元夫の苦難4
短期休みの最後の日にウォントに教わった泉を訪ね、鍛錬していると銀髪を見つけて気配を消して隠れる。
護衛騎士が離れたので泉に近づき泳いでいるレティシアを眺めていた。泉に潜り浮かんでこないけど、息が続くのだろうか?魔法を使うから問題ないか。
しばらくすると泉から顔を出し目が合うと、ふわりと笑う彼女に口元が緩む。
駆けてくるレティシアに勢いよく抱きつかれ、柔らかさを意識しないように必死に平静を装い濡れている背中に手を回す。胸に顔を埋める彼女をどうやったら俺のものにできるだろうか。俺が知るリオの情報は少ない。後輩に探らせ確認したレティシアが誰にも呼ばせない愛称を口にする。
「シア」
銀の瞳を細めて満面の笑みで見上げられ、再び胸に顔を埋める姿は可愛くいつも向けられる上品な笑みとは別物だ。
呼び方はやはりシアか・・。頭を撫でると俺に抱きつく腕に力がこもり、時々顔を上げて幸せそうな顔で見つめられる。どうするか悩んでいると、胸に顔を埋めているレティシアにリオと呼ばれた。
「大丈夫だよ。エイベルがすごく優しいの。ステラもいる。それに時々でもリオが会いにきてくれるなら頑張れる。知らなかった。こんなに好きだったなんて。リオ、私はいずれは嫁がないといけません。でも心はリオだけです。だからまた会いに来てくれる?」
顔をあげたレティシアの笑みがだんだん崩れて、ポロポロと涙が流れた。声に力がなくなり、俺の胸を掴んでいる手は震え怯えた瞳を向けられ、こんな顔をさせたくなかった。
頬をつたう涙を指で拭って頷くと、うるんだ瞳を細め笑う。濡れた体に潤んだ瞳に頬もほんのり赤くて、切ない笑みを浮かべる赤い唇に口づけしそうになった自分に気付いて自制すると、うっとりとした顔でレティシアが目を閉じた。触れるだけの口づけをすると目を開けたレティシアがとろんとした甘い笑みをこぼし、もともと速かった胸の鼓動がさらに速くなり、顔も赤面しているのがわかった。レティシアの顔が近づいて唇が重なる。目を閉じる余裕なんてなかった。目を開けたレティシアはさっきの笑みとは別人のような楽しそうに無邪気な笑みを浮かべながら触れるだけの口づけを。
「お嬢様、」
楽しそうに俺に口づけるレティシアの動きが止まり表情が抜け落ちた。
「リオ、行ってきます」
切ない声で悲しそうな顔をする彼女に笑って欲しかった。もしもリオが恋人だったなら
「シア、好きだよ」
悲しい顔が一気に明るくなり満面の笑みを浮かべて強く抱きしめられた。
「私もリオ兄様が大好きですわ」
腕を解いて振り返ることなく、駆け出した。
護衛騎士と合流したレティシアの楽しそうな声が風に乗って聞こえる。泣いている彼女とは別人のようだ。体が覚えている熱、レティシアの見せる表情も仕草もたまらなかった。学園での上品な姿とも友人の前で明るい姿とも別人だった。いつも笑顔で弱さを見せない彼女の涙を俺が止められることが嬉しかった。
彼女が求めるのは俺じゃない。それでも、抱きしめ涙を拭って笑顔にさせられるなら構わない。容姿に興味はなかったけど、彼女の恋人と似ている外見に歓喜する。
そろそろ帰るべきなのに体に残る温もりに彼女とのことを思い出し足を進める気にならなかった。ただ明日から授業なので学園に戻らないといけない。
俺は合流した侍従に挙動不審を不審な目で見られたが曖昧に笑ってごまかす。
馬車の中で顔の赤みを必死に抑えて、学園に戻る頃にはなんとか平常心を取り戻せた。
学園に戻り、料理に夢中なレオ様に俺の特別室を貸していたので一応顔を出すと案の定、レオ様が料理をしていた。
「リオ、久しぶりだな。食事を作ったら食べるか?」
せっかくの誘いなので頷くと笑う。レオ様の料理の話を聞きながら、レオ様とレティシアは仲が良いのを思い出す。
「レオ様、ビアード嬢とどうやって仲良くなったんですか?」
「よくわからない。ただ最初からあんな感じで、友達だって」
レティシアは自分より身分の高い者には常に丁寧だがレオ様だけは別だった。礼儀をわきまえず、親しそうに接している。海の皇国に訪問した時は父上は見慣れるまで笑顔で固まりながら二人のやり取りを眺めていた。俺は彼女よりも家格は高くても、同じ生徒会役員で同派閥という警戒心が和らいでもいい立ち位置なのに全く親しくなれていない。
「仲良くなりたいのか?」
「はい」
「フィル達みたいに?」
「はい。俺は名前さえも呼んでもらえません」
レオ様に無表情な顔を向けられていると侍従がレティシアからの面会依頼を持ってきた。泉でのことを思い浮かべて一気に熱が上がりお茶を一気に流し込み一息つく。
「レオ様、ビアード嬢を呼んでもいいですか?」
「ああ。久しぶりだな。倒れてないといいけど」
レオ様が無表情から笑顔に変わる。
了承の返事を出すと、制服を着たレティシアがすぐに訪ねてきた。
部屋に入ると、レティシアはレオ様に気付いて、親しみのこもった柔らかい笑みを浮かべる。
いいよな。俺には向けられない笑みで親しく話す姿は二人の世界だ。レオ様のお茶を断ったレティシアが俺の前に立ち綺麗な礼をした。
「マール様、お時間をいただきありがとうございました。こちらお返しします」
上品な笑みを浮かべて差し出されたのは彼女のために取り寄せた本だった。
いつもルーン公爵邸の訓練の後は治癒魔法をかけてもらうので、お礼として、それに話すきっかけになればいいとか喜んでほしいとか、色んな思惑はあったけど、返されるとは思わなかった。
「お礼だから受け取ってほしい。何度、傷を治してもらったか」
「恐れながら治癒魔導士の務めですから気にしないでください」
「うちにあっても使わないんだ」
「でしたら、買い取らせていただきますわ」
彼女は俺からの物は受け取ってくれないのか。俺には貴族の顔しか見せてくれないのも寂しい。
贈り物は想いが詰まっていると言った彼女の頑なな拒絶に心が抉られそうだ。
「レティシア、受け取れよ。お前好みのものだろう?贈り物は大事にすべきだろう。」
レオ様の言葉にレティシアが目を見張りずっと浮かべていた穏やかな顔が崩れた。
レオ様にはレティシアは弱いのか。落ち込んでいる場合ではないので、笑みを浮かべる。
「せっかく用意したから受けとってほしい。」
レオ様を見ているレティシアを見つめていると静かに頷いた。
「ありがとうございます」
家としての付き合いで贈られた物には返礼するのは常識である。俺個人からの贈り物だという意味を含ませ、返礼を断ると困惑した顔をしている。返礼により相手との関係性を探ったり、お付き合いの程度を匂わせるのも常識である。
思い切って提案してみるか・・。断られたら落ち込むけど、でもずっと言えなかった。
「なら、名前で呼ばせてもらえないか?」
「はい?」
生徒会でもレティシアを名前で呼ぶ役員は多く、初対面の時に名前で呼ばなかったことを後悔していた。それにビアードに訓練に訪ねる奴らも皆が名前で呼んでいる。
彼女の名前を呼べるやつらが羨ましいと言う本音を言えば引かれるのはわかっているから建前を口にする。
「ビアードが二人いて、紛らわしい」
「エイベルに伝えておきますわ」
勇気を出したのに穏やかに笑う彼女の返答は見当違い。
「レティシア、違う。エイベルじゃなくお前のことを言っている」
「私?」
首を傾げてレオ様を見る仕草が愛らしく、レオ様がいると貴族の顔が剥がれるのか・・。出会ったのは俺の方が長いのに・・。
「駄目かな?」
「申しわけありませんが、兄の名前を好きにお呼びください。ご令嬢達に」
母上に忠告されなければ、俺のファンがレティシアに迷惑をかけていたとは気付かなかった。勝手に焦がれて、付き纏う迷惑な令嬢達には忠告をした。公爵子息として平等とはいえ学園で礼儀をわきまえない振舞いを許す当主に警告も。
「俺のファンに手出しはさせない。君に俺のことで声をかけないように言い聞かせている」
しばらく黙ったがゆっくりと頷いた。
レオ様の料理の誘いを断り礼をして立ち去った。当たり前のように誘われ約束できるレオ様が羨ましい。俺も料理を覚えたらいずれ一緒に作れるだろうか・・。
でも名前で呼ばせてもらえるだけでも前進か。
「そんなに嬉しいのか?」
レオ様に不思議そうに見られている。レオ様は人間関係の機敏に疎い。
「名前は親しい相手にしか呼ばせません。人それぞれ違いますが俺にとっては特別ですよ」
「そうか」
「レオ様、ありがとうございました」
「何が?」
「彼女が俺の贈り物を受け取ってくれたのはレオ様のおかげです。」
「そんなに嬉しいのか?」
「はい」
「仲良くなれるといいな」
「ありがとうございます。」
レオ様は無表情で考え込み、しばらくして料理を再開した。父上はレオ様との関わりがわからないと嘆いているが、視野の狭い子供と思えば付き合いやすい。
本当に親しくなりたい相手とは親しくなれないのに、どうして違う奴ばかり・・。
レオ様と一緒なら彼女は俺の誘いを受けてくれるだろうか?
俺自身はどうすればレティシアと親しくなれるだろうか。
学園に入学して1年経つのに出会った頃と距離感が全く変わらない。




