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【電子書籍化】この恋は秘密と醜聞で溢れている  作者: あだち
本編

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第五十四話 終わり告げる手紙

 

 部屋に響いたノック音にヴィクターが応じてみれば、廊下に立っていたのはレティシアだった。


「ええと伯爵、先程は見苦しいところをお見せしてしまって……その、おわびに、王都にお戻りになったら、ぜひ我が公爵家の晩餐にお招きしたいのですけれども」


(……シャーロットといいこの人といい、自分に薬を盛った相手にずいぶん寛容なことだ) 


 とはいえ、それを公の場に訴えられるよりはと、ヴィクターは半ば呆れる気持ちを隠して「それはそれは。シャーロットとともに楽しみにしております」と口角を上げて答え、早々に扉を閉めようとした。わざと右肩をかばうしぐさも忘れない。

 しかし、婚約者がいる相手に粉をかける女の執念も負けていなかった。


「え、あ、ちょっと! その……そう、シャーロット様といえば、お手紙はもうお受け取りになりました?」

「手紙?」


 滑り込んできた単語と名前が結びつかず、訝しげに繰り返す。すると扉の間から顔を覗かせた公爵令嬢は、「あら、ご存じない?」と唇を尖らせた。


「先程、うちの使用人が伯爵宛ての早馬の郵便を、シャーロット様に預けていましたけど」

「っ!」


 目を見開いたヴィクターはレティシアへ「失礼」と投げつけるように言い置いて、部屋から飛び出した。突然の変貌に驚いたのか、早足で進むその背中を追いかけてくる声はない。

 靴音も荒く、やがて目当ての部屋につくと、ノックもおざなりに声をかけた。


「失礼。シャーロット、お聞きしたいことが」


 言いながら扉を押し開ける。返事を待たずに女性の部屋に入ろうとするなど、非常識だ。

 それほどまでに、動揺し、焦っていた。


「……ヴィクター」


 長椅子から、部屋の借り主が立ち上がり、無礼な来訪者へと振り返る。

 そして、その声の渇きに、開封された二通の封筒を持つ手に、久方ぶりの、背筋が凍る感覚を味わう。


「……知ってたの?」


 呆然として見つめてくる青い目に、既に遅かったことを思い知らされる。



 ***



 シャーロットは自分の口から出た言葉に焦り、口ごもった。


「あ、あの、ごめんなさい、お父様からの手紙と、間違えちゃって……」

「見たんですね」


 ヴィクターは扉を後ろ手に閉めると、無言で近づいてきてシャーロットの手から一通の封筒を抜き取った。間違えようもなく、ヴィクター・ワーガス宛ての手紙を。

 シャーロットはといえば、相手の視線から逃れるように俯いていた。


(勝手に開けて、怒られるわよね、呆れられてるわよね)


 そう、自分は、きまりが悪くて、後ろめたくて、目が合わせられないのだと。シャーロットは自分にそう言い聞かせる。

 断じて、その手紙の内容によるものではない、と。 


「わ、わざとじゃなくて」

「そして、“あった”んですね」


 断じて。


「グース駅周辺に、ベラドンナが入っていたと思われる容器が」

「……っ」


 言い当てられれば、シャーロットに逃げ場はない。

 ヴィクター宛ての封筒の消印は、コートリッツでもノーバスタでもなく、グースだった。


「……協力者って、わたしだけじゃなく、他にも、意外なところにいるのね」


 謝らなければいけない。他人の手紙を勝手に読んだことを。

 そう頭ではわかっていた。


「そうよ、書いてあったわ」


 それなのに、シャーロットの口は理性の指示をまったく受け付けない。


「あなたの仕事仲間が調べたところ、駅裏の側溝に黒ずんだ実の入った瓶が落ちていたそうよ。そのうえ、馬車停めとは真逆のそこに、金髪の貴族男性が立っていたっていう目撃情報が出てきたって」


 言葉はだんだんと熱を帯び、語尾が震え始め。

 やがて、暴発した。


「……“ヴィクター殿の予想通り”だって、はっきり書いてあったわよ!」


 感情の(せき)は、ひとたび決壊してしまえば、溢れ出すものを制御するすべなどなかった。


「あなた、やっぱりバットンの時点で、フェリックスは自殺したって思ってたんじゃない! わたしには、まだ確定してないって言いながら、ほとんど見当つけてたんじゃない!」

「……シャーロット」

「見立て通りよ、従者に毒を盛ったのはフェリックスだった!」


 床を見つめたまま、ヴィクターを(なじ)るシャーロットの声は止まらない。一転して、吐き出す力は弱くなっても。


「……あの夜、言ってたわよね。フェリックスが毒を盛ったなら、自殺の可能性が高いって」


 しかし、止まらない言葉に、シャーロット自身の中で否定の声が上がる。

 違う、と。


「わたしだって、一度はそうじゃないかなって、思ってたわよ。でもあなたが、まだ確証はないって言ったから、もしかしたらって思って……でも」


 違う、本当に言いたいことは、そうではないと。


「あなた自身、バットンでもう、この結果を予想してたくせに、なんで慰めるようなこと言ったの、なんで気を持たせようとしたの! わたしが、フェリックスは自殺したわけじゃないって、そう期待して落とされるところがそんなに見たかったの、そんなに確かめたかったのっ!」

「シャーロット、話を」

「ええ、残念ながら、それともこれも予想通りかしら、わたしは今、ここに来たことをすごく後悔してる! だってあの人、やっぱりわたしのこと、ちっとも思い出さないで死を選んだんだもん! メアリーさんが妹だってことも、遺書が手紙だったってことも、この一点だけわかったなら、もうどうだっていいわよ!」


 “違う”のに、相手の言葉も、自分の心の言葉も、シャーロットの口を止めることはできなかった。

 ただ、深い悲しみと羞恥だけが、みっともなくもあらわになっていく。


「憐れんでたの……? 優しいこと言いながら、心の中で笑ってたの……」

「違うシャーロット、そうじゃない」


 何が。

 シャーロットはようやく、部屋の床から顔をあげる。

 いつの間にか視界はぼやけていて、相手の表情はよくわからなくなっていた。

 皮肉にも、バットンでの夜と、同じように。


「……確かに、俺はあの時点でこの結果を予想していた。でも、それを隠した意図は、あなたが思うようなものじゃない」


(……そっか、今だわ)


 困ったような相手の声音に気がついてしまえば、シャーロットはまた、その黒い目を直視できなくなった。

 憐れまれているのは、まさしく、()だと。


(ほんと、この人の言う通り、扱いづらい女ってやつね)


「俺は――」

「もういいの。取り乱してごめんなさい」


 ゆっくりと、息を吐き出し、かわりに癇癪(かんしゃく)を飲み込む。


「わたしが悪いのに、声を荒げたりして。ほんと、落ち着きがないの、直せるよう努力するわ。次に、どこかで会うときまでには」

「……どういう意味だ」


 低い声に、焦りのような、恐れのような響きを感じるのは、自分の都合のいい錯覚だと、シャーロットは自分に忠告する。

 執着してほしいと思うからこそ、そう聞こえるだけだと。


「お父様が、グース駅に迎えを寄越してくれるみたい」


 ヴィクターからの返事はない。シャーロットはようやく、自分が冷静になってきたのを感じていた、が。


「わたし、先にひとりで帰るわ。あなたの仕事がどの時点で終わりになるのか知らないけど、お互い静かな帰り道なら、婚約解消に都合のいい理由も、思い浮かぶかもしれないし」


 そう言ったとき、相手がどんな表情をしていたのか、じかに見ることはできなかった。





 部屋でひとりになったシャーロットは、ウォッチポケットから鎖を引き出す。

 一緒に出てきたブローチに、これは置いて行こうと、静かに決意した。


 持つ資格は自分にないからだ。


(本当に悔しくて、悲しくて、恥ずかしかったのは、フェリックスに見捨てられていたことじゃないんだわ)


 自分自身に愕然とする。思っていたより、ずっと愚かだったようだ、と。


(あなたが、わたしを好きになってるのかもしれないって、思い込んでいたこと。……それを、嬉しく思っていた、こと)


 自分の勘違いに、浅ましさに改めて打ちのめされる。

 ブローチを握りしめれば、燕の尾が、くちばしが、責めるように手のひらに食い込んだ。

 それなのに、するりとこぼれ落ちた懐中時計が、床の上で空虚な音をたてた。


 穢れない気高さの象徴たる百合に囲まれた天使の目が射抜いてくる。

 口先で綺麗ごとを吐くシャーロットに、現実を受け止める覚悟などなかったことを見透かすように。


(ごめんなさいフェリックス、……ごめんなさいヴィクター)


 さらに、そんな女が、“恋人の真実を知る”という大義名分を掲げてここまで来ながら。


(好きになってたのは、わたしの方だったの)


 心を、ほかに移していたことも。


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