぜその上に乗っているものが信頼できるのか。
「残念ながら、貴方にできることはありませんよ。」
白衣の女性が言うことは正しい。大勢と一緒に並べられた者や、屋外での応急処置に留まる治療を受けている者たちに比べれば、姉のこれは特別扱いと言って良い。贅沢は言えまい。
「……お願いします。」
かすれた声で、絞り出すように声を発した。
「誰かを庇ったんだ。」
部屋を出たあと二人と合流し、ラディアスが当時の状況を教えてくれた。
「襲撃開始直後、俺と別れたあとに適当な装備で戦っていたようだな。」
見ろよこれと言いながら、ラディアスが真っ二つに割れた盾を取り出した。ギルドに常備してある非常用装備の一つだ。品質は悪くは無いが、姉が普段使用している物よりも一段劣る。
「アイツらしいよな。名前も知らないいち市民を助けるためにだぜ?」
「その、いち市民は?」
「残念ながら……。」
ヴァンの質問に、顔を逸らして答えるラディアス。
あまりにも理不尽ではないか。姉の行動に意味はあったのだろうかと考えてしまう。
「こんなことなら、せめてアイツが装備を整えるまで一緒にいるんだった……。」
「ラディアスは悪くない。きっとその時の判断は正しかったんだ。」
きっとそうなのだろう。姉とラディアスの二人が導き出した答えなのだ。その時は正しかったに違いない。あとからあの時こうすればよかった等と言うのは、ただの無責任な言葉だ。
「なあ、エリオ。」
ラディアスが真剣な目つきでエリオを見つめる。
「俺は人の価値が等価などとは思っていないし、命の重さは平等だとも思っていない。俺たちは常に合理的な判断をしなければいけないんだ。」
歯を食いしばるようにラディアスが続ける。
「時には選ばなければならない。目の前の数人か、自分を含めた大勢か。」
「そ、そんなこと言って良いのかよ……?」
それではまるで、命の餞別をすると言っているようなものではないか。
「自己犠牲は美談なんかじゃない。常に守るべきは自分の命が最優先だ。」
「おいっ!」
ラディアスの胸倉を掴む。これではまるで……
「姉ちゃんが間違っていたっていうのかっ!!」
「少なくとも俺たちにとってはそうだろうが!!」
「二人ともやめろ!」
エリオとラディアスの間にヴァンが割って入る。エリオはラディアスから手を離した。
「少し休むぞ。二人とも頭を冷やせ。」
まだ日は高かったが、気まずい空気のまま三人は帰路についた。不幸だったのは、三人とも同じ集合住宅住まいだったことだ。
歴史に華々しく記載された、人類史上初であるヴァンスの『粛清』撃退。だが、その内実は人口約三万人に対して負傷者一万人超、そして犠牲者の数は千五百人を超えた大災害であった。