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「お考え直しください、御父様」
出陣を前に慌ただしい邸内であるのに
齢九つの我が娘の声は些かも喧騒にかき消されない。
声には苛立ち――説明するまでもない自明の事を、聞き分けのない童に説く様な煩わしさと、ソレを理解しない親への不満がありありと浮かび
ソレ以上に、勘違いで無ければ真摯に私を気遣う気配が含まれている。
だからこそ、どれだけ馬鹿馬鹿しい内容でも話を切り上げる事が出来ないのだが…
「グスタフに二心ありと、何度も申し上げました」
どうかお聞き届け下さいと、この事について娘に言われるのは何度目だろうか?
グスタフは私の幼馴染であり、領家であるアミット家の現当主だ。
父が引退して帝都に残り、私がカレント伯を継いでからもずっと尽くしてくれた無二の朋友だ。
そのグスタフを、何故この子がこれ程嫌うのか?
私にはわからない。
利発な子だ。
神童などと呼ぶ者もいる。
目に余る様な我儘など一度も言わないし、習い事から逃げ出した事もない。
親の欲目を差し引いても、殆ど異常なまでに出来過ぎた我が子が
「グスタフは聖国と繋がり、我がカレント伯領を足がかりに帝国に反旗を翻します」
「またその様な世迷い言を!二度と言うなと言った筈だ!!」
邸から出た事も無い様な娘が、何故こうも有り得ない事を何度も口にするのか。
ソレが私には、どうしても理解できない。
「シスル…グスタフは聖国の侵略で両親と妻を亡くしているのだぞ?」
「はい、そして後妻を迎えております」
「それが何だと言うのだ」
「彼女は聖国の者です」
「それだけで疑うのか?何度も言うが馬鹿な事を言うな、あり得ない」
「御父様」
決して大きな声では無い
けれども、まだ幼い娘がの声が託宣の様に響く。
「彼女は聖国の王族です」
「…有り得ん」
私は彼女も知っている。
名をテレジアと言い、妻を亡くしたグスタフをどれだけ親身に支えて来たかも見ているのだ。
聖国の王族等という、人の皮を被った鬼畜では断じてありえない。
「冷静にお考え下さい。妻を亡くした男に即座に擦り寄り、二年も経たずに後妻に収まった手練を…」
「シスル!」
娘の口から聞きたい様な話では無かった。
誰ぞ口さがない侍女のくだらない噂話でも鵜呑みにしているのだろうか?
賢いとはいえ、まだ九つの子供。
言って良い事と悪い事の区別が付いていないのだ。
「この件に関しては帰ってからよく話そう」
「いいえ、御父様」
最早その声には苛立ちも、案ずる様な響きも含まれては居なかった。
次など無いのですと。
まるで、死者を悼む様なその声が―――
「(シスル、済まない…お前が正しかった)」
私を殺す朋友の哄笑が聞こえなくなっても
繰り返し、私の耳に蘇っていた。