第2話 計画と不思議な夢
どこにでもいる平凡な16歳の高校生の二見吾郎は明日、ある計画を実行しようとしている。怒りが原動力にならなければ、計画は行動に移せない。その計画は、6人に復讐すると言う計画だ。実行してしまえば間違いなく平凡から大きく一線を越えてしまうであろうことは、16年間しか生きていない彼でも十分理解していた。その後の未来を捨ててでも、完遂しなければならないほど、その6人のことを強く憎んでいて自分への罰も必要としていた。
計画を立てて準備もしているが、大きな勇気が必要なので中々実行に移せなかった。
吾郎を凶行へと動かしたのは大切な友達、立花幸助が打ちのめされるのを見たからだった。その場に居合わせて助けることも、苦しみを分かち合うこともできなかった。それどころか、加担すらしてしまったのは、吾郎自身も相当に参っていたからだった。数日遅れて、総身を焼き尽くすほどの憎悪が沸きたったとき、ようやく計画を実行に移す決意を固めた。
人を傷つけるのは相当な精神力が必要になる。その日は就寝時間を早めた。
決行前夜、不思議な夢を見た。
真っ暗闇をさまよっている。地上を歩いているのか宙に浮いて移動しているのか分からないまま、ただ歩いている。足を止めてかすかに輪郭を帯びた丘に目線をあわせる。すると、そこから一本の杭のような、棒状の物体がゆっくりと丘の頂から伸びて出てくる。人間の首ほどの太さの棒状の物体は、地上から丘の頂を見上げてみても、背の高さを感じないくらい長さで成長を止めた。きわめて退屈な味気ない空間で唯一、興味が持てたのはその物体のみである。伸びきってから、変化が起こった。物体は、全体をうねらせた。気味が悪いな、と言う印象を持ったとき、さらに気味の悪い変化が起こった。物体は動きを止めるとボコボコと大きな突起をいくつも作った。突起はさらに突起を作り、棒状の物体は完全に姿を変えた。
変な木だな、と思った。不思議な木はたくさんの枝を作った。
木は最後の枝を伸ばし終わると、枝の先端からわずかな光を見せた。光は輝きを増しながら、あたりの真っ暗闇を照らしていく。もはや片手で目を守りながら、薄目でしか木を見ることができなくなった。
明るくなった空間からでも認識できる枝の光は、煌めきを極点まで達したとき、一筋の放光を地上に送った。無数の枝の先端から、無数の放光が地上を走る。眩しさに目が慣れて、幻想的な場面に心を奪われる。木から背を向け惚けた表情で光の行く先の地平線に視線をやる。輪郭のしっかりした細い光は絡み合うことなく遥か彼方まで伸びていく。美しい光景を見入っている吾郎にも、ついに一筋の光が届こうとしている。
吾郎は木の方へ振り返り一筋の光に気づく。ようやく、自分にもあの心地よい光が到来する。目前に光が迫り、全身の力を抜いて目を閉じる。瞼を閉じても感じる輝きに自然と表情は柔らかくなる。
不意に瞼から暖かな光が消えてしまった。待ちわびた瞬間が来ない。吾郎は怪訝そうに瞼を開く。立ちはだかるように壁が出現していた。
「あ」
そこで夢から覚めた。ここ数ヵ月の間、入念に立てていた計画を実行する朝とは思えないほど、ぼんやりした気持ちの目覚めだ。
吾郎は戦地に赴く兵士のような、揺らぐことのない強靭な精神で朝を迎えるものだと思っていた。いつもより早めの時刻に目覚ましを仕掛けたが、その時刻よりも早い目覚めなので時間はまだある。
起き上がりベッドの上であぐらをかく。鮮烈だった夢の世界に浸りたい気持ちを抑えて、頭の中で計画を整理する。まずは学校に隠してある凶器の場所を思い起こす。ビニールで包んだナイフ二つは、図書館裏の木々の根元に一つ、グラウンド倉庫の裏の木々の根元に一つ埋めている。ハンマーも二つ用意してある。場所は、6号棟にある物置部屋に並べられた古びた机の中。別々の机に一つずつ入れてある。手荷物にしないのは、私物を漁られたときに計画が発覚してしまうのを避けるためだ。縄、テープ等の拘束の類は鞄に入れて持っていく。
次は、方法。ターゲットが一人になり、周囲に人がいない状況で包丁とハンマーを利用する。校内で使うのは、難しいのでそれぞれの帰路で使うのが望ましい。しかし、それらの凶器を使えば間違いなく足がつくのは分かっている。6人を学校から排除しなければ計画は成功ではないのだ。一番、発覚の薄い方法は放火だが、本人以外にも被害が及ぶため選択肢から外れてしまう。毒草を集め、服用させる手も考えたが、これは実現性に乏しく。機会を待たなければならない。
階段から突き落とす、校内の池やプールで溺れさせる方法。この事故を装う計画もおそらくうまくはいかないだろう。
あらゆる計画を立てたが、この数週間、完全犯罪の手立てを結局見つけることができなかった。しかし、言い訳を作ってしまえばいつまで経っても、行動に移せない。賢く警察の目を逃れ、一人ずつなんて言っていられない。覚悟さえ決められたら、校内で刃物を持ち、大暴れで6人を切りつけ殺傷することだってできるはずだ。全員、死亡させてしまえば、いくら未成年といえども数十年は刑務所にいることになる。それでも、連中がのうのうと学校生活を送るよりもマシに思えた。それくらい耐えかねているのだ。
心の準備が整った。ちょうど鳴り響く目覚ましを叩きアラームを止める。ベッドから降りて、一階に降りる。
ダイニングに行くと、母が朝食の準備をしているのが目に入る。奥のリビングではテレビがついている。いつもの朝の風景。何気ない日常が感傷的な気分にさせる。
母は、背後の吾郎に気がついて驚いた。
「わっ、びっくりした。 今日は早いね。 おはよう」
「おはよう」
洗面所に行き身支度を済ませて、ダイニングチェアに座る。母は息子の境遇を知らない。吾郎は学校で起きたことは、一切話してこなかった。今日、母は相当の衝撃を受けるだろう。人生最悪の日になるのは間違いない。
「おはよう。 おー、早いなー」
父が起きてきた。吾郎と母は「おはよう」と返す。
父が身支度済ませている間に、朝食が完成した。吾郎は、朝食が乗った皿をダイニングテーブルに運んでいく。
家族がそろって「いただきます」といって、食事をはじめる。
家族が普通に過ごせる最後の日になるかもしれないと思い、吾郎は両親に向けて謝罪や感謝の言葉を考える。ちっとも気の利いた言葉が浮かばなかったため、映画のセリフなどを脳裏に浮かべた。
「いつもお母さんが、こうして食事の準備をしてくれるから、俺たちは毎日生きられるんだ。ずぼらな俺が真っ当に会社勤めできているのも、君のおかげなんだよ。 照れくさくて、口にしたくてもいえなかった。 けれど、言わせてくれ。 静子ちゃん、結婚してくれてありがとう」
父は箸を置いて真剣な眼差しで母を見る。吾郎は、父のらしくない言葉に呆然とした。父が母の名前を呼ぶことを初めて聞いた。しかも、ちゃん付け。丁度いい映画のセリフは、父の言葉でどこかに流れた。
母も箸を置いて、父からの言葉を返す。
「私こそ、ありがとう、といいたい。 達也くんが仕事をしてくれるから、私たちが生活できるんだよ。 思っていた結婚生活じゃなくて、一時期悩んでいた日々があったけれど、なにげない毎日こそが大事なんだって、今になって気がついたんだよね」
母からも初めて父の名前を聞いた。しかも、くん付け。
二人は、はっとしたように互いの顔を見つめる。そして、互いに満面の笑みを送りあう。両親の親密なやり取りに吾郎は嬉しいような、悲しいような気分になる。
「静子ちゃんがいて、吾郎がいる。 二人は俺の元気の源だ! よしっ、この最高に美味い飯を食って今日も頑張るぞ!」
父は、ガツガツと朝食を平らげる。
「事故や怪我、病気にだけは気をつけてね。 家族がこうして毎日一緒にいられること。 これがなによりだから」
吾郎は思わず涙ぐんでしまった。平凡な日常が今日終わる。家族と親愛を深められて心から幸せを感じた。
「あれ、どうかしたの?」
母が不思議そうに尋ねる。
「なんでもないよ。 僕も父さんと母さんが両親でよかったって思っているからね」
その言葉に二人は優しく微笑んだ。
二人の変節につられて、自然な言葉が口に出る。
これで、後顧の憂いなくやれる。