10 雪ちゃんのこと①
ただならぬその話し方に、私は恐怖を覚えた。
一体、何があったの?
「雪ちゃん、何かあったんですか?」
うん、と、彼女が小さく頷く。
次の言葉を、じっと待つ。
「あの子、がんなのよ」
音が止まる。
世界が一瞬灰色に染まり、思考回路がぐちゃぐちゃに絡まる。
耳がキーンと、耳鳴りのように鳴った気がする。
雪ちゃん。がん。笑顔。余命。死。
いくつもの単語が頭の中を駆け巡る。
「うそ、ですよね」
絞り出した言葉は、余りに失礼だ。
「驚かせてごめんなさい。でも、本当なの」
彼女は申し訳なさそうに目を伏せる。
「いつ入院するかわからない状態だったの」
そんな状態だったなんて、本人からは何も聞いていない。
「私、何も聞いてませんでした」
「そうよね。あの子ったら、先輩には絶対に言わないっていつも言ってたわ」
そんな身体で毎日学校に来て、私に会ってくれていたなんて。
「いつ、入院なんですか」
私は失礼を承知で、彼女に聞く。
「明日」
あした、という3文字が、頭の中を侵食する。
「明日?!」
思わず声が漏れる。それは、あまりにも急すぎじゃないか。
「急でごめんなさいね。昨日容態が急変して、もう入院しないとまずいって……」
今にも泣き出しそうな彼女の顔を見て、私まで泣きそうになった。
「いえ、こちらこそごめんなさい。私も気づいていれば、何か出来たかもしれないのに」
「いいえ、あの子は意地でも病気のことは表に出さなかったはずよ」
彼女はふふっと静かに笑った。
「あなたと出会った時から、あの子の笑顔が増えたの。いつもニコニコしててね。気づかなかったかしら?」
確かにそうだ。雪ちゃんはいつも笑っていた。私に会う時はいつも。
「はい、気づいてました」
「あの子ね、先輩が声優になるまで死ねない。だから笑って寿命を伸ばすんだって言ってたのよ」
そんな。
寿命を伸ばすだなんて。
だから雪ちゃんはいつも笑顔だったんだ。
私が落ち込んでいても、いつでも励ましてくれていた。
そんな子が、病気で入院なんて。
「あなたも、時間があればお見舞いに来てくれない?その方があの子も喜ぶだろうし」
答えは、選択の余地などなかった。
「はい、私も雪ちゃんを元気づけたいです」
私はいま、大きな大学病院の前にいる。
これから、初めて雪ちゃんのお見舞いに行くのだ。
確かに、"白い巨塔" と呼ぶにふさわしい外観だ。
雪ちゃんにお菓子でも買ってあげようと思ったが、食べ物が禁止されていると困るので花束を買ってしまった。
私は意を決して、目の前の自動ドアを通り抜けた。
鼻いっぱいに、病特有のあの臭いが広がっていく。
受付を探して、お見舞いの旨を伝える。
「すみません、友人のお見舞いに来たんですけど……」
「かしこまりました。お名前と、わかれば部屋番号もお願い致します」
雪ちゃんの名前と、雪ちゃんのママに言われた番号を伝える。
「ありがとうございます。お帰りの際は一言お声がけください」
行ってらっしゃいませと言われたので、特に問題はないのだろう。
私はそのまま受付を過ぎると、近くにあったエレベーターに乗り込み、階数ボタンを押した。
久しぶりに来た病院のエレベーターは、どこか懐かしい感じがする。
少しして機械的な女性の声がすると、目の前の扉がゆっくりと開いた。
廊下を進んで、雪ちゃんがいるであろう病室の前で立ち止まる。
病院にお見舞いに来るのは初めてで、胸がドキドキする。
ふう、と一息置いてから、私は室内に入った。
中は個室ではなく、6個のベッドが置かれている。ということは、この部屋に最大で6人もの患者が入れるということなのか。
私は雪ちゃんのママに言われた場所に向かった。
確か、窓側の1番奥だと言っていた。
足音がうるさくならないように、そっとベッドへと近づく。
ベッドを覗くと、そこには何やらリズムゲームを楽しんでいる様子の雪ちゃんの姿が。
(はあ、よかった)
思わず、ほっと息が漏れる。
てっきり、ぐったりして寝込んでいる状態なのかと思っていたのだ。
ここで話しかけてしまうと、スコアにも影響が出るのは私が1番よくわかっている。
ここはひとまず、1局終わるまで待ってあげた方がいいだろう。
私はとりあえず、窓のふちに腰掛けて、雪ちゃんが顔を上げるのを待った。
少しすると、雪ちゃんが静かにガッツポーズをした。
どうやら、フルコンボを決めたらしい。
いや、もしかするとパーフェクトかも?
とにかく、話しかけられる状況にはなったみたいなので、雪ちゃんの近くに歩み寄る。
「雪ちゃん」
雪ちゃんがパッと顔を上げ、困惑の表情から驚きへと変わる。
その様は、少し面白かった。
「先輩!」
雪ちゃんが、ベッドの上にスマホを投げて言った。
「どうしてわかったんですか?」
「お母様が教えてくれたの。私にもお見舞いに来てほしいって」
そうだったんですね、と、雪ちゃんが下を向く。一気に声のトーンが下がる。
「ごめんなさい、黙ってて」
「謝らないで。雪ちゃんは悪くない」
入口から看護師さんがやって来て、椅子を私の元に持ってきてくれた。
もしよければ使ってくださいと言われて、頭をペコペコしながら椅子に座る。
椅子に座ると、雪ちゃんがこちらを見てニコッと笑った。
「先輩が来てくれると思わなかったから、凄く嬉しいです」
また笑った。いつもの笑顔。だけど、真実を聞いてしまったからか、とても哀しく感じてしまう。
「ありがとう。いつでも来るよ」
本当は、無理に笑わないでと言いたい。つらい時は泣いてもいいんだよと。
でも、彼女が望んで笑っているのなら、それを止めてまで現実を見させる必要はない。雪ちゃんが笑うなら、私も横で笑っていたい。
「それで、フルコンボは決まったの?」
見てたんですかぁ、と、雪ちゃんは少し恥ずかしそうに視線を逸らした後
「はい、パーフェクトでした」
と言って歯を見せ、ピースサインを目の前に出した。
「あらすごい。ハード?」
「いや、プロって書いてあります」
嘘、雪ちゃんってリズムゲーム、ベテランなの?
「でも、元気そうでよかった」
私は雪ちゃんに笑顔を返した。
「何か困ったことがあったらすぐ言ってね。私駆けつけるから」
「ありがとうございます。でも、ナースコールもあるので大丈夫です!」
雪ちゃんは、特に冗談を言ったつもりはないらしい。
いや、そういうことではないんだけどな……。
話の話題を探して、昨日の記憶を辿っていく。
そうだ、雪ちゃんに1番話さなきゃいけないことがある。
「そういえばね、私、雪ちゃんに話したいことがあって……」
私は雪ちゃんに、昨日の林拓也さんのトークショーについてを話した。
もしかしたら、自分も声優さんとお話が出来るかもしれないということ。私の夢が思わぬ形で実現してしまうかもしれないということ。
私が一通り話終わる頃には、雪ちゃんの目はキラキラと一緒に夢を追いかけてくれているかのように輝いていた。
「先輩が、林くんと、トークショー……?」
「まだ決まったわけじゃないけどね。詳細は何も見てなくて。とにかく1番最初に雪ちゃんに伝えたかったの」
そう。情報は確認しただけで、詳細の方は何も読んでいなかった。もしかしたら私は対象外のユーザーなのかもしれないし、応募出来たとしても、倍率の方はとんでもない数字になっているだろう。
私がトークショーに出演出来る確率なんて、ほぼゼロに近いのかもしれない。
「じゃあ、今見てみましょうよ。私も凄い気になります」
雪ちゃんがいつもの笑顔で、こちらの顔を覗き込む。
本当にこの笑顔を見ると、悲しいことなど忘れてしまう。
私は雪ちゃんに言われた通り、昨日見たツイートを探して、また表示する。
「あった、これだ」
私は "詳細" と書かれた所を押して、新しく見る画面を開く。
【夢を叶えよう!林拓也トークショー】
途中までは昨日見た内容と同じだ。問題はここからだった。
『対象ユーザは、こちらのアプリにユーザ登録をした方全員が応募することが出来ます。応募期間中に、より多くのファン数を獲得した方が、トークショーの出演を許可されます。応募期間については、下記をご覧ください』
どうやら応募期間は、まだまだ先のようだった。
「というわけなんだけど……」
私はとりあえずスマートフォンの画面を真っ暗にし、雪ちゃんの顔を覗き込んだ。
雪ちゃんは真っ暗になったスマートフォンをじっと見つめて、ボソッとつぶやく。
「凄い、林くんと……」
そして、ゆっくりと私の方を向いて、目を大きく開く。口を開いたかと思うと、やばいですねと一言放った。
「そう、やばいよ」
私も雪ちゃんと同じイントネーションで放つ。本当に、やばいと思う。
私は、ふうと一息ついて、スマートフォンをカバンの中に閉まった。
せっかく雪ちゃんに会いに来ているのだから、手の中にスマートフォンはいらない。
「林くんも最近露出度が増えてきたし、更に人気が出てくるかもしれませんね」
雪ちゃんが遠い目をして、自分の手を見つめながら言った。
「嬉しいけど、やっぱり少し寂しいかもしれません」
雪ちゃんの声は、いつもより弱い感じがして。今までこんな雪ちゃんを見たことがないから、少し驚いている自分もいる。
私も言いたいことはとてもよくわかる。でも……。
「でも私は、沢山の人に声優っていう職業を知ってもらいたいなあ」
え?と言って、雪ちゃんが顔を上げる。
確かに、人気になればなるほど遠い存在になっていくという気持ちはよくわかる。
ライブに当たる確率も減るだろうし、ラジオであればメールを読まれる確率も減るだろう。
でもそれはあくまで私たちから見た彼への距離に過ぎない。
ステージから見た景色が、段々ときらびやかになっていく様子は、時間をかけて見ていくと何とも言えない感動になるに違いない。
ファンの皆がいるから僕はここに立てる、と、まこっちゃんもずっと言っている。彼らの支えである "ファン" の数が増えれば増えるほど、彼らはもっと素晴らしいパフォーマンスを見せてくれると信じている。
だからこそ、ファンが増えてきたという事実に、寂しいという感情は全く現れなかった。
「そうですね、確かに……」
雪ちゃんは今まで自分が考えたこともない意見を出されたからから、口をぽかんと開けている。
「推し事は何でもポジティブに捉えなきゃ。大好きな人を追いかけるんだから」
私は雪ちゃんの肩をポンと叩いた。きっと入院中は大変なことばかりだろうから、せめて推しを見ている時だけは、楽しい気持ちでいて欲しい。
雪ちゃんは、ふと口角を上げたかと思うと、こちらを見て
「でも私、嬉しいです。私、先輩の1番最初のファンですから」
濁りのない純粋すぎる目で、雪ちゃんが私の目を覗き込む。
まさか自分が後輩にこんなことを言われる日が来るとは思わなかったし、後輩にそう言われる存在になることなど、考えもしなかった。
でも、私は夢を叶えると決めたから、もう後ずさりはしない。
「ありがとう。私、雪ちゃんのために頑張る」
そう。トークショーに出演するためにも、やってみせる。
いやいや。ようやく続きです。
お待たせしてしまって本当にすみません。
まさかの、雪ちゃんはがんだったという……。
今回はこの「雪ちゃんのこと」の章が何話か続くので、暖かく見守って頂けると幸いです。
最近夏目漱石の文に触れる機会が多く、美しい表現との出会いに度々驚かされます。
「こころ」は、本当におすすめなので、1度読んでみてください。あ、私の小説の方もよろしくお願いしますm(_ _)m




