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第七話 昇る朝日、捕まる男


 もう少し、ゆっくりしていってはどうか。

 甘い香りの、珍しい茶葉があるのだが。

 温めたワインに蜂蜜とスパイスを入れたものなどいかがだろうか。


 苦し紛れにそう引き留めても、笑顔の相手はさらりとかわし、帰り支度の手を休めなかった。


「では、お世話になりましたダール卿」

「……いや、その……」


 屋敷の主であるダール伯爵は、恐縮しながら客人の見送りにロビーへ出ていた。奥方は立て込んでいて奥から出てこない。


「い、いろいろ騒がしくて申し訳ないことで……」


 主の葛藤も知らずに、ダール伯爵家の使用人が玄関扉を開ける。途端、冬の冷たい空気が流れ込んできた。

 家主の目にも、雪かきのされたポーチの先で、ステューダー伯爵家から送られた職人が素早く直した馬車が、若い主人の帰りを待ち構えているのがわかった。


「いいえ、とても楽しい夜でした。では、また」

「……」


 楽しい夜。

 どういう意味か、具体的に教えて欲しかった。


 ダール伯爵は、姪の件について問いただすべきか否か迷っていた。自邸で起きた身内のことであり、決して他人事ではないが、相手を責めるべきか、姪の暴走を謝罪するべきかわからなかったのだ。


 シャーロットの部屋にヴィクターが赴いただとか、酩酊した姪を無理やり部屋に連れ込んだなどというなら、頑として言うべきこともある。が、ろくに酒を飲まなかったシャーロットが、なぜかシーツを被って『本気の恋の証を見せてやる』等と言い切って伯爵の部屋から出てきたと、ダール伯爵は聞いていた。


 髪の毛を見つけて慌てていた女中の話と、やたらに口の重かった暖炉掃除の女中の話を合わせれば、それはまるで人目を避けて会いに行き、結果男に振られた女の捨て台詞にしか思えない。

 そうすると、取るべき行動は後者のような気持ちもしてくる。


(……しかし……)


 優しくも小心者な伯爵は迷う。


 いくら女の方から押し掛けたとはいえ、一晩ともに過ごしておきながらいけしゃあしゃあとしらばっくれるのを見送るのも、如何なものかと。軽率であっても、泣き寝入りするしかない姪の気持ちは、妻と自分の立場は、と、ダール伯爵の気持ちは沈む。


(……女の方から騒ぎ立てておおごとにしてしまえば、よほど面の皮が厚くないかぎり男も逃げられないが、……いくらシャーロットでもそんなことができるとは思えないし、それにかえって傷をえぐるようなことになったら……)


「ヴィクター・ワーガス!」


 家主の複雑な思考は、背後から響いた怒声に一瞬で吹き飛ばされた。


 振り返ると、寝巻きにガウンだけの姿で、件の姪が自慢の金髪も背におろしたまま、二階につづく階段の中腹に立っていた。

 目を剥いたダール伯爵は、寝室の外でなんて格好だと肝を冷やしたが、その気持ちは言葉になる前に霧散した。


「に、逃げないで、わたしの手紙を待ちなさい! わたしの本気がわかったら、自分の冷淡な切り捨てを後悔して、また謝罪することになるでしょうからっ! そもそも、昨日わたしをあんな強く押さえつけるまでしておいて、自分の用がすんだら知らんぷりなんて、出来ると思ったら大間違――」


 屋敷中に響き渡るような朗々とした宣言に、一同呆気にとられていたからだ。


「……は」


 涼しい顔で馬車に向かおうとしていた紅茶色の髪の男ですら、一転してダール伯爵が見たこともないような顔で固まっていた。

 シャーロットの方も、突然声が出なくなったかのように、口を開けたまま黙りこんだ。


 ――それが、しまった、という表情であることは、目が合っていたヴィクター以外には伝わらない。


「……なんてこと……なんて熱い、若い情熱……」


 二階の手すりに寄りかかり、妻である伯爵夫人が目頭を押さえて呟いた言葉が、急速に冷えこんだ玄関にしんと落ちる。


 気が弱く、物事をなあなあで済ましがちなダール伯爵は、その言葉で珍しく決心を固めた。


「――ステューダー卿。今後とも、姪ともども、よろしくお願いいたします。だ、男爵は驚くでしょうが、我々の方からも微力ながらお口添えさせていただきますので……連絡は、ええと、お早い方がよろしいかと」

「……」


 ステューダー伯爵ヴィクター・ワーガスは、ダール伯爵の緊張に強張った顔を一(べつ)したあと、たっぷり十秒間、無表情でシャーロット・フェルマーを見上げていた。

 誰も何も発さずに、固唾(かたず)をのんで見守る十秒間が過ぎた。


 しかし、それから口を開ける頃には、客人は昨夜から何度も見せた余裕ある表情に戻っていた。


「…………では、お手紙をお待ちしていますよ、シャーロット」


 目を細め、口角を上げ、にっこりと笑って男は言った。姪の名を親し気に呼んで。


 表情はそのまま、今度こそくるりと外を向いて立ち去るヴィクターの背中と、ばたんと無情な音をたてて閉まる扉を見届けても、シャーロットは何も言わず、その場から動きもしなかった。

 ロビーには緊張しながらもどこか達成感に満ちた顔のダール伯爵がいて、二階には頬を紅潮させて目を輝かせた夫人アイリーがいる。


 そしてその夫人のさらに背後で、口を抑えて目を丸くするもうひとりの姪リンディが、真っ白な顔で呆然と呟いたのだった。


「……お父様に、なんて言ったらいいのかしら……」


 シャーロットが、ステューダー伯爵を捕まえただなんて、と。



 ――男の目の奥がちっとも笑っていなかったことなど、ダール伯爵含め、やはりシャーロット以外誰も気づいてはいないのだった。



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