第一話 三度目のやり直し
愛しい人の腕に抱かれ優しい風に包まれ、空の散歩をする夢を見ました。
幸せな夢にうっとりと目を開けると見慣れない天井が見えました。
桃色の寝具に包まれ腕の中には鳥のぬいぐるみを抱きしめています。ゆっくりと起き上がり辺りを見渡すと桃色を基調にした幼い女の子が好みそうな部屋にいました。
何一つ見覚えがなく、ぬいぐるみを抱きしめているのも初めての経験です。
「レティ、起きたの?」
扉の開く音に視線を向けると、ゆっくりと近づいてきた切れ長の目を持つ美しい貴婦人。驚きを隠して平静を装い、ベッドから降り笑みを浮かべて礼をします。
見慣れない夜着や部屋に戸惑いますが、美しい貴婦人への無礼は許されません。
「ごきげんよう。ビアード公爵夫人」
「レティ?まだ熱が下がらないのかしら」
記憶よりも若いビアード公爵夫人に心配そうに顔を覗きこまれ優しく額に手を当てられました。私達は愛称で呼ばれる関係ではありません。慈愛に満ちた瞳には害意も殺意もないので命の危険はないでしょう。
「レティシア、熱下がったのか?」
新たに入室したのは息子のお友達のエラム・ビアード様です。礼儀正しいエラム様は私をレティシア様と呼んでいました。決してこんなに気安く話しかけません。
「エラム様?」
「は?」
怪訝な顔で見られました。
父親の無礼なエイベルにそっくりなお顔です。
エイベルの悪影響を受けてしまったエラム様にため息を我慢します。将来はエイベルのようなポンコツには育たないでくださいませ。
「レティ、まだベッドに入ってて。まだ調子が悪いみたい。どうしたのかしら」
ビアード公爵夫人に抱き上げられてベッドに戻されました。なにかおかしくありませんか?
いえ、おかしいことだらけですが…。
私は軽々と抱き上げられるほど小さくありません。
「レティ、お母様は出かけないといけないの。夜には帰ってくるから安心してお休みなさい。エイベル、帰ってくるまでレティを頼んだわよ」
優しく頭を撫でるビアード公爵夫人に戸惑いしかありません。
私の母はローゼ・ルーンで、ビアード公爵夫人と血縁関係はありません。
あら?
エラム様をエイベルと呼ばれてませんでしたか!?
「母上、俺は訓練が」
「たまには妹の面倒をみなさい。騎士たるもの心身共に守るべきよ。妹も守れないなら殿下なんてお守りできないわ」
エイベル?に不機嫌そうな顔で見られてます。よくわかりませんが、公爵夫人は忙しいので邪魔してはいけません。私も一人になりたいので、出かけていただきましょう。穏やかな笑みを作って微笑みかけます。
「私は一人で大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
ビアード公爵夫人とエイベル?に凝視されてます。
「母上、俺が見てます。様子がおかしいので」
「ええ。私も早く帰ってくるわ」
何度も振り返り、心配そうな顔で立ち去っていくビアード公爵夫人を見送りました。目の前にいるのはエラム様ではなくエイベルですか?
エイベルは成人しているはずですが…。ビアード公爵を継いで、いつもクロード様のお忍びに悩まされてましたよね?
最後に会った記憶はぼんやりとしていていつのことか思い出せません。
「レティシア、母上達には秘密にしてやる。何をやらかした?」
眉間に皺のあるお顔は物凄く見覚えがあります。これエラム様ではありません。失礼で不躾なのはエイベルです。
「つかぬことをお聞きしますが、私と貴方の関係は?」
「まだ根に持ってるのかよ。兄妹だろうが」
兄妹?
呆れた顔ですが、冗談ではなさそうです。まずエイベルは冗談を言えるような器用な人間ではありません。
「はい?」
「次の遠乗りは連れて行ってやるよ。いい加減に機嫌を直せよ」
おかしいです。エイベルと遠乗りに行った記憶はありません。
余計なことは話さないほうがいいでしょうか…。
でもエイベルは単純だからごまかせますか?
夫のリオのように見透かされることはないでしょうし試しに呼んでみましょうか。
「お兄様?」
「お前がお兄様なんて薄気味わるいな」
この失礼な物言いはエイベルで間違いありません。小さいですが私の兄弟子で2歳年上のポンコツエイベルです。
ビアード公爵家のエイベル・ビアードでしょう。
「失礼ですわ」
「元気ならいいや。ついてるから休め」
わかりやすく心配されると気持ちが悪いです。エイベルはいつも私を雑に扱います。側にいられても困ります。エイベルへの文句は我慢して笑みを浮かべます。
「私は一人で大丈夫です。訓練に行ってくださいませ」
「何かあれば呼べよ。ゆっくり休め」
苦笑して頭を撫でて出て行くエイベルを見送りました。あのエイベルは誰ですか……。
一人になったのでベッドから出ると、体が小さいです。
鏡を見ると瞳の色が銀色です。
銀髪で銀の瞳は私のお母様、ローゼ・ルーンの容姿に似ています。
瞳の色で使える魔法の属性がわかると言われています。銀の瞳は風の属性を持つ一族に受け継がれます。
魔力を操作すると手の中には青い魔石ができました。
ビアード公爵夫人達の話を振り返ると、エイベルを兄と言ってました。
小さいエイベルはまだ公爵ではないのでビアード公爵家嫡男。
エイベルに妹はいません。
妹ならビアード公爵令嬢ですか!?
ポンコツエイベルの妹なんて嫌ですわ!!
ビアード公爵夫人と全然似てないんですが・・・。養女ですか!?
待ってください。手の中にある青色の魔石は水属性です。
ビアード公爵家は風属性の名家ですが、ビアード公爵令嬢なら水属性ってまずいですわ!!
またやり直しですか!?
嫌な予感しかしません。お先真っ暗です。
夢なら醒めてください。夢ってどうやって醒ますの!?
ベッドの上に置いた鳥のぬいぐるみのつぶらな瞳に見つめられて、ぎゅっと抱きしめました。
鳥様に落ち着いて状況を整理しなさいと言われています。
落ち込んでいるわけにはいきません。
時間は有限です。
この現状が知られれば、研究所に突き出され、被験者として一生を…。
思い浮かべるだけで鳥肌が…。怪しい研究者に囲まれるなど夢でも嫌です!!
鳥様の教えに従い、状況整理です。
ここは四精霊を信仰するフラン王国です。
精霊の加護による地、火、水、風の魔法が主流です。
私は水属性の名家であり宰相一族のルーン公爵令嬢レティシア・ルーンとして青い瞳に銀髪を持って生まれました。
一度目は王太子クロード殿下の婚約者として生き、15歳の時に第二王子のレオ殿下に監禁されて生涯を終えました。
二度目は生前の記憶を持ったまま5歳のレティシア・ルーンとして目覚めました。監禁され殺されないように陰謀をめぐらせ、脱貴族をしました。
平穏ではありませんでしたが従兄のリオ・マールと結婚して可愛い子供にも恵まれ幸せな生活を過ごしてました。死んだ記憶はありません。
そういえば夫のリオから同じような夢の体験談を聞きました。
目が覚めたら子供の姿に戻ったので、工夫をしたら平穏な人生を送れたと。
長い夢を見たと熱で寝込んでいたリオから教えてもらったのが懐かしいですわ。
リオは容姿端麗で文武両道で私の夫としては勿体ないほど優秀な人でした。リオに平穏に過ごすためのアドバイスをもらいました。
私は幸せだったのでやり直しは遠慮したかったのですが、悲しんでいる場合ではありません。
愛しい夫の話を思い出します。
私は子供の頃にクロード殿下に見初められたことが平穏に過ごせなかった一番の原因と言ってました。
子供の頃からクロード殿下とリオのファンからの嫌がらせが日常茶飯事でした。
クロード殿下に見初められず、モテない婚約者を作れば平穏に暮らせると教えてもらいましたわ。
幼い時にリオと婚約して、分厚い眼鏡をリオにかけさせて過ごしたらいいと。
分厚い眼鏡をしたリオに令嬢達は見向きもしなかったそうです。リオの素敵な所は外見だけではありません。でもあの銀の瞳はうっとりするほど素敵で、見ていると吸い込まれそうになります。瞳が隠れてしまうのは寂しいですわ。
愛しい夫を思い出しうっとりしている場合ではありませんでした。
リオは私がお願いすれば絶対に求婚を受け入れ、婚約できるように手を回すと言いました。
ただ状況が違います。
ルーン公爵令嬢でもなく、従妹でもない私が突然婚姻を申し込んだら不審者ですわ。
私はリオに不審者として扱われるなど耐えられません。
リオ・マールは身内には恐ろしいほど甘く優しい人でした。
生前は従妹として幼い頃からリオに甘やかされて育ちましたわ。
今の私はリオとは全く無関係です。血縁者ではないので優しくされる理由がありません。
リオ、せっかくのアドバイスですが境遇が違いすぎて全く役にたちませんわ。
誰よりも頼りになるリオ兄様のアドバイスが役にたたないなんて無情な…。
落ち込んでいる場合ではありません。
腕の中の鳥様にも怒られている気がします。
鳥様を見つめていると閃きましたわ!!
王家と関わらずに人気のない婚約者を見つければいいんです。
リオである必要はありません。
まずビアード公爵家とマール公爵家では家の利がないため婚姻は無理です。
混乱してきましたわ。
頬をつねると痛いです。
境遇が違いすぎて、リオのアドバイスも生前の記憶も全く参考になりません。
夢か現実かはわかりませんがまずは現状把握です。情報はいつの世も大事です。
先行き不安しかありません。
リオ兄様、シアは頑張るので見守っていてください。
部屋の壁にはビアード公爵家の紋章が飾ってあり、ここがビアード公爵邸であることは間違いありません。
ビアード公爵家は武術の名門です。
本棚に小説がたくさんありますが日記はありません。
知らない小説ばかりで、中を読むと全部恋愛小説でした。
全く役に立ちません。
最初の人生は教養のためと与えられた本を二度目の人生は脱貴族への準備のために実用書ばかり読んでました。部屋の中を見渡しても参考になるものは全くありません。
お勉強道具もないんですが、どういうことですか?
かわいらしいお洋服や玩具はありますが、レティシア・ビアードのことは全くわかりません。
部屋の中に有益な情報はありません。
ビアード公爵令嬢なら屋敷を歩いても不審者として捕まりませんよね?
夜着を着替えて、気配を消して部屋から抜け出しました。
気配を消すのは二度目の人生のおかげで得意です。
二度目の人生で脱貴族後に冒険者をしていた経験が役に立ちましたわ。
誰にも見つからないように隠れながら歩いていると書庫を見つけました。
書庫は小さく蔵書も少ないですが、探していたものがありました。
目についたビアード公爵家の歴史書を手に取り机に重ねあげます。
知識や記憶がないことは誰にも知られてはいけません。
見つかれば大惨事です。そして被験者としての一生が…。恐ろしいですわ。
私の外見では6、7歳だと思います。この頃はルーンの歴史書も建国話も全部読み終わってましたので急いで頭に入れないといけません。
生前の弟のエドワード・ルーンは4歳で読破しました。
私は5歳でした。私の自慢の弟のエディはとても優秀でした。
この年齢で基礎知識がないのは怪しまれ、公爵令嬢として許されないので急いで頭に入れましょう。ビアード公爵令嬢の在り方を見つけなければいけません。
歴史の中には目指すべき令嬢像は示されているのです。
「お嬢様!!こちらにいらしたんですか!?」
大きい声に本から顔をあげると執事に凝視されました。
「お嬢様、見つかりました!!」
執事が大声で叫びました。ここの使用人は叫ぶんですか!?
書庫は入室してはいけなかったのでしょうか。禁書は見当たりませんでしたが…。
まさかもう記憶がないってバレたのでしょうか?
「レティシア、隠れんぼするなら全快してからやれ!!」
勢いよく飛び込んできたエイベルに大きい声で怒鳴られて睨まれてます。
「レティシア!?」
視界が歪んで涙が溢れました。悲しくありません。ただ怖いだけです。
親しい人にこんな大きい声で怒られたことありません。
浮遊感がして顔を上げると抱き上げられてました。
「ビアード公爵?」
「どうした?今日は大人しいな。ずっとベッドでの生活に嫌気がさしたか?拗ねてお父様とは呼んでくれないのかい?」
抱き上げて、涙を拭いてくれたのはビアード公爵でした。
忘れてましたがビアード公爵は私の父でした。そういえばベッドで休んでなさいと言われてましたわ。
「お父様、お部屋を抜け出して申しわけありませんでした」
周りの視線が痛いです。凝視され真っ青な顔の使用人もいます。
そこまで抜け出したことがいけなかったんでしょうか。
それともバレましたか?
表情豊かな使用人にも違和感があります。ルーン公爵家の使用人は常に冷静で穏やかな顔しか浮かべません。
「レティもそろそろ社交デビューか。念願の王子様に会うために今から練習かい?」
ビアード公爵は怒っている様子はありませんが笑顔で恐ろしい言葉を言われました。
私は王家と関わりたくありません。
この方針は何度人生をやり直しても変えるつもりはありません。
生前の王家とのお茶会はお腹の痛くなるものばかりでした。
勉強と執務に追われる子供時代も人生も送りたくありません。
一度目の人生の子供の頃の記憶はある意味トラウマです。人生で一番勉強した時期ですわ。クロード殿下の婚約者になってからは遊ぶ時間はありませんでしたわ。
「私は怖いので王家の方にはお会いしたくありません」
「レティ?」
二度目の人生のお友達のケイトが教えてくれた庇護欲をそそる顔を作りじっと見つめます。
「お父様、私は王家も社交も怖いのです。もっとお勉強をして自信がついてから社交デビューしたいです」
「父上、様子がおかしいんです。借りてきた猫みたいで」
邪魔しないでください。エイベルを睨みたいのは我慢します。
「お兄様、ひどいです」
「お前の願いで社交デビューを早めたから、嫌なら構わないよ」
「お父様!!ありがとうございます」
簡単に回避できましたわ。
向けられる笑みやお顔は愛娘を溺愛する時のリオにそっくりです。
ビアード公爵は実直な方です。
もしかして、うまくやれば平穏に生きられるかもしれません。
デレデレとしたビアード公爵に抱かれてベッドに戻りました。
記憶の中の公爵との違いに戸惑いが隠せずに眠ったフリをすることにしました。いつも怖いお顔のビアード公爵のデレデレしたお顔に引いたのは内緒です。
これにも慣れないといけませんのね…。
ベッドの中で思考を巡らせます。
幸せな二度目の人生にも後悔があります。
二度目の人生は私はご令嬢達に嫌われていました。
私に嫌がらせをする令嬢を見ていた弟のエドワードが女嫌いになりました。もしかしたら今度はエイベルが女嫌いになるかもしれません。今世は令嬢達にできるだけ嫌われないように立ち回りましょう。エドワードは私が傍にいないなら女嫌いにならないでしょう。
もう一つの後悔はリオのことです。
一度目の人生はリオはクロード殿下の側近として過ごしていました。
二度目の人生は私の脱貴族に付き合わせてしまいました。リオのおかげで幸せでした。ただクロード殿下から優秀な側近を奪い、リオに家を捨てさせたことは後悔してました。
寂しいですが、リオをクロード殿下から取り上げないように離れましょう。
離れる以前に関わりないの忘れてましたわ。
今世はビアード公爵令嬢らしく、平穏な生活を目指しましょう。
そういえば、ルメラ様のこともなんとかできるかもしれません。
リアナ・ルメラ様は幼い頃に両親に洗脳されて育ち、罪を犯した可哀想な男爵令嬢です。人の言葉が届かない方ですが、洗脳される前にお会いしたら、未来はかわるかもしれません。
ビアード公爵令嬢ですか。
せっかくなので、今世はエイベルやリオに勝てるようになりたいです。
でもリオには関わらないのでエイベルに勝てるようになりましょう。
生前は手合わせで一度も二人には勝てませんでした。夢の世界でもいいので、勝ちたいですわ。
今世の目標は決まりましたわ。気分が明るくなってきました。
今世の目標は5つです。
・王家と関わらない。
・ルメラ様の洗脳を解く。
・エイベルに勝利する。
・監禁回避。
・ご令嬢に嫌われない。
状況はわかりませんが三度目の人生こそは平穏な生活を目指しますわ。
読んでくださりありがとうございました。
追憶令嬢の徒然日記 シリーズの新しいお話です。
主人公のレティシアは追憶令嬢の徒然日記の番外編のレティシアよりも進んだ時間軸を生きていました。2度目の人生のネタバレが少しありますが広い心で読んでいただけるとありがたいです。