第三十三話 淑女の馬車には男子禁制
「……」
午後から太陽が顔を出し、バットンからフレックへ続く雪の道はきらきらと輝いていた。
しかしながら、馬車に揺られて街道を進むシャーロットの心持ちは暗かった。
サバランのにじみ出る酒気で酔ったわけではない。
乗り物はむしろ、それまで乗ってきた馬車よりも一段と質のいい素材で作られた黒塗りの馬車に変わっており、乗り心地は決して悪くない。
問題は、同乗者である。
「――だいたい、正式な婚約発表もしていない段階で同じ馬車に乗るだなんて、非常識もいいところなのでは? やっぱりシャーロット様、庶民の乗り合い馬車と混同しているのではなくて?」
「……」
「聞いてらっしゃる?」
「……ええ、もちろん」
目の前にいるのは紅茶色の髪の男ではなく、黒い髪を結い上げた灰色の目の女である。
バットンの宿屋を出発してからというもの、レティシアは疲れを感じさせない調子で延々とシャーロットに嫌みを言い続けていた。
(……ランドニアに着くまでの間は、離れていられると思ったのに!)
シャーロットはこっそりため息を吐いて、数十分前のやり取りを思い返した。
***
「……え?」
旅支度を整え馬車へと向かったシャーロットは、目の前の相手に愕然とした表情を向けた。
渋い面持ちのヴィクターが「……ですから」ともう一度説明しようとしたのを、レティシアが刺々しい口調で割って入る。
「理解の遅い方ですこと。わたくしとお従兄様もこれからフレックに発つと言っているのです。一度にみんな行ってしまった方が……ほら、何かと、迎えるにも楽ですもの。……きゃっ!」
馬車に繋がれた馬のいななきに小さく悲鳴をあげるレティシアを、シャーロットは呆然と見つめる。
――迎える使用人は、一気に三人の客の用意を整えるわけだから、何も楽ではないのではないか。
そう思っても、家主に最も近い娘に言いきられては、シャーロットは何も言えない。
「……で、ちょうどわたくしの馬車とヴィクター様の馬車、二台にふたりずつ乗って行けば、お従兄様の馬はブレイドが乗って行きますわ。うちの執事は、年の割に体力がありますのよ。ああ、晴れて良かった!」
シャーロットは眩暈を感じた。支度を整えて馬車の前に来たところで、夜通し移動してきたはずのレティシアとダミアンが外套を着て外に出てきたから、変だとは思っていたのだ。見送りだなんて意外だと。
しかし、レティシアの言葉はそこで終わらなかった。
「で、未婚の淑女が使用人でもない殿方と二人きりというのはとても、とても考えられませんもの。シャーロット様はわたくしと乗って下さいますわね?」
「……っ、ご、ご心配なく!」
衝撃で大声を出したシャーロットは、相手の怪訝な顔に、わたつきながら言葉を繋いだ。
「えっと、その、……父から、彼との同乗の許可は出ておりますので!」
出ていない。出ていないが、否定できる人物はここにはいない。
「ですから、ご配慮には及びませんから!」
「……言ったでしょう。淑女が、殿方と二人きりだなんて考えられない、と」
「……」
違った。この“淑女”はシャーロットのことを指していない。
ランドニア公爵令嬢が、従兄と同乗などありえない、と言っているのだ。
(な、なんとか言ってよ!)
すがるような、八つ当たりのような気持ちで、シャーロットは表向きの婚約者の顔を見た。しかし、どういうわけか、ヴィクターは渋い表情ながら、彼女に助け船を出す気配を示さない。
シャーロットが怒りと絶望にわななくのをよそに、従妹に拒否されたダミアンも鼻をならして不快げにぼやく。
「言うじゃないか。伯爵とだったらよろこんで一緒に乗る癖に」
「まぁ、なんてはしたないことをっ! ……まぁ、でも、公爵代理として色々と話しておきたいこともありますから、どうしてもと言うならわたくしが伯爵の馬車に乗って、シャーロット様がお従兄様と」
「っ! レティシア様、ぜひご一緒させてくださいっ!」
叫ぶように言ったシャーロットは、レティシアの腕を掴んで、公爵家の黒塗りの馬車に自ら飛び込むしかなかった。
***
(……要は、ヴィクターとわたしを二人っきりにしたくないってわけよね)
揺れる車内でシャーロットがこっそり伺うと、一通り毒づいて気が済んだらしいレティシアは、腕も足も組んで、つんと顔を背けていた。
その高慢な姿に辟易しながらも、ふと、身につけているドレスが暗い紺色であることや、宝飾品の少なさに気がついた。そして、その意味するところに思い当たったシャーロットの胸に、別の感情が滲み出た。
「……レティシア様」
生返事しか返さなかったシャーロットから声をかけられて、レティシアは鋭い眼差しを向けた。
「フェリックス様のこと、心より、お悔やみ申し上げます。公爵閣下のことも。……まだ、お伝えしておりませんでしたわ」
今さらながら、相手は遺族だということに気がついた。しかも、兄の突然死に続いて、父親が倒れているのだ。
沈痛な面持ちで発されたシャーロットの言葉だったが、レティシアは顎を上げたまま短く「どうも」とだけ応じた。
(兄とは血がつながっていないとはいえ、随分冷たいのね)
煙たがったことを悪く思ったシャーロットだったが、喪に服しているのは恰好だけかと、胸の内に相手への不信感が灯る。
「……わたしの母も、ずいぶん早くに亡くなりました。突然身内を亡くす衝撃と悲しさは、わたしにも少しわかりますわ」
「そう」
素っ気ないのは、シャーロットが相手だからか。それにしても、義理とはいえ兄が死んで、まだ一カ月前後だというのに、ずいぶん淡白に見えた。
(仲が悪かったのかしら。この人のこと、フェリックスは手紙でも、会ったときにも、あまり語らなかったような)
――いや、あった。ごく少数、“いつか妹に会わせたい”と――。
(……)
このレティシアが、成り上がりの男爵令嬢を認める『いつか』なんてあまりにも遠い。だからフェリックスはあまり語らなかったのだろうと、シャーロットは想像した。
そして、疑った。彼女は本当に兄の死を悼んでいるのか、と。
頭を過ったのは、ヴィクターが、“公爵が倒れた後、後妻と連れ子が采配を振るっている”と言っていたことだった。
「フェリックス様は公爵閣下の代わりに、おひとりでこちらまで向かわれたと、新聞で読みましたわ。こんな寒い時期に、一体何を目的に向かわれたんでしょう。……と、伯爵とも話してましたの」
真正面から聞いても、ろくに答えはこないだろうと予想し、シャーロットはヴィクターの気配をにおわせる。
それが功を奏したのか、レティシアはシャーロットの方を見ないまま「指輪の管理について、確認ですって」とぼそっと答えた。
「指輪?」
「シャーロット様にはわからないかもしれませんけれど、わが家のように古い家系には、代々受け継がれる由緒正しいものがいくつもありますの。女主人の指輪もその一つ。今は母の所有ですけれど……ああ嫌だわ、それがあのダミアンの妻となる女に渡るだなんて!」
聞けば、それは公爵の妻、もしくは女公爵となった女性が代々受け継いでいく、ランドニア産ダイヤの指輪であるという。
門外不出の家宝のひとつでもあり、常日頃ランドニアの領主館に保管され、その近くの工房の職人が特別に手入れをしているのだと、レティシアは所々でイヴリン男爵家を見下げつつ話した。
「そ、その指輪のことで、フェリックス様がなぜこちらに? だって、今はレティシア様のお母様が公爵夫人として管理されてるはずでしょう?」
積もる苛立ちを抑え込んで、シャーロットはさらに深く突っ込んで聞こうとした。正直なところ、まともに聞けば不快感で掴みかかってしまいそうだった。
「……なぜ、そんなことをお聞きになるの?」
しかし、直球で聞いたせいか、ここに来て突然レティシアは不快気にすがめた目でシャーロットを睨みつけた。
「えっ! ……いえ、なんでかしら、と思っただけで」
「あなたの、よその家のことに首を突っ込む図々しさ。今はともかく、そのうち夫となる方の恥にもつながるのですから、いずれ矯正した方がよろしくてよ。……それとも、我が従兄殿の妻になればその実物が見られるとあって、興味が出てきたというところかしら」
「はっ? まさか!」
嘲笑うように付け足された内容にシャーロットが気色ばむと、レティシアはまたそっぽを向いてしまった。
それきり、馬車の中では険悪な沈黙が続いた。
(……この人、わざと話を切り上げようとした?)
シャーロットの中に、じわじわと疑念が広がっていく。
彼女の父親が公爵でないことは、ここに来る前にシャーロットも調べたので知っている。彼女の母親は、最初にとある侯爵と結婚してレティシアをもうけた。夫の死後、実家に戻ってからしばらくして、ランドニア公爵の後妻となった。
ゆえにレティシアは、もとから爵位は継げない。しかし、血はつながっていなくとも、養女として認められている彼女には、公爵の死後はかなりの遺産が手に入るはずだった。――通常であれば。
(……まさか)
――話したくないのは、シャーロットが相手だからか。それとも、このこと自体を誰にもつつかれたくないのか。
――仲の悪い兄が父公爵の跡を継いだとき、彼女やその母親に不都合なことが生じる可能性が、あったのではないか。
眉間にしわの寄った女の横顔を見つめながら、シャーロットは自分でも知らない間に表情が険しくなっていくのを抑えられなかった。
前々から読んでくださってる方へ。
ブランデースナップをサバランに変えました。
よりお酒っぽい方ということで。
追記
『公爵夫人の指輪』という表記を『女主人の指輪』に直しました。




