4,ガーデンパーティー
ほどなくして、招待客が子爵邸に集まった。
ガーデンパーティーは立食形式で始まり、にぎやかで和やかな時間が過ぎていった。
「シャーロット、婚約おめでとう! 伯爵、お会いできて光栄です!」
「おめでとうございます、まったく羨ましい! 人生って何が起こるかわかりませんわね」
「ねぇねぇどうやって射止めたの? 走って捕まえたってほんと? 伯爵大丈夫でした? この子にタックルされたりしませんでした?」
軽いアルコールも、数回グラスを空ければ令嬢たちの口を軽くする。
親のいない集まりということもあって、同窓生たちがシャーロットにかける言葉はだんだんと遠慮をなくしていった。
悪気のないそれらに礼を言ったり「タックルなんてしてないわよ!」と反論したり、『頭突きはしたわ』と脳内で訂正したりしながら、シャーロットもグラスを左手に、右手でカナッペを摘まんでいく。
圧倒的に女性客が多い中で、ヴィクターが好奇の目にさらされるのを心配したのも最初のうちだけだった。むしろ彼の方が、不躾な質問も興味津々の視線もあしらうのが上手かったくらいだ。シャーロット、と言って近づいてきたはずの少女たちが、去り際にはヴィクターに笑顔で手を振っていくのを見送っていると、友人たちがこの男の手のひらで転がされているような気もして複雑だ。
もっとも、誰彼かまわずくっつきにいく男に比べたら、ずいぶん紳士的だが。
――だがそのくっつき男、さきほどから姿が見えない。
「……アリスも、アーサー様もどこにいるのかしら」
声がけがひと段落着いたところで、シャーロットはきょろきょろとテーブルの間を見回した。中庭に二人の姿は見当たらない。
「始まってすぐのところでアリス嬢は屋敷に戻っていきましたね。そのあと、アーサー殿も追うように」
「そう……あっ」
人の間をかき分けていた青の目が、亜麻色の髪を見つけて止まる。こちらに背を向けるクローディアが振り向こうとした気がして、つい視線を目の前の軽食へと移してしまった。
「クローディア嬢なら、もう目を逸らしましたよ」
「……どうも」
しばらくしてそう言われ、シャーロットはバツの悪い思いでサンドイッチを手に取った。
「アーサー様、私をクローディアと間違えて抱きついてきたのよ。蝶々ちゃん、なんて呼んで。……あの二人、やっぱりそういう仲なのかしら」
もしや、二人の浮気が真実で、それをアリスも知っているのだろうか。
でも、それならなぜ、今日この場に二人を呼んだのだろう。シャーロットを祝う場にクローディアを呼ばないわけにはいかないからか。そして、婚約が公になっている以上、ヴィクターを連れてくるシャーロットにアーサーを紹介しない訳にはいかないと思ったのか。
それとも、二人のことをついさっき知ったのだろうか。それでアリスが怒って引っ込み、アーサーが機嫌を取りに行ったのか。
「今日、本当に一緒に来てよかったのかしら」
「……見ていたところ、彼女はあまりあなたの婚約を祝う気持ちはなかったかもしれませんね」
ヴィクターにはっきり言われ、シャーロットは頭を鈍器で殴られたような衝撃とともに意気消沈した。
やっぱり、幸せを見せつけられたと思われただろうか。
(そんな、人を妬むような子じゃなかったのに……)
だがそれを言ったらクローディアとて、人の道を踏み外すような人間ではなかった。
シャーロットは咀嚼の間にため息をついて、魚のマリネが乗ったミニパイをつまんだ。それを横目に、ヴィクターは苦笑した。
「ですがシャーロット。祝えない理由は、あなたの予想しているものとは違うと思いますよ」
「……え?」
シャーロットが目を丸くして、パイを指でつまんだまま、婚約者の鳶色の目を見上げたとき。
「フェルマーさん、食事の席では手袋を外しなさい」
「あっ、は、はい!!」
祝いの雰囲気に水を差すような、つんけんした声に、シャーロットの背がびしっと伸びる。次いで、体ごと振り返って声の主に向き直った。
「お、お、お久しぶりですバーリス先生、……ごきげんよう!」
突然かちこちに固まってしまったシャーロットの変貌に、ヴィクターは目を見開き、周囲の令嬢たちは同情の視線を送ってゆっくりと遠ざかっていった。
その間にも、険しい声での指摘が矢継ぎ早に飛んでくる。
「ごきげんよう。まったく、祝いの日だから口うるさいのは無しにしようと見ていれば、あなた背中は丸めて立つし、視線は下ばかり向いているし、表情も辛気臭いったらありません」
「えっ、はい、すみません!!」
「最初に『え』だの『あ』だの挟まないと言葉を話せないの? まったくあなたときたら、卒業してからも子どもっぽいところが全然変わっていないようね」
「は、はいすみません!」
「その上他のお客様と話してる端からパクパクと意地汚い。まるで朝から何も食べてこなかったみたいに」
「はい食べてきてないです!」
「正直なところだけ褒めてあげます。でもどうせ寝坊したのでしょう、遅刻癖まで相変わらずですか」
「遅刻はしてないですぅ!!」
上官と兵隊のようなやりとりを交わして、ようやくバーリス夫人はひとつ咳払いをした後、「お見苦しいところを失礼致しました、ステューダー伯爵」と優雅に挨拶をした。ヴィクターは自分の婚約者が半泣きで固まったのを一瞥してから、にこやかに二言三言そつのない会話をこなして女教師を見送った。
「……なるほど、あれが恩師ですか」
「恩師なんかじゃないわ。なんであの人まで呼んだのかしら……アリスのバカ……」
縮こまった少女たちが視線を逸らす中、足音も立てずに離れていくその背中を見送りながら、シャーロットは泣く泣く指摘された手袋を外した。
「手袋、左手が赤くなってるから外したくなかったのに。相変わらず言い訳も聞いてくれないんだから」
「本当にね。寝坊で朝食べてないことまで見抜けるなら、勢い余って紅茶をひっくり返したことにまで考えを及ばせられるでしょうに」
「……喧嘩売ってる?」
「別に」
指輪をはめなおしてから、むきだしになった両手を見比べると、シャーロットは左手に取皿を持って手の甲が下を向くように意識した。
そこへさらに、「すごい剣幕でしたね」とからかうような声がかかる。
アーサー・ラグフィールドだった。黒い髪に青灰色の目の優男。シャーロットに叩かれた頬はもう赤みが引いていて、改めてみると確かに遊び相手もより取り見取りの顔の良さはあった。
シャーロットはその顔に、良い感情など抱きようもなかったが。
「先ほどは失礼致しました。親しい友人と見間違えてしまって、つい」
「……そうですか」
警戒心もあらわな眼差しをものともせず、アーサーはちょうど何も持っていなかった彼女の右手をひょいと取った。
「……気高いご婚約者に挨拶をしても?」
窺うような視線はヴィクターに向いていたが、聞かれた当人は口だけで微笑んで、何も言わない。
淑女への礼儀と身の危険の間で凍り付いた遊び人の手から、シャーロットは自分のそれを素早く引き抜いてきっとにらみあげた。
「挨拶なら先ほど済みましたでしょう。……アリスと一緒ではありませんでしたの?」
「アリス? 彼女なら、自室にいるんじゃないかな。僕は子爵夫人の見舞いに行っていたので」
自分の婚約者が今どんな気持ちでいるか、気にならないのだろうか。悪びれる様子が微塵もない態度に、また少し、シャーロットの中で男に対する評価が下がる。
そこへ「アーサー様」と咎める調子で声をかけてきたのは、発泡ワインのグラスを二つ手にしたクローディアだった。
「またシャーロットにちょっかいをかけているの? 伯爵がお隣にいるのによくもまぁ」
クローディアのあけすけな言葉に、グラスを受け取ったアーサーは肩をすくめる。二人の慣れ親しんだ雰囲気に、シャーロットはまた落ち着かない気持ちになった。
「やれやれ、まるで母親か、お目付け役の乳母だ」
そう言ってグラスを煽ってから、アーサーはスタンドからサンドイッチを取って離れていった。
その背中を見送ったクローディアが「誤解しないでね」とシャーロットに向き直る。
「さっきはびっくりしたでしょうけど、あの人も悪い人じゃないのよ」
「ふうん、そう。よく知ってるのね」
どうしても声が冷たくなるシャーロットに、クローディアは「まぁ、多少はね」と目を伏せて呟く。
動じない友人を前に、幼稚な態度を取ったことが気まずくなる。
友人と話しづらくなるくらいなら、心につかえていることはさっさと取り除いた方がいい。シャーロットはサンドイッチより先に、胸の中にモヤモヤと漂っていたことを口にした。
「クローディア、さっきは何を言おうとしたの?」
しかしクローディアは、周囲に視線を向けて少し迷うそぶりを見せた後、結局首を横に振った。
「……あとで話すわ」
それきり、クローディアは離れていく。屋敷へと向かう姿勢はさすがに凛としていたが、どうにも気にかかる様子だった。
人に聞かれることを恐れているのか。なら追いかけて、部屋で話を聞こうか迷っていると、屋敷に入ろうとするクローディアとすれ違うようにアリスが出てきた。じっと見ていたシャーロットには、突然鉢合わせて動揺しているクローディアに対し、アリスはいつもと変わらない落ち着いた様子に見えた。
二人はそのまま短い会話をして解散した。そそくさと屋内に消えていくクローディアに代わり、アリスが庭におりてくる。その顔がパーティー会場を見渡す。――気のせいか、目元が赤い気がする。泣いたのだろうか。シャーロットはサンドイッチのことも忘れてそちらに足を向けかけた。
その時だった。
「アーサー様!?」
一人の令嬢があげた悲鳴に、誰もが振り返った先で、アーサー・ラグフィールドが地面に倒れ込んだのだった。
少し現実が立て込んでいるので、次の更新まで少々お時間いただきます。すみません…。




