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第五話 青百合と緑の燕


 突然静かになり、身を固くしたシャーロットに向けて、ヴィクター・ワーガスが淡々と口を開く。


「……作り話をするなら、辻褄(つじつま)合わせくらいは」

「手紙を持ってるわ」


 途中で言葉を遮られた男は、眉を寄せて「手紙?」と聞き返した。


「彼から貰った手紙がある。わたしも返信したわ。何通も、何通も、一年以上前から、当時の消印の残った封筒と一緒に」


 シャーロットは相手を見上げ、その視線をけして逸らさないようにと定めて、言葉を紡いだ。

 (かたく)なな声に、自分を鼓舞するための強い意志を込めて。


「時計は、落としていったんじゃない。ブローチを奪っていったなんて、見当違いもいいところ。わたしたち、ちゃんと想いあってたって、それを見ればわかるわよ」


 睨み合う二対の視線が、しんと冴えた月明かりの中で交差した。


「……彼の交遊関係を洗うために、日記も手紙もあらためたが、シャーロット・フェルマーからの手紙なんてなかった」


 見下ろす男は無感情に切り捨てたが、見上げる女も、今度は落ち着いて言い返した。


「……“青百合商会”からの手紙は、何通残ってた?」


 その言葉に、寝台上の空気が変わった。


「書きかけの、“緑の燕の会”による手紙は? きっと、わたしや男爵家への宛名はなかったでしょ。そこは最後に書くことにしてたから、書いていたらなによりもまず投函するか、書き損じはすぐ暖炉に捨てるよう取り決めてたもの」


 返事はなかった。

 しかし、シャーロットは“それ”があったことを確信した。ここにきてはじめて、月光にもそれとわかるほどに、相手が目を見開いたからだ。

 

『きみからの手紙を、取り次いでもらえなかったら困るから』


 青百合商会から、ランドニア公爵家へ。――シャーロットから、フェリックスへ。

 緑の燕の会から、イヴリン男爵家へ。――フェリックスから、シャーロットへ。


 フェリックスが緑の目を悪戯っぽく細めてそう提案した日のことを、シャーロットは昨日のことのように鮮明に覚えている。

 最初の一通だけは家族にあらためられても良いように、架空の商会の顧客向け、会のメンバー向けの案内のように書こうと。

 あとは、落ち合う場所や時間をはじめとした、恋文だった。


「青百合商会なんて、緑の燕の会なんて、国中探しても見つからなかったでしょ。……なんて書いてあったか、ここ最近の内容ならそらんじられるわよ」


 ヴィクターは、しばらく上からシャーロットの目を見つめていた。

 瞳の奥に隠したものがないかと、見透かそうとするように。


「……なるほど。確かに、それは新聞にも載っていない事実だ」


 乗り上げたまま、男はぽつりと呟いた。

 次の瞬間、シャーロットは自分の肩や腹部からの重みが消えたことに気がついた。


「非礼をお詫びします、シャーロット・フェルマー嬢。こちらも時計に関する手がかりが無かったとはいえ、早合点でした」

「……え」


 相手の言葉遣いが豹変したことに目を剥くシャーロットは、さらに目の前に差し出された手に口を開けて唖然とした。

 

「その時計はお返しします。ただ、重ねて申し訳ありませんが、犯人をおびき寄せるためにここ最近わざと人目につくように持ち歩いていました。ですからしばらくは、それを公の場に持ち出さない方が、あらぬ誤解を招かずにすむかと」

「……はぁ」


 促されるままに寝台から立ち上がったシャーロットは、相手が自分の体に丁寧にシーツを巻くのにもされるがままだった。

 誤解がとけたことはわかった。それはひと安心なのだが、相手の手のひらの返しように、呆気に取られていた。


「……今夜のことは、お互いの胸の中だけのことにしていただきたい。先程のこちらの無礼と、馬車への細工の件、そして寝室への侵入の件。よろしいですね」

「……は」


 希望を伝える形でありながら、最後の念押しには有無を言わせない圧力があった。

 シャーロットにも、明るみにできないことがあるだろうと、言外に匂わせられているような――実際、そのとおりではあるが。


「では、部屋を出るときはくれぐれも人の目に触れぬよう、お気をつけて」

「……」


 そっと部屋の出入り口へと手を引かれる。シャーロットもついエスコートに従って、扉の前まで進んだ。

 そこで、我にかえった。


「ちょ、ちょちょちょちょっと待って、まだわたしの知りたいことに全然答えてもらってない! フェリックスが殺されたって、一体どういうことなのっ?」


 がばっと体の向きを変えて、シャーロットは背後にいたヴィクターの二の腕を掴んだ。しかしヴィクターは、それまでとは比べ物にならない穏やかさを見せながら、それまでどおりの冷たさをまとっていた。


「申し訳ありませんが、これは一個人の興味関心の問題ではなく、こちらの業務に関することです。あなたが無関係だと判断するに至った以上、部外者にはなにも話せません」

「部外者じゃないっ!」

「部外者ですよ。確かにあなたからと思われる手紙はありました。そして、そこには一年以上前からの消印のものも含み、すべて鍵付きの箱に隠されていました。……でも、その手紙は、事件になんの関係もないものです」


 にべもなく、ヴィクターは言い切った。その横暴さに、一方的に乱暴にされた恨みや痛みもぶり返し、シャーロットの頭にも血がのぼる。――男の顎への頭突きが決まったことは、このときはきれいに忘れていた。


「いらないの? わたしからの手紙は役に立たなくても、彼がわたしに贈った手紙の中身は気にならない?」

「結構」

「けっ……! な、なんで、交遊関係を洗ってたって……」


 シャーロットはそこまで言って、はっと気がついた。自分をすみやかに遠ざけようとする、男の思惑に。


「さ、さては、信じてないわね」

「いいえ、あなたの言ったことは間違いなく当人同士しか知らないことで、なおかつ犯人は知らないことです。箱の鍵は、無理矢理開けた形跡がありませんでしたから」

「そうじゃなくて! わたしとフェリックスが思いあっていたってことを! 彼がわたしに、重要なことはなにも教えてないと思ってるでしょ! その、じょ、女中が本命だと思ってるんだわっ!」

「……声を、抑えて」


 シャーロットの言葉を、男は肯定も否定もしない。ただ丁寧に、確実に自分の腕から女の指を外しにかかる。

 しかし、シャーロットは外される端からさらに力をこめて相手の腕に強く指を食い込ませた。


「ふっざけないで! どんな仕事してるか知らないけど、どれだけ頭すっかすかなの? わたしのことも探り出せなかったうえ、新聞に載ってた女中との恋なんてスキャンダルはまるっと鵜呑みにするなんて! あ、あんなの、何かの間違いに決まってるじゃない!」

「……あなたの気持ちはわからなくもありません。相手を信じていれば、認められないこともあるでしょうね。とにかく声を」

「だから、ありえないんだってば、彼は浮気なんてするような人じゃないっ! 認めるもなにも、そんなのありえないのっ!」

「……シャーロット嬢、声を」

「見せてあげるわ本気の恋の証ってものを! 待ってて、すぐ……」


 ぱっとヴィクターの腕から手を離すと、シャーロットは今度は自ら扉を開けた。勢いよく、それこそ入ってきたときの慎重さの欠片もなく。


 おかげで、廊下に立っていた女中は、廊下の端に寄る暇もなく、女主人の姪である男爵令嬢と向かい合うはめになった。客人である伯爵の部屋の前で。

 女中の背後、廊下の窓の向こうでは、既に空が白み始めていた。ほのかだったが、月明かりとは比べようもなく、人の顔を見間違えようもない明るさだった。


「――っ!」

「――、おはようございます」


 ほうきと塵取りを持った女中はシャーロット同様目を見開いた後、すぐに表情をあらためて頭を下げると、きびすを返してそそくさとその場を立ち去ろうとした。


「……あ」


 後ろから、ヴィクターの声がシャーロットの耳を掠めた。

 しかしそれに頓着することなく、シャーロットは女中に飛びかかっていた。




夜が明けました。

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