第二章〔3〕 /…悲しみを癒すお守り
美風が学校へ行く事に対しては、美風はひどくおかしな子だから、と祖父母はずっといい顔をしていなかった。
しかし行かせないわけにはいかない。
祖父母の余計な心配をよそに、美風はいい友人に恵まれ、学校に行くときは素晴らしく元気よく、帰って来る時は心なしか沈んだ表情で帰って来た。
「鏡南、私、学校がとても楽しみよ」
美風は毎日のように学校であった事を報告した。
「屋敷に戻るのが嫌なぐらい。もっと学校の時間がのびればいいのに」
「それはようございましたね。上手く馴染めるか心配しておりましたよ。理奈穂様や、重柳様はお元気でございますか?」
理奈穂は、学校に入ったばかりの頃、美風の隣の席になった女の子で、黒い髪を二つに結び、明るく輝く茶色い目、白い肌。
男女構わず冗談を言い、笑わせるのが好きな子で、美風と一番一緒にいる子である。
「俺、家ではしっかりしてるんだよ、家事は何とかやるし」
「偉いじゃん」
「食事も一人で作って父さんや母さんにあげるんだぜ」
「あぁーお嫁さんにしたいタイプねー」
理奈穂によく絡む彦志と言う男の子と、このようなやり取りをしている。
重柳は首をすっきり出した爽やかなショートカットの男の子で、奥二重。
美風と同い年にしては背が高く、クラスの委員長で鋭い存在感があった。
転校してきた美風に最初に話しかけて来た男の子だ。
気雪と言う、
意地悪な女の子が自分の気に入らない子の悪口を美風に吹き込もうとした際、
「人の悪口を言う人間は最低だよ」
と注意した。
気雪は頬を膨らませ
「何よ。私はね、私だけの美人の友達が欲しかったんだから」
「それは何故?」
「他の人に美人の友達がいますって言ったら、その辺の普通の顔の人を言うより驚かれるし、自慢出来るじゃないの」
と重柳に反論し、彼はもちろん、美風を呆れさせた。
「えぇ。唯吹さんや沙々波さんも…みんな家に遊びに来たいって」
唯吹と沙々波は仲良しな幼なじみで、唯吹はさばさばしていてスポーツ万能、茶色に近い黒髪と目。沙々波は濃い黒髪としっとりした黒目。
気の強い唯吹とは反対に穏やかで物静かな、そして気を遣う男の子だった。
唯吹が家で嫌な事があって考えていた時、
「何を考え込んでいる?お前らしくないぞ」
「え?ちょっと黙ってただけよ。もぅ、私、普段どんなに煩いのよ?」
「和むんだからいいじゃないか」
「沙々波はね、人の事心配しすぎなの」
と唯吹は美風に話す。
「そりゃ心配するさ」
と、沙々波。
「唯吹さん、いいじゃない。それだけ唯吹さんの事、気にかけてくれてるんだわ」
と、美風が沙々波のフォローをした事があった。
「私もあの人達の家に遊びに行きたいな。誘ってくれるのを、断るのはいや。でも、おじい様やおばあ様がいい顔しないからしかたないわ」
美風は寂しそうに微笑んだ。
何故なら、他の子どもの家へ行くな、呼ぶなと言われていたからだ。
「そう言えば美風様、あなたにお伝えしたい事があります」
鏡南は美風にそっと言った。
「天秀様が、今度の日曜日、あなたに挨拶をしたいそうです」
美風が天秀と会ったその晩、美風は鏡南に話しを聞かせた。
「天秀さんは顔色が悪かったわ、背はとっても高いけど痩せていたし。体が弱いのは本当なのね。いい人だったのよ。私、安心しちゃった。叔母様がひどい人と結婚させられるかもしれないって思ってたから。『君が美風さんか。優風さんからよく話しを聞いているよ。どっちが優風さんの好きな物をよく知ってるか勝負しないか?』って聞かれたの。だから、『はい、勝負しましょう。負けませんから』って答えたのよ。でも私負けてしまったの。まさか叔母様を小さい頃から知っていたなんて。『君が時々顔を見せに来てくれたら嬉しい。優風さんも喜ぶ』って言ってくれたわ」
天秀と美風の二人が出会ったその月の最後の日に、天秀と優風は式を挙げた。
式が終わり、美風が一人になった時、ぼんやりと海から貰った袋を見つめていると、勇潤がそれを見つけて言った。
「お前、いつもそれを手放さないんだな」
「だって、大好きなんだもの。海の手作りよ」
と、美風は嬉しそうに言った。
また、二人の様子を見て側に来た誠河も口を挟んだ。
「海?」
「私がここに来る前、よく一緒に遊んだの。元気かな、どうしているかな。勇潤兄様に感じがちょっと似てるかな。とっても頼りになって、優しかったの」
「…そうか」
「兄様、おじい様がいいとおっしゃってくれたら、私がいた村に連れて行って?海に会いたいの」
「許可が出たら、お安い御用だよ」
と、勇潤が答える。
「本当?」
「あぁ。それに俺も、その人にお会いしたい」
だが、許可が下りる事は無かった。
美風が祖父母の屋敷へ来てから、六年が経過した頃、美風の身の上に、更に思いがけない事が降って来た。
祖母が死に、叔母が出産後に倒れたのである。
体が弱いのに加え、出産と精神的なものが原因だった。
「叔母様、死んじゃ嫌…」
弱々しい美風の声が聞こえた。
「君を置いて死ぬわけないよ!」
「おい美風、呼び掛けろ」
「はい!」
優風はぼんやりと、美風と従兄弟達のやりとりを聞いていた。
引いては寄せる波のある痛みに、歪めた顔を美風に見せたくなかったが、どうにもならない。
「叔母様が死んだら由子真ちゃんはどうなるの。まだ小さいのよ」
その時、誰かが入って来る気配がした。
「天秀さんっ何とか出来ないの!?あなたのせいじゃないの、叔母様がこんなになるまで気付かないなんて!」
優風は、何とか目を開けると血相を変えて叫ぶ美風を見た。
「彼を責めないで。ね、美風。それは間違いよ」
「あ、私…」
美風はうなだれた。
「ごめんなさい」
「いいんだよ。それよりも、君に頼みがある。僕には出来ないが、君なら出来る。わかるね?」
美風は天秀の言わんとしている事を悟り、天秀の目を見つめた。
「天秀…さん?私の顔を見て?どう言うこと?」
優風ははっとしてから首を振る。
「美風…私はいいの。お願い…やめて」
美風は痩せ細った叔母に目を戻す。
かつて一度だけ、傷を消した。
自らの力だったと確信するにはあまりにも曖昧で遠い、幻のような記憶しか残っていない。
だが。
「でもやらなきゃ。やってみなきゃ叔母様が」
叔母の容態はかなり危ないと天秀から聞いた。
(叔母様が死ぬかもしれないなんて…)
叔母は、母のいない美風にとって母親そのものなのだ。
(子どもが親を助けるのは、当たり前だもの)
「天秀さん、あなた」
「頼む、早く!」
何かを言いかけた優風を制し、天秀が悲痛な声を上げる。
美風は意を決すると、叔母の額に手を当てる。
何か固い物で殴られたような衝撃に、美風の頭がくらくらし、目の前に星がちらつく。
胸に、下腹部に、ひどい痛みを感じた。
「あ、あ」
見ると、自らの胸や下腹部が空洞になっている幻覚が見えた。
天秀の震えた声が聞こえて来た。
「な、何だ、どうしたんだい?」
「胸に…」
美風は下腹部よりも強烈に痛む胸を押さえると、顔を歪めて吐血した。
「ぅわ!」
「美風!?」
天秀、勇潤、誠河。そして使用人たち。
その場にいた全員が、驚きと不思議な力への恐怖を漏らすまいと行動を起こすのを躊躇う中、優風は救われた、と天秀だけが笑顔だった。
だがこの笑顔の後、叔母は意識不明の重体に…。