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聖国の国情や行き過ぎた貧富の差に関しても、私は多くの情報を持っていました。
なんならゲーム開始時の聖国が保有する全資産・物資・人材の細かな内訳まで頭に入っていたし、
加えて今世の生家は聖国を睨むのが主な生業である以上
少なくない情報に触れてきました。
前世と今世の情報を統合するに
民忠のパラメーターは期待するべくもなく低く、幸福度も健康度も地の底。
さりとて奇妙なほど反乱もサボタージュも起こらない・起こせる程の余裕も無い
武力と信仰、そして何より上流階級を旧教における神の遣いと同一視する程の
逆らえば万人単位で人が駆除される極度の恐怖政治によって
数百年掛けて意思を折られてきた奴隷以下の家畜の民達が住む国…という話は、理解できていたつもりでした。
魔力と騎械が存在する、万の民が群がっても
『ごく少数の有力者』が
『圧倒的多数の民衆を力で制圧できてしまう』この世界では
こうした統治の例は程度の差はあれ他にも有り、この世界でも流石に些か前時代的ながら
聖国は然程珍しいケースでは無いと、机上では理解していたつもりだったのですが…
「(キッッッッッッッッッッッッッッッッッッッツ)」
わかっていたつもりだったのに、正直に言って想像を超えていました。
聖城の掃除を終えてから大通りに陣取って、《ハインツ》の外部スピーカーから出てきて並ぶ様に呼び出すと
聞こえていないだろう距離にいた人達まで勝手に示し合わせて
異常な従順さで大路に並び、命じてもいないのに跪き
気がついたら無言で首を差し出している聖国の民達。
別に指揮官や有力者による指揮や命令などありもしないのに
命令を受けて、わらわらとそうしはじめると奇妙な程素早くにそれが伝播していって
まるで蟻か何かの様に集まり、死体の様に微動だにしません。
その動きには『慣れ』が感じられます。
全員が大路に跪き、首を差し出すのに半時間も掛かっていません。
集まった聖都の人達は臭気が凄まじく、鼻どころか目に染み、耳や喉まで痛んだので
一度外に出ようとしたのに慌てて《ハインツ》のハッチを閉めて、涙目で操縦席に戻る羽目になりました。
ドン引きです。
「『清めよ』『清めよ』…『清めよ』」
コクピット内で浄化魔法を何度か使い、ようやく人心地ついてから、改めて《ハインツ》のモニター越しに見渡す――その数四万を超える、跪き差し出された首の群れは
何度も言いますが、完全に想像を超えていました。
骨の浮いた頭と首に、襤褸切れから伸びる細った手足。
腹水で膨れ上がった腹と、移動する時の前傾姿勢はまるで餓鬼のソレ。
調べるべくもなく劣悪な栄養状態のせいか、目の見えていない者も少なくない様に見えます。
あまりの惨状にシスルが途方に暮れた僅か数分の間に
視界の端で十人、二十人と失神したり、餓死や脱水で死んでいく、跪いた聖国の民達―――
「(これは、完全にアカンやつですね…)」
とりあえず状況説明と、軽い布告を出すだけのつもりだったのですが、
逆らう人が居なくても、目の前でバタバタと倒れたり死なれたりしては正直どうにもなりません。
こういう状況になった時、喋る事はかなり前から決めていたのに
頭の中にある台本を読み上げたとして、彼らにソレが通じるとは到底思えないですし
そう長くない布告が終わるまでにいったい何人死ぬのか、想像もつきません。
最初に武力を見せ付け、統治機構を構築してから生産能力だけ利用する予定だったのですが
大幅に路線変更しないと聖国は使い物にならないと判断します―――しました。
『命令しました、実行する前に死にました』では困るのです。
後々の事を考えても、今日ここでこれ以上死なれては本当に困る。
「き、『清めよ』」
意を決してシスルの口が式句を発すると
《ハインツ》がそれを拡大し、聖都をまるごと包む程巨大な、サイズだけなら戦略級の浄化魔法(※普段はトイレ等に使う)を展開。
普段よりじっくりと時間を掛けて、人だけでなく家畜もモノも建物も、何もかもを光が包み、清潔にしてきます。
突然浄化の光を浴びて、流石に小さくざわめきが起きますが
誰一人顔を上げないのは、いっそ帝国の兵士達より統率が取れているのでは無いでしょうか…?
こんな規模の術行使、まだ帝国では人に見せるわけにはいかないですが
ここなら大丈夫のハズ…
これからやる事を考えても、せめて外で口を開けて大丈夫な程度には臭気を消しておきたかったので、背に腹は代えられません。
「とりあえずこれでよし…」
一瞬悩んだけど、回復魔法は逆に掛けられません。
掛けたら多分、回復の負担で彼らは死ぬ。
多分この場の人間の八割は死ぬ。
念の為、あと二度ほど同じ様に浄化してから
《ハインツ》のハッチを開け、身を乗り出して呼びかけます。
慎重に息を吸い込み…よし、大丈夫。
「皆、顔を上げなさい」
意識のある者は皆一斉にこちらを見る聖国の民達
困惑や恐怖を浮かべているものは、私に近い二割弱くらいでしょうか?
残りは何も感じていない様な虚ろな目をして、《ハインツ》の掌に移った私を見上げています。
「…とりあえず、食事にしましょう?」
綺麗な水も魔法で出しますよ?と、慣れない笑顔も浮かべつつ告げる――告げました。
ここで初めて、彼らは何を言われたのか理解できず、
シスルの言葉に即座に従う事が出来なくて、硬直したのでした。