第二章〔4〕 /…願い空しく
「天秀くん。これはどう言う事かね?説明してもらおう」
知らせを受けて部屋へやって来た羨明は、勇潤と誠河、召使を部屋の外へ出した後、眉一つ動かす事無くこう言った。
「わ…私ではなく、彼女の意志です」
こう言って天秀は状況を説明し始めた。
(危なかった、何故思惑が…)
羨明が、自分の説明を疑う様子がないので、胸を撫で下ろす。
「まったく厄介な…」
羨明は、咳込み、肩で息をしている美風を怒鳴りつけた。
「美風!何故力を使った!!」
美風は拳を床に叩きつけた。
わけの分からない激しい怒りが湧いたのだ。
「叔母様を、助けたかっただけです!」
叫んだ直後、美風はうっと呻き、胸を引っ掻くようにして倒れた。
「お義父様、すぐ医者を呼びますから!」
羨明はフンッと鼻を鳴らし、
「必要ない」
と、携帯電話を取り出した。
「一地、来い!」
「はい、旦那様」
一地は大地が運転していた車から降り、天秀の屋敷の門を潜ろうとしたところで、大地の方を振り返った。
「大地。お前もだ、ついて来い」
車を下りる大地が、呼ばれたのはあなただ、と責めるような視線を向けて来たが、一地は無視した。幾ら主人に嫌悪感を持っていても、自分達は我慢して仕えるしかないのだ。
一地は優風と美風の容態を素早く診て、別室へ大地に美風を運ばせた。
「優風は」
羨明の言葉に、一地は黙って首を横に振る。
「ドクター、どう言う事ですか!そんな…そんなはずが…」
天秀が蒼白になる。羨明は不愉快そうに、自分の足元に落ちた大小の美風の血に目を向ける。
「旦那様、お帰りですか?」
一地は部屋の外へ出ようとした羨明に問い掛けた。
「あぁ」
「美風お嬢様は」
「好きにしろ」
羨明は部屋を出る。
召使が数人いて、勇潤、誠河が駆け寄って来た。
「部屋の床が汚れているぞ」
召使が慌てて血を拭いにかかった。
「お祖父様、叔母様と美風は」
と、勇潤が聞く。
「一地が診てくれているから大丈夫だ。さぁ勇潤、誠河。お前達は私が送ろう」
本当に、この子には不思議な力が内在したのだ、と一地は思った。
この子の父親と同じく。
「父さんには、この状況が分かるのか」
「旦那様は『力を使った』と言っていたからな。推測だが、もし優風様の痛みを引き受けたなら、この痛みは痛み止めが無いと、大の男が泣き叫ぶぐらいなんだ」
一地は美風を複雑な目で見て、痛み止めを注射する。
「気絶したのも無理は無いな」
「辛かったどころではないはずだ」
と、大地は吐き捨てる。
いや、と一地は口を挟む。
「お嬢様が、本当に辛いのはこれからだ」
父の言葉を受け、大地は目を見開く。
「まさか、優風様は」
「あぁ…逝ってしまわれたよ」
大地はそんな、と言いかけて黙る。
(美風お嬢さんにとっては、誰より大切な人が)
大地は胸が激しく痛むのを感じた。
(あの、優しい人が)
「何故?力を使ったなら…助けられるはずでは」
大地の動揺を気にする様子もなく、一地は渋面を作る。
「そこが、妙なんだ。流様とは違う…」
大地は美風に目をやる。
痛み止めが効いたのか、美風は穏やかに眠っているようだった。
後日、優風の葬儀が終わった。美風は羨明邸に戻され、勇潤と誠河は眠っている美風の様子を何度か見に来た。
まだ目を覚まさない。
「おじい様、入りますよ」
勇潤の声がして、安楽椅子を動かして振り返ると、勇潤と誠河が立っていた。
「おぉ、どうした」
「美風は、まだ眠っていました」
「そうか」
勇潤は苛立ったように腕を組む。
「今更ですが…あの時…何故もっと早く一地を呼んで、診せてやらなかったのです」
誠河が一歩前に出る。
「そうです、あんなに長く苦しませる必要が、どこにあったのですか」
二人は、祖父が一地を呼ぶまでの会話を聞いていた。
「あなたが最初から助けていれば、こんな事に…」
と、勇潤は小さく呟いた。
「二人とも、一体どうしたと言うんだね?美風は無事じゃないか、一地に任しているから心配無いさ」
二人は釈然としない気分で、祖父を見つめるのだった。
大地が一地の代わりに美風の様子を見守っていると、美風が目を開け、大地を見た。
大地は微笑んで、少し顔を近づけた。
「大地さん」
「気分はいかがです?」
「どこも痛く無いわ、よく寝たお陰みたい」
「昨日、中学のクラスメートの陽紀さんと重柳さんが、心配のお電話を下さっておりましたよ」
「え?」
美風が目を見開いた。
「心配?何故ですか?」
大地は、話しをしていると、美風が、まだ事情をよく飲み込めていない事と、少し気分が思わしくない事に気付いた。
しかし美風の回復の兆しは順調に見えて来たと感じた。
「とりあえず…お電話があったと言う事は、お忘れ無く」
「はい」
「私は父を呼んで来ます」
美風は、部屋から大地が出ていくと目を閉じ、何かを堪える顔をする。
「叔母様は…あの痛みから解放された…」
でも、と心の中で呟く。唇を強く強く噛み締めた。