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第三話 正義は盗人にあり


 二代目男爵の娘が、数百年前からつづく公爵家の嫡子と直接口をきける機会など、そうそうあるものではない。

 ただ、国内貴族のほとんどが招待される女王主催の騎士競技大会の会場においては、別だった。芝生の上の観客同士なら、その混雑と活気におされ、会話の垣根も幾分低くなる。

 

『っ、ご、ごめんなさい!』


 例えば、供とはぐれた娘の持つ懐中時計の端が、明らかに格上の貴族と思われる男の服に引っ掛かってしまうこともあり。


『ああ、平気だよお嬢さん。ちょっと待って、取るから、……ちょ、引っ張らないで、あっ!』


 慌てた娘が力任せに引っ張って、最上級のフロックコートの袖に猫の爪痕のごとき引っ掻き傷ができてしまうことだってある。


『……』

『……だ、大丈夫だから、そんな、顔をあげて、いやそれよりまず膝をつかないでくれっ!』


 地に手をついて詫びようとしたせっかちな娘の青い顔と、怒っていないことを年若い相手にどうにか伝えようとする男の困り顔が交わることも、時たま、まれに、ごくわずかな事例として、ある。 


 シャーロット・フェルマーとフェリックス・ロザードはそうやって出会った。

 男が死ぬひとつ前の、春の盛りの頃だった。



 ***



 真夜中のダール伯爵邸内を、布の塊がうごめいていた。

 廊下の角の手前で動きを止めた塊は、ゆっくりと頭頂部を振った。前後左右を伺うように。

 その拍子にこぼれた金髪を、すばやく布――頭からかぶったシーツの中に収めたシャーロットは、周囲に人気が無いとわかると、つまずかないよう、足音をたてないよう慎重に先へ先へと進んだ。


(確か、この先の部屋に入っていったわよね)


 廊下はかなり明かりが絞られているが、まったく火がないわけでもない。シャーロットの青い目はそのわずかな燭台の灯火(ともしび)を頼りに、目的の部屋を目指していた。


 懐中時計を取り返す――そう決意した後の彼女の行動は素早く、そこに躊躇いはなかった。


 シャーロットは外の空気を吸うふりをして広間を出ると、勝手知ったる親戚の屋敷とばかりにリネン室に忍び込み、自分の身を覆えるシーツを見繕って顔を隠した。そして、間髪入れず使い走りの少年を捕まえ、幾ばくかの金と交換にステューダー伯爵家の馬車に細工をするよう仕向けたのだ。


『ステューダー伯爵がこの家に泊まることになっても、ここの女主人は躍起になって犯人を見つけようとはしないはずよ』


 渋る少年を言いくるめると、予想通り夜も更けてから、帰る足を無くした伯爵を屋敷の女主人が引き留めたのだった。


『シャーロットやリンディも泊まっていくでしょう?』


 その言葉に、シャーロットはもちろん頷いた。そんなに強く肩をつかまなくても今日は断らないのに、と思いながら。


(我が家に招けるような人じゃない以上、今夜しかチャンスはないし)


 ダール伯爵夫妻としては、客人を招いておきながら盗難騒動が起きたとあれば面目丸つぶれだが、シャーロットは相手がその被害を公にするとは思っていなかった。


(……フェリックスが、私から贈られたものを他人に、しかも私たちの関係性に批判的なヴィクター・ワーガスに、自分の意思で渡したとは思えない)


 口先で何を言おうとも、あの目が如実に本音を伝えていたと、シャーロットは考えている。伯母と子爵が何を思ったのかは知らないが、伯爵への疑念を抱いて注視していたぶん、自分の方が相手の言動の機微に敏感だったとも。


 フェリックスとシャーロットは貴族同士でありながら、家格の乖離も甚だしい恋人同士だった。“立場も事情も顧みない”関係だったといえる。

 さらに言うなら、リンディやアイリーが知らなかったとおり、二人の関係は秘密裏に育まれた。

 であれば、ヴィクターも知らないほうが自然だ。シャーロット自身、フェリックスから友人としてその名を聞いたことは一度も無かった。


 たとえ友人だとしても、フェリックスが彼に話していないことは無理からぬことといえた。

 なぜなら、ヴィクター・ワーガスは、自分たちの恋の支援者にはなり得ない考え方の持ち主だからだ。


(なのに、私が贈った思い出の時計を、彼が持ってるなんておかしすぎる)


 もし形見分けでフェリックスの私物が渡ったとしても、あの時計だけは考えられない。あれはもともとシャーロットが亡くなった祖母から受け継いだものである。

 穢れない気高さの象徴とされる百合と、女性の守護天使。それらはどちらも伝統的に、淑女の嫁入り道具に多い意匠であった。


 つまり、二人の恋人関係を知らない人間からすれば、“フェリックス・ロザードの持ち物”には見えないのだ。


 フェリックスが譲るはずはなく、彼の遺族が渡したとも思えない。

 つまり、ヴィクター・ワーガスは、持っているはずのない物を持っていることになる。


(……許せない)


 そこからシャーロットの出した結論は、彼女の喪失感に怒りの種火を落とした。

 ヴィクター・ワーガスは、こともあろうに無断で持ち出したのだ、と。

 死者の、シャーロットの恋人の持ち物を。


 やがて、ひとつの客室の前で、シャーロットは足を止めた。

 

(フェリックスが何も言えないからって、誰も気が付かないと思ったら大間違いよ!)


 広大な領地を持ち、王家とのつながりもある旧家の当主が、なぜ盗人のまねごとをしているのかなどどうでもよかった。

 シャーロットは、燃え上がった憤怒そのままに、ドアノブへと手を伸ばした。


 緊張とともにゆっくりと回す。そして気がついた。


(……あっ、鍵!)


 内側からかかっているかも、とシャーロットは肝を冷やした。

 しかし、その懸念はかちゃ、という小さな音と引き換えに杞憂となって消えた。


(……開いてる。や、やったわ)


 存外不用心のようだと、そのまま、シャーロットは息を詰めて扉を押した。


「……」


 部屋は真っ暗だった。シャーロットは懸命に目を凝らす。

 寝台に人らしき塊の盛り上がりがかすかに見えた。


(寝てる、わね)


 静寂のなかに踏み込み、そっと後ろ手に扉を閉める。

 懐中時計を置くなら、サイドテーブルか物書き机かと見当をつけると、シャーロットはそろそろと壁づたいに進んでサイドテーブルへ近づいた。


(……あった!)


 机上を這わせた指先に冷たく当たった細い鎖を掴む。手繰り寄せて持ち上げ、鎖の先端でくるくると回る文字盤を捕まえる。

 はっきりとは見えなくても、蓋の表面に彫られた紋様をなぞることで、それが目的の物だとシャーロットは確信できた。


(さて、起きる前に出ていかなきゃ)


 冬の夜は長いとはいえ、朝に近くなれば使用人がいつ動き出さないとも限らなかった。

 パンの仕込みをしに、消えた暖炉の火をいれに――


(……この部屋、暖かいわね)


 雪と氷に覆われる北国と違って、王都の屋敷では一晩中暖炉を焚き続けることはしない。シャーロットの客室の暖炉も、既に灰とかすかな残り火だけになっているのを見届けてきた。


 この部屋は残り火すら残っていない。だから暗闇だった。

 シャーロットは被ったシーツを握りしめて、暖炉の方へ顔を向けた。


 はやくに火が消えたにしては、ずいぶん暖かい。

 まるで、さっき誰かが消したかのようだ、と。


 そう思い至るなり、心臓が、大きく波打った。

 青い目は不安に揺れながら、もう一度寝台の方へと向かい――


「せっかくだ、暖炉も寝台もゆっくり見ていくといいんじゃないか」


 耳元で、冷たい声が空気を震わせた。


 次の瞬間、シャーロットはあれほど注意していた足元が何者かに払われ、体がシーツごと床にうつ伏せに倒れるのを防げなかった。


「――っ!」


 手を体の前でつくことも出来ず、痛みは直接顔と胸に響いた。しかしシャーロットは、叫び声はおろか、呻くことすら出来なかった。

 とっさに手を出せなかったのは、右手に懐中時計を持っていたのに加え、左手がシャーロットの意思に反して背中につけられていたからである。


「遠慮するな、まだ夜明けは遠いぞ」


 声を出せなかったのは、侵入者の左手をひねりあげ、その背に乗り上げたヴィクター・ワーガスが、後ろからその口を手で覆っていたからだった。




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