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第十話 冬に埋もれた恋


 王国ブルーラスの中でも北に位置する街バットンは、この季節は一面雪に覆われる寒冷地だった。

 冬の旅行には向かない土地だが、そこはロザード家の最大領地であるランドニア公爵領に近かった。


 年老いた当主に代わって、一月三十日、フェリックス・ロザードはランドニアで起きた諸問題の解決のために、従者と二人で王都コートリッツを発った。列車と馬車を乗り継ぐ旅であった。

 しかし、列車が発車して間もなく、予定外のことが起きた。従者が体調を崩し、途中下車を余儀なくされたのだ。

 フェリックスは慣れた道のりだからと一人で列車に乗り続けた。


 王都を発って三日目、二月一日の朝。定刻通りに着いたグースの駅で降車すると、公爵家が手配した馬車に乗り、エレ、ノーバスタ、バットン、フレックと四つの大小の町を過ぎて行く。ゆっくりであっても、列車から降りて五日目、言い換えれば王都を発った七日目、二月五日の夕刻には、ランドニアの城館に到着しているはずだった。


 だが、フェリックスは待ちわびる城館の使用人たちに顔を見せることはなかった。


 コートリッツを出てから六日目、二月四日の朝。バットンに近い森の奥、凍った湖のそばの洞窟で、冷たい骸となって発見されたのだ。

 近くには毒物が残留した瓶が落ちていて、服毒死であることは明白。

 懐からは、王都の公爵邸に勤めていた女性への思慕がしたためられた遺書が発見された。


「新聞にはそのように載っていますし、嘘もありません。懐中時計は洞窟のなかに落ちていましたが、遺体の下にあったそうです。そして、第一報の時点で公爵家が手を回し、遺書に載っていた女性の具体的な氏名などは伏せられました」


 美術館に作りつけられた上客向けのカフェテリアで、ヴィクターは湯気を立てる紅茶にブランデーを垂らしながらそう言った。


「最初は無関係な女中が巻き込まれることへの配慮かと思われましたが、陛下の命を受けその女中について調べてみると、フェリックス殿が死ぬ一カ月前に、職務中に亡くなっていたことがわかったんです」 

 

 それを聞くと、シャーロットは嫌な予感におそわれた。


「ま、まさか、公爵家の人が殺して、隠蔽(いんぺい)した、とか?」

「さぁ。ただ外聞が悪いからだけかもしれない。ロザード家は親戚も含めて体面を重んじる家系ですから。しかしその女中、メアリー・コートナーというのですが、どうやら身寄りがなかったらしく、葬儀も職場の人間と公爵家が内々で済ませたようですね」


 シャーロットは手を付ける気になれないホットチョコレートを前に、大きな衝撃を受けていた。


「そ、そそそそんなこと、フェリックス言ってくれなかった……」

「……逆に、あなたへの手紙にしか書かれていないことも多々ありましたよ。あなたと出かけた場所はもちろん、ランドニア公爵領に久々に私物を発注しただとか。あそこは夏場の果物から作られる上質なシードルと、質のいいダイヤモンドの産地で有名ですからね」


 そこまで言って紅茶のカップを口元にもっていくヴィクターを、シャーロットは複雑な気持ちで眺めた。

 しばらくは逡巡していたのだが、相手が静かに茶器を受け皿に戻したタイミングで、思い切って聞いてみることにした。


「その、遺書、じゃないなら覚書き? とにかく、フェリックスの遺した紙には、なんて書いてあったの?」

「ややこしいので遺書で。……そんなもの、知ってどうするんですか」

「気になるじゃない!」

「あなたの中では結論が出ているのでしょう。フェリックス・ロザードとの恋は本物だったと。今さら、彼があなたに知らせなかったことを探り出してどうするんですか。男を問い詰めてこの先の行動を改めさせることも、相手の女のもとに殴り込みに行くことも、もうできないのに」

「か、関係ないでしょあなたには!」


 シャーロットが強く言い切っても、ヴィクターは表情を変えずに向かいから見つめてくるだけだった。

 その無感情な眼差しが、シャーロットに自分の行動の矛盾を冷ややかに突き付けてきている気にさせたので、思わず逃げるように俯いてしまう。


 彼の言う通りだということも分かっていた。フェリックスは裏切っていないと信じるなら、遺書の内容など気にするべきではないと。気になるのは、シャーロットの心のどこかに“もしかしたら、彼には自分に見せていない一面があったのかもしれない”という恐れがあるからだ、と。


 現に、使用人の不幸を、シャーロットには知らせてくれなかった。その意図が、恋人に心配させないようにしたのか、その使用人の存在をシャーロットに知らせたくなかったからなのか、今のままでは、シャーロットには判断ができない。


「……ほんとに、二人の時間が、嘘だったと思えないの」


 どうせ正解が分からないのなら、選びたい方の推測を信じればいいかもしれない。

 しかし、正解が分かるのならば、目の前のヴィクター・ワーガスが、その手がかりを握っているのならば、シャーロットは目をそむけたくない。

 

 目をそむけるのは、フェリックスを信じていない何よりの証になってしまいそうだった。


「このまま、彼との思い出だけ抱えて、彼のことを好きだった気持ちになんの傷もつけたくない気持ちもあるけれど」


 シャーロットは顔を上げて、向かいに腰掛けるヴィクターの黒い目を見返した。


「もしかしたら、生きていたら、もし次の手紙が届いていたら、わたしに何か打ち明けてきたかもしれないじゃない。でももう、それもありえないなら、自分で真相を探しにいくしかないじゃない。……本当に誠実だったにしろ、上手く騙されてたにしろ。たとえ、ほしかった結果じゃなくても、そこでようやく、わたしの中で、フェリックスがどういう人だったかが、ひとつ……完成するんじゃない」


 ひとつ区切りがつく、と言いかけて、シャーロットはやめた。

 フェリックスとのことに区切りをつけたいのかが、分からなかったからだ。とてもではないが、恋も、恋とは関係のない結婚も、今は考えられなかったからだ。


(このまま年を取っていったら、お父様にはほんとうに申し訳ないけれど)


 一瞬、寄宿学校に併設されていた修道院にいた、若い修道女の姿が頭をよぎった。シャーロットより少し年上と思われた彼女の事情など、当時知るべくもなかったが、シャーロットが一度も結婚しないままそうやって灰色の衣に身を包むと決めたら、父も姉たちもどんな顔をするのだろうかと。 


「……長い内容ではありませんでした」


 瞬きを境に、今度はヴィクターの方が視線だけを下げた。



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