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旧世界から旅立つ友へ  作者: 八一目 十小
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第7話 周作さん

 いつものベンチで昼食を取り終わる。春の心地よい空気が気だるい気分にさせる。ターゲットたちの変節により、今のところ学校は平和なところへと変わっている。それだけではない、吾郎に対し冷笑的なクラスメイトたちの態度も誠実なものへと改善されて言った。急速に優しくなりつつある世界で吾郎は迷い始めていた。


 4月の初めの事件で幸助は学校に来られなくなった。あの事件があってから吾郎は変わってしまった。人を傷つけることばかりを考えるようになって、学校に凶器を隠し持つまでになった。

ターゲットらの心中はわからないが、友好的に接してくる人間に刃を突き立てることはできない。


 6限が終わりホームルームで連絡事項を担任の加藤から伝えられると学校の時間が終わった。


「よーし、いくぞー」


 三浦が六本木を連れて他のクラスに向かうのを見る。やはり、昨日と同じく立花家に通うようだ。

 冷めた気持ちでそれを見送る。校舎を出て正門のところで後ろを振り返ると見慣れた6人が雑談しながら歩いているのが目に入る。


「今日も、できなかったな……やっぱり無理かな」


 ため息をつき、独り言をこぼした。


 帰宅してシャワーを浴び、スポーツバッグを手に家を出る。幼少の頃から遊んでもらっている近所のお兄さん、明和周作が経営しているボクシングジムの日だ。周作の父が経営していたジムを引き継ぎ、現在では選手兼トレーナー兼ジムの会長と言う立場にある。家族ともども付き合いがあり、ちょくちょくジムに連れて行ってもらってサンドバッグを叩いたりトレーニング器具で鍛えてもらったりしていたのはつい最近まで。今年の初めからは月謝を払い、週3回本格的にトレーニングするようになった。


 体を鍛えていれば、そのうち自分を害することを躊躇するのではと期待して始めたボクシングだ。だが、効果はまるでなかった。受動的でいればとことん助長していくやつらに対抗するには主体的にならなければいけない。そう言うことなので現在は己を鍛え上げている。自分を守るためなので厳しい練習も根を上げることなく耐えられた。


 家の近場にジムはある。明和ボクシングジムの看板のある建物に入る。


「こんばんは」


 道場全体に響くように挨拶をすると方々から挨拶が返ってくる。すでにサンドバッグを叩いている人やトレーニング器具を使っている人らがいる。更衣室で着替えを済まし、ストレッチを始める。シャドーボクシングで体を慣らし、サンドバッグを3Rこなす。終わったタイミングで周作に声をかけられた。


 「吾郎君じゃあ早速、打撃練習に移ろうか」


 明和ボクシングジムの名前がプリントされたTシャツを着ている。メガネをかけ、柔らかな印象を受ける顔立ち、体つきは細身だが肩幅が広くて腕は筋肉が隆起している。


「はい、よろしくお願いします」


 明和ボクシングジムのトレーナーがミットの準備をしている。


 ミットに無心になってパンチを叩きこんでいく。3分続けてインターバルに入る。体が温まってきて額から汗が流れてくる。5ラウンドをこなしミット打ちは終了。次はマスボクシング。日の浅いジム生と計5ラウンドを終え、一旦長めのインターバル。


 インターバル後はパンチングボールを叩き、縄跳びを飛ぶ。それらを消化すると軽いスパーリングに入る。


 経験年数の近い者同士、力をセーブしての攻防が始まる。他人を殴ると言う行為をしているが、そこに憎しみや軽蔑はない。お互いを尊重しあっての駆け引きなのでとても面白い。あえぎながら、一所に留まることなく絶えず立ち位置を変え、頭の高さを変えながら攻撃をもらわないようにして、自分の攻撃を当てる。一見、暴力的な印象のある競技だが、ルールに則り練習の成果を実践で活かす部分で言えば他の競技と全く変わらない。


「ありがとうございました」


 4ラウンドをやり抜き技術指導に入る。


「もう少し、コンビネーションを打つときに腰を使うことを意識してほしいな。 肩や肘で打とうとして手打ちになっているから、これだと疲労が強くなる。 腰をしっかり切るように打てば力を入れなくても強いパンチが打てて後半まで手数が出るようになるよ」


 周作がシャドーボクシングで欠点を再現する。その後、シュッシュッと息を吐き華麗な動きで正しい動作を伝える。


「腰を入れちゃうとパンチが遅くなってカウンターをもらうのが怖くてできないんですよ」

「もうちょっと基本的なことをきっちり身に着けないといけないみたいだね。 シャドーボクシングで腰を意識してコンビネーションを打ってみたりするといいよ。もちろんサンドバッグやミット打ちのときにもね」

「はい、やってみます」


 周作に言われた通り、シャドーとサンドバッグを改善させたフォームで取り組む。その最中にトレーナーの方に呼ばれミット打ちを始める。汗が出尽くし疲労が濃くなったところでボクシングの時間は終わった。


「補強する人、どれくらいいますか?」


 吾郎は手を上げる。この強度の高いトレーニングの参加者はほとんどがプロの練習生だ。


 へとへとになりながらようやく全てのトレーニングが終了した。更衣室で着替えを済まし「お疲れ様でした」と一声かけ、ジムを後にしようとしたとき、ジムの外で周作に呼び止められた。


「吾郎君お疲れ様。 このところ最後まで残って練習しているし、凄く頑張っているね」

「はあ、今日は本当に疲れました」

「いきなりだけど、プロテストとか考えたことない?」


 周作が探るような顔で吾郎を見る。


「えーと……考えたことないです」

「そうか、今の君なら練習量を追加で週2回増やせばすぐにプロに出られると思うけどなあ」

「んー、なんと言うか人の顔を本気で殴るのって怖いんですよ。 やっていいのかなって考えちゃってどうしても力が出せないと言うか……」

「そうかー。 吾郎君は優しいからなあ。 相手を殴ってでも勝ちたいと言う欲求とかなさそうだもんね」


 周作は柔らかい笑みを向ける、口調は残念そうだった。


「すみません。 周作さんにお世話になっているのですが、競争とか苦手で……あ、でも殴ってでも勝ちたいと言うか、殴ってみたいと言う気持ちならありますよ」


 その言葉に驚いた表情を見せ、からかうような口調で周作が詮索する。


「えー、吾郎君が殴りたい? すごく興味あるな、誰だろう? まさかお父さんを?」

「いやいや、違いますよ」

「違うか。 あ、学校で馬鹿にしてくるやつを見返すためとかなんじゃないの」

「……」

「あれ? もしかして当たった?」

「……」


 押し黙る吾郎の無表情に周作が真面目な指導者としての見解を述べる。


「まあ、これ以上なにも聞かないけれど、ボクシングは人を殴る競技だよ。 でも、それはリング中、限定なんだよ。 リングの外でやってしまえばただの暴力になるんだ」

「はい。 わかっています」


 機械的に答える吾郎。


「ごめんね。 説教したいわけじゃないんだ。 ただ、誰かを傷つけることが目的の人間に指導するのは指導者として看過できないから一応ね」

「そうですよね」


 硬直的な態度の吾郎になにか訓戒めいた言葉を思いつこうと必死になって頭を巡らせるが周作にはその言葉が出てこなかった。


「んー……自分を守るためとか大事な人を守るためとかだったら、ありじゃないかな。 弱い者を傷つけるようなことじゃなければね」 

「僕は弱い者に暴力を振るおうと思ったことはありません」

 毅然とした口調に周作は踏み込んではいけない領域を侵したことに理解した。

「うん。 吾郎君はそう言う子じゃなかったもんね。 あ、そういえばあれ覚えている? 俺と喫茶店でご飯食べていたとき、突然、外に出ていって死にそうになっていた生き物を助けた話」

「あー、それは……」


 吾郎の態度が軟化したのを見て、昔話をさらに続ける。


「慌てて吾郎君を追いかけたらなにかを両手で抱いているんだよね。 俺の目にはなにも見えないけれど、それでも確かになにかを大事そうに抱いていたんだよね—」

「ありましたね……懐かしいです。 誰も信じてくれなかったなあ」


 遥か昔の出来事。吾郎以外の者には姿が見えなかったため、吾郎が一人で生き物の状態を良くし、野に放ってあげた話だ。鮮明な記憶だったが、生き物の姿形は全く覚えていなかった。


「人の気づけない、誰からも見放されている生き物をいたわることができる、そう言う吾郎君だから大丈夫だよね。 まあ、俺で解決できる問題ならいくらでも相談にのるからさ」

「ありがとうございます。 やっぱり周作さんは昔からなにも変わっていないんですね」


  周作が鼻から抜けたような笑いを漏らす。


「どう言う意味だよ。 変わってないのは吾郎君も、だろ。 ごめんね長く引き止めて。 それじゃあ気を付けて帰るんだぞ」


 ジムを後にする吾郎の胸中はとても穏やかだった。厳しい練習に耐えた達成感と開放感と周作の人柄に触れたからだ。喫緊の課題に直面し、張り詰めた気持ちがかなり和らいだ。


 帰宅し、夕食を済ましてから学校の課題に取り掛かった。


 課題は捗り、早く終わった。横になって明日のことを考える。


 ターゲットたちの改心は問題じゃない。大事なのは幸助だ。痛めつけられ心に深手を負い家で療養している幸助の元に何度も訪ねて来て平穏を乱す彼らどうにかして止めたい。ただ、ナイフやハンマーで襲うと言う方法以外にも彼らから幸助を引き離す方法はあるはず……。


 吾郎は考えているうちに眠ってしまった。

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