第三十一話 ランドニアの人々(1)
「こちらはシャーロット共々、用事を済ませ次第フレックへ向かいますので、先に荷物をまとめて受付へ預けましょう。どちらがどちらの部屋をお使いになるかは、お二人でお決めになればいい」
相手の顔を立てつつ、さっさとその場から立ち去りたかったヴィクターの言葉に、ふたりは渋々了承した。それを見届けて食堂を出たシャーロットたちだったが、ウィンバーはそれを申し訳なく思ったのか、その後お詫びにと小さな紙箱を部屋まで届けに来た。
シャーロットがその箱を開けると、中には小さなカップに詰められたきつね色のサバランが入っていた。
昨夜、ふたりが案内人とともに森を歩いた形跡は、夜中の降雪ですっかり消えていた。
シャーロットは洞窟の内側にしゃがみこんで、たった今木々の間にできた一方通行の足跡を見ていたが、やがて誰にともなく呟いた。
「なんだか、話すのが大変そうな人たち」
フェリックスが倒れていた付近を手袋越しになぞっていたヴィクターが、そのひとりごとに反応した。
「あなたが言いますか」
「っ、わたし、あんなに偉そう?」
「偉そうではないですけど、あなたのうるささや暴走癖といい勝負ですよ」
「……」
シャーロットは静かに反省した。
傷ついた顔で大人しくなった相手に、言い過ぎたと思ったのかヴィクターが言葉を付け足す。
「まあ、国内でも有数の大貴族という自負が加わる分、不愉快さは彼らが頭ひとつ抜けてますかね」
「……そこはわたしの性格へのフォローが欲しかったわ」
「美徳があっても欠点は欠点ですから」
シャーロットは昼なお薄暗い洞窟を、低い視点から見渡した。
「……あの人たち、しばらくここで過ごしてから公爵領に戻るのよね。もともとランドニアに向かっていたダミアン様はともかく、公爵領に引き返すレティシア様は、何しに来たのかしら」
「それは本人に聞かないとなんとも。ダミアン殿がこちらに来ている理由もわかりませんし」
聞けば、ダミアンはグース駅から馬を駆ってきて、レティシアは執事を伴って馬車で領主館からやって来たとのことだった。
ろくな休憩も取らず急いで来たとあって、バットンで休みをとろうとしてシャーロットたちとタイミングが被ったのだ。
「ここにきて、フェリックス殿があなたを世間に公表しなかったことにも頷ける事情が出てきましたね。世間の前に、必ず身内に紹介しないといけませんから」
「今さらそんなフォローいいわよ……」
シャーロットは霜でうっすら白くなった冷たい地面に目を落とした。
家の歴史の浅さを見くびられるのは慣れている。
それにしても、フェリックスの身内というにはあまりにも感じが悪かった。
「言い返していいなら、あんな青白女、すぐ黙らせちゃうのに」
「やったら最後、たぶんあなた公爵家の庭で寝ることになりますよ」
「うう……」
シャーロットはフェリックスのことで頭が一杯だったが、当然と言えば当然ながら、ヴィクターは事前に公爵家へ訪問伺いの手紙を出していた。
しかし、列車に乗る時点でシャーロットが同行することになり、ランドニアの領主館へ今から知らせを出しても間に合わないと、放っておいたという。
どちらにしろ、公爵の館であれば客室も多く、まさか向こうもステューダー伯爵が単独で来るとは思っていないはずなので、シャーロットの寝る場所には困らないだろうとたかをくくっていた。
「でも、あのレティシア様の様子を見てると、従順にしてても庭に布団を敷かれそうだわ」
「うちの猪は甘やかされているので、室内飼いにしか適応できないと伝えておきます」
「……」
「すみません、冗談です。……正直、彼女もダミアン殿もコートリッツにいると思って、あなたの同行が決まったときに手紙でもなんでも出すだけ出しておかなかったのは、手落ちでした」
向こうからすれば、嫡子の不幸にかこつけて婚前旅行に使われているように見えても仕方ない。
「いいわ。宿泊場所について、何にも考えてなかったのはわたしだもの」
悩ましげに眉を寄せてシャーロットは立ち上がり、洞窟の外に出た。
地面を覆う白い雪と、洞窟のふちから垂れそうで垂れない、いびつな円錐形の氷を眺めて、この場所で死んだかつての恋人に思いを馳せる。
ただでさえ彼らのような人間が身内なのに、自分のような騒がしいのをそばに置いて、果たして彼に心の休まるときはあったのだろうかと。
「いくらむかついても、つららはダメですよ。陛下への報告事項がややこしくなるので」
「……」
シャーロットはすっかり忘れていたが、なるほど確かに振りかぶって殴るのにちょうど良さそうだった。
***
昼も過ぎて宿に戻る際、ヴィクターは宿の扉をことさらゆっくり、警戒するように開閉した。
口の前に人差し指を立てるしぐさを見せられたシャーロットも、その理由は建物に入ってすぐに納得できた。大きな暖炉の談話室から響く男女の激しい口論が、憂鬱の元凶の在り処を示していたからだ。
「だいたい、なんでおまえは伯父上のそばを離れてるんだよ! こんなときにお得意の我が儘とは、ロザード家の恥さらしもいいところだ」
ダミアンは歩きながら怒っているのか、声の届き方に波があった。
それに応じるレティシアは、ほほほと小馬鹿にしたように笑って高らかに言い放つ。
「面白いことをおっしゃいますのね。まるで自分はロザード家にふさわしいかのような物言い。――よくお聞きになって。フェリックスがいなくなろうと、お父様が倒れようと、我が家最大の不幸はね、あなたを当主に据えなくてはいけないということよ」
「何が我が家だ、うちの血なんて一滴も流れていないだろう!」
「そちらこそ、血筋だけの、ぼんくらのくせに!」
談話室の方を見て閉口するシャーロットの横で、ヴィクターと宿屋の主人は静かに、彼らに悟られないように精算を済ませようとしていた。
しかし、なんとも間が悪いことに、そのときカランカランと入り口のベルが派手に鳴った。
「ああ、いらっしゃった旦那さん! ちょっとこのあとの行程のことで確認しておきたいんですがね」
おまけに、顔をのぞかせた御者はヴィクターを見つけて朗らかに声をかけたのだ。この騒々しさに負けないようにか、かなり声を張って。
「っ、なんだ」
ヴィクターは足早に扉口へと向かい、宿の主人はそそくさとカウンターの奥へ消える。
そしてひとり逃げそびれたシャーロットは、談話室から不機嫌そうに見てくる公爵家のふたり、そして疲れた顔の白髪の使用人と、がっちり目を合わせてしまったのだった。
「……ブレイド、伯父上が起きられない今、レティシアとその母親をしっかり見張れよ」
「ダ、ダミアン様……」
「ブレイドにとって、今の主人代わりはお母様とわたくしよ。命令しないでくださるかしら」
その棘の投げ合いで、彼らはいったん休戦することにしたらしく、ダミアンは談話室に戻っていく。
それを見て、とりあえず紛争には巻き込まれずに済んだようだと、シャーロットはほっと一息ついた。
「シャーロット様」
しかし、もう一人はそうもいかないようだった。
「……なんでしょう、レティシア様」
嫌な予感に苛まれながら、シャーロットは両腕を組んだ灰色の目の公爵令嬢にひきつりそうな笑顔で向き合う。
彼女の黒い髪の向こうにいる“ブレイド”はやれやれと言いたげな顔だが、シャーロットに一歩二歩と近づくレティシアを、止める気配はない。
「なんだってステューダー伯爵は、あなたと婚約なんてなさったのかしら? 慈善事業にも限度があると思うのだけれど」
「……」
あなたの義兄が死んじゃったからよ。
とはさすがに言えない。




