第5話 あいつらさえいなければ
「はい、それでは時間なので授業は終わります」
午前最後の授業が終わり、昼休みに入った。いつも昼食を取る場所は2号棟の近場のベンチだ。この場所は木々が生い茂り学校の喧噪から離れた心休まる場所になっている。
教室に入り、弁当を持ってベンチに向かおうとしたら、六本木が話しかけてきた。
「二見、一緒に飯食わないか?」
「えっ」
「食堂に奈良とか五味たちとかもいるから、一緒に行こうぜ。 あいつらもお前と仲良くなりたいってさ」
「いや……行くところがあるから……」
露骨に嫌な顔をして断った吾郎は、六本木の機嫌を損ねるのではと怖くなった。
「ああ、そうか。 じゃあまたな」
あっけなく六本木は引き下がった。ほっとして教室を出たところで背中越しに六本木に名前を呼ばれてビクッとなった。
「おいっ二見。 よかったら、これ食えよ」
そういってサンドイッチを投げてよこした。
2号棟の近場のベンチで昼食を取りながら、午前中の出来事を考えていた。朝から、別人になったターゲットの面々。それどころか教師やクラスメイトまでもが、どこか異様なものを感じる。
人はほんの数日であれほどまでに変わるものだろうか?人の痛みが微塵も理解できない悪意の塊のような人たち、それが今では好青年然とした人間に転身している。
計画の実行を阻止する存在を意識してしまう。自分が巨大な陰謀の渦中にいるような気がしてならなかった。
釈然としない気持ちを抱えたまま、弁当を完食。それから、六本木から渡されたサンドイッチを無理して食べて教室へと向かった。
午後の授業が終わった。部活動をしていない吾郎はすぐに帰宅の準備をする。三浦、六本木も部活動はしていない。このまま2人をつけて回り、ナイフで一刺しすると言うエネルギーはすでに体から抜け落ちている。腰にあるナイフをブレザー越しに触る。2人が教室から出ていくのを目で追う。
ホームルームで見せた涙の告白が真実なら、自分がやることはただの無防備な人間への殺戮なのでは、と吾郎はうちなる鬱積を押し込めた。結局、ナイフは使うことなく下校するのだった。
モヤモヤとした気持ちのまま帰宅するのは気が進まないため、自宅付近の公園に寄ってみることにした。広大な公園で子供が何人か遊んでいるのが目に入る。ブランコに座り、物思いにふける。
自分と立花 幸助は6人からいじめを受けていた。人を人と思わない連中から、散々な目にあわされてきた。改心したとしても、これまで受けた仕打ちは到底許せるものではない。やつらは取り返しのつかないことをした。考えているうちに腹からどす黒いものが溢れてきた。
近くの砂場で4人の子供が話している。吾郎はなんとはなしにそれを眺める。
「今までごめんね。 これあげる」
「ぼくのもあげる」
「はい」
3人の子が1人の子におもちゃを手渡す。
「一緒に遊んでいいの?」
不安げに3人の子の目を見る。
「いいよ」
子供たちに笑顔が広がり、黄色い声を上げて走って言った。
まるで教室で起きたことの再現だな、とご吾郎は思った。小さな子供の世界にしか起こりえないことが学校で起きた。
「さて、帰るか」
帰宅すると母が台所にいたので不思議に思った。月曜日はパートでこの時間、家にはいないはずだ。
「あれ、今日は休んだの?」
「ああ、今日はね。 お母さんのお姉ちゃんが来ることになったから、早めに帰らせてもらったわけ」
「ふーん。 そうなんだ」
母と伯母が犬猿の仲と言うのは母の親族から聞かされていた。親族の集まりだと必ずどちらかが欠席していると言った具合にニアミスを避けている。親の死に目くらいしか会わないだろうと父も言っていたので珍しいことだ。
あの6人を今日始末しなくてよかった。母と姉の友好記念日を壊すところだった。これだけは皮肉なめぐりあわせに感謝するしかない。
2階にある自室に入る。鞄を机に置き、腰のナイフを引き出しに入れる。それから制服を脱ぎ部屋着に着替える。鞄から、教科書類を出し課題に手を付ける。
やはり、気分がそれどころではない。ペンを机に投げ捨て椅子に深く背を預ける。両腕を頭の後ろで組み、天井を眺める。なにも考えることはなく、ただ天井の天板の模様を観察する。
しばらくして、思いついたようにベッドの上で充電されているスマートフォンの充電コードを抜き取りネット検索を始める。
『人気 平和 アーティスト』と検索する。
もしかしたら有名なアーティストの曲の影響を受けて、連中が変わったのかもしれない。邦楽、洋楽片っ端から調べてみる。最近、デビューしたグループや昔のグループの再燃なども考えて検索する。
1時間ほど検索してもそれらしいグループの情報は得られなかった。平和活動家や啓蒙家、ベストセラー本のランキングなども調べた。それでも、ピンとくるような情報は得られなかった。
憂悶としていたら、部屋の外から父の声がした。
「吾郎。 下に降りてきなさい」
部屋のドアを開ける。
「あ、母さんのお姉さんがきたのかな」
「そうそう、今リビングで静子ちゃんと話しているところだよ。 あいさつをして一緒に夕食にしようか」
父と階段を降りてリビングに向かう。母と伯母が会話を弾ませていた。
「お久しぶりです」
伯母はこちらに顔を向け、立ち上がり吾郎の方に歩み寄る。
「わー、本当に久しぶり。 伯母さんのこと覚えている? 多分、10年ぶりくらいになるのかな?」
「多分、8歳くらいの時に法事かなにかで会っていると思います」
「それくらい経つよね。 いやー、こんなに大きくなって。 あ、お土産買ってきているから後で頂いてくださいね」
リビングで夕食を取っている。伯母のことは、母と仲が悪いと言うことを聞いていたため、怖いような取っつきにくい印象があった。こうして食卓を囲い、母と仲睦まじく昔話に花を咲かせている様子を見ると、単に相性が悪かっただけのように思えた。感じのいい親戚の伯母さんと言う風にしか見えない。
「急に電話があったとき、私もお姉ちゃんのこと考えていて、びっくりしたよ」
「姉妹なのにお互いを避けたまま生きていくのって悲しいでしょ。 静子とこのまま両親の葬式でしか会わないんじゃないかと思ったら、怖くなって電話したの。 切られるんじゃないかって心配だったなあ」
「お義姉さんと静子はいつ頃からから互いを避けるようになったんですか」
父が尋ねる。
「それがわからないのよね。 思春期くらいの年齢のときにはちょくちょく喧嘩していたけど、それが原因ってわけでもなかったし。 んー、なんだろう」
母が昔の記憶を頼りに姉妹の仲違いの分析をする。しかし、原因は導き出せない。
「なにか決定的なことがあったわけではないんだよね。 気がついたら全く話をしなくなって、会うのが気まずような感じだったからね」
伯母の頭にもこれといって印象的な出来事は浮かばないようだ。
「原因はさて置き、姉妹の心の壁が取り払われて仲の良かった頃に戻ってよかったですよ! お義姉さん、よろしければこれから家に定期的に遊びに来てください。 姉妹の空白の期間を埋めるには1日では足りませんからね」
父の言葉に母も同意する。
「うんうん。 お姉ちゃんそうしなよ。 そうすれば今日みたいに達也くんがご飯を作って私たちはただ話しているだけでいいからすごい楽なんだけどね」
「ありがとう。 それじゃあたまに厄介になろうかな」
「遠慮しないで毎日でも来てくださいよ。 次は吾郎も手伝うんだぞ!」
「うん。 伯母さん、いつでも来てくださいね」
和やかな夕食が終わり伯母を玄関でお見送りする。
「達也さん、とても美味しかったです。 吾郎君、今日はいきなり押しかけて来てごめんなさいね。 家は私一人だけど、いつか家族で遊びにきてくださいね。 本当に楽しかった。 ありがとうね」
伯母さんは帰って言った。
吾郎はリビングでテレビを見ながら、ぼーっとしていた。母と父は食器の洗い物をしながら話をしている。
「なんか信じられないな。 お姉ちゃんが家に来て気兼ねなくお互いのことを話せるときが来るなんて」
「小さなことが積もり積もって溝ができていただけで、別に険悪な仲ってわけではなかったんだろうね」
「きっかけが掴めないまま何十年も疎遠になるなんて思ってもみなかったなあ」
「人間は思ったことを口に出さなければいけないんだろうね。 気持ちを鬱積したままでいたから、向き合えなかったんだよ。 でも、これで元通りだね」
父と母が親密そうにしているのを吾郎は寂しそうな目で見ている。
なにもできずに一日を終えてしまった自分に歯がゆい思いがするものの、両親との日常が守られたことに安堵もする。
明日はどうしたらいいのだろうか。なんで自分がこんなに悩まなければいけないんだろう。あいつらさえいなければ……。