第三十四話 人に言えないあの娘の秘密(1)
出発は遅かったが、もとよりバットンとフレックは距離が近かったことと、天候の良さが幸いし、一行は日没の前に最後の宿につくことができた。
 
「……お部屋、フェリックスが予約してたところ、ダミアン様に譲って平気だったの?」
シャーロットは暖炉の火がパチパチと弾ける談話室のソファに腰を下ろすと、向かいの紅茶色の髪の男に問いかけた。
その声には疲労が滲んでいたが、ダミアンとレティシアが部屋で休んでいる今が羽の伸ばしどきである。ヴィクターとの話に邪魔が入らない好機でもあった。
「いいですよ。実際、フェリックス殿はここには泊まっていませんから」
一方、応じた男はさして表情も普段と変わりなく、それをシャーロットは意外に思った。
「……そっちは馬車でなんにも言われなかったの?」
「乗馬疲れに負けたのか、すぐ静かになりましたよ」
そう、とシャーロットはため息を吐く。「羨ましいわ」と思わず言葉が漏れた。
「そちらは大分やり込められましたか」
「……やり込められたっていうか」
馬車でのやりとりを思い出して、シャーロットは顔をしかめた。
「町の人も言っていたけど、レティシア様はフェリックスとあんまり仲が良くなかった感じね。……喪に服しているのも、ポーズだけかなって」
「へぇ。なぜ」
「なぜって……」
――ヴィクターは、あんな下心満載で擦り寄ってこられたら、不謹慎だと思わないのか。
そう言おうかとも思ったが、それはなんだか怪しむところがずれている気がした。
「……わたしが必要以上に冷たい対応されるのは、あなたのせいでもあるわよ」
「は?」
不可解そうに眉を寄せたヴィクターに、ランドニア公爵家との婚約を蹴ったことを聞こうとした。
だがそこで、シャーロットは中肉中背の初老の男が自分たちに近寄ってきていたことに気がついた。レティシアたちにブレイドと呼ばれていた、ランドニア公爵家の執事である。
「ご挨拶が遅れました。ロザード家の執事を務めております、ブレイド・ケインズと申します。お二方とも、お疲れでしたらこちらをどうぞ」
白髪交じりの男の手にはトレーがあり、その上の二つのカップから甘いりんごの香りが湯気と共に立ち上っていて、シャーロットの興味を引いた。
「ランドニア名産のカルヴァドスをお湯で割って、砂糖とレモンジュースで味を整えたものです。良ければ」
「わぁ、ありがとうございます」
目を輝かせたシャーロットへ向けて、ローテーブルにカップを置いたケインズが、申し訳なさそうに問いかけた。
「昼間、お嬢様やダミアン様は、何か無理なことを仰ってはおりませんでしたか」
「えっ。……いえ、無理と言うか」
執事の顔を見上げて、はたして使用人に言っていいものかと迷いつつ、シャーロットはこの際だからと訊いてみることにした。
「……フェリックス様は公爵閣下の代わりに、家宝の指輪の管理のことで、こちらにやってきていたと伺いましたが、何か問題でも起きていたんでしょうか。今はレティシア様のお母様の所有下にあるそうですけれど、つい訊いたら図々しいと怒られてしまって」
この言葉に、シャーロットはヴィクターが視線だけで自分の顔を見て、それがさらに執事の方へと移っていったのを感じていた。
しかし、公爵の公私にわたる補佐であるはずの男は、驚いた顔をシャーロットに見せた。
「……いえ、それは初めてお聞きしました」
「え?」
「旦那様も奥様も、指輪に関して問題があったとは一言も……」
「ええ?」
今度はシャーロットが驚きに眉を上げた。ケインズは思案顔で視線を泳がせてから、「もしや、彼女が……」と小さく呟いた。それを見ていたヴィクターが口をはさむ。
「なにか、別の心当たりでも?」
「……いいえ、どうぞお気になさらず」
「もしかして、メアリー・コートナー嬢の関連で?」
ヴィクターが突然投げ込んできた言葉に、ケインズは目を大きく見開いた。
「ダミアン殿が言うには、彼女が亡くなった後から、フェリックス殿の様子が変わったと」
「……なぜ、その名前を……」
「フェリックス殿から聞いておりました」
さらっと嘘を吐いたヴィクターに、ケインズは信じられないとばかりに大きく目を見開いた。執事は暫し、ヴィクターとシャーロットを交互に見ていたが、やがて眉間に浅くしわを寄せて視線を伏せた。
「……確かに、彼女はただの使用人ではありませんでした。そうですか、フェリックス様が……」
シャーロットの胸に小さな痛みが走ったが、予期していたことだと静かに受け止めた。
むしろ、そのことで頭がいっぱいになるよりはと、ケインズの方に身を乗り出して「それと指輪のことで、どういう関係が?」と重ねて問いかけた。
ところが、ケインズは一層苦々し気な顔をすると、静かに首を横に振った。
「……申し訳ありません。ロザード家に仕える身で、これ以上お話しするわけにはまいりません」
「ええ!」
「……そうですか。こちらこそ、不躾に申し訳ありませんでした」
「えええ!」
不満げな声を上げたシャーロットとは対照的に、ヴィクターはあっさりと引き下がってホットカクテルのカップに手を伸ばした。
トレーを手にケインズが去ると、シャーロットの苛立ちはヴィクターへと向かった。
「もっと聞き出せばよかったのに!」
「あまり無礼が過ぎると、相手の口はもっと堅くなります。そうでなくても、執事になるほどの使用人なら、主家の醜聞は他者に漏らさないでしょうし」
「醜聞?」
シャーロットが繰り返した言葉に、ヴィクターは周囲を気にするように視線を動かしてから、声を潜めて返した。
「メアリー・コートナーのことですよ。新聞にも伏せたがっていたことです。彼女が関わっているなら、あまり口にしたくはないでしょう。使用人を統括する立場にあった彼からすれば、なおのこと」
「……なるほどね。もしフェリックスがメアリーさんに求婚も兼ねて指輪を贈る気だったなら、スキャンダルの塗重ねだし、その話題でレティシア様が不機嫌になるのも頷ける、わ……」
言いながら、納得しかけて、「ん?」とシャーロットは首を傾げた。
おかしい。そう思って、確認するように口にした。




