第一章〔2〕 /…出会い
その日、美風はいつも通り海の家へ遊びに行った。
鬼ごっこをしてからひと休みしていると海のお母さんがやって来た。
「美風ちゃん。優風さんから電話があったよ。帰って来いだってさ」
美風は慌てて立ち上がった。
「分かりました!海、またね」
「待てよ、送る」
海のお母さんは一人で納得したように笑いを堪えていた。
「どうしたんだろう?叔母様、具合でも悪いのかな」
「おばさん、体弱そうだもんな」
「うん、ちょっと心配」
家の前に着くと、タクシーが一台停まっている。
居間で叔母さんが誰かと話していた。
「何かあったら、俺のとこ来いよ。またな!」
「うん!」
美風は大急ぎで居間へ向かった。そこには背が高くハンサムな紳士がいた。
叔母さんはいっそう弱々しく見えた。
「私の可愛い美風…」
叔母は美風を抱きしめた。ひどく震えていた。
紳士が自分をまじまじと見つめた。
優しい目だ。
やがてゆっくりと優しく言った。
「君が、美風…?」
それから数日、美風は不思議に思うことだらけだった。
叔母さんが聞かせてくれた話は難しくて、よく分からなかった。
(海に相談してみようかな)
その話とは、叔母さんが結婚することについてだった。
美風は叔母以外の親戚と会った事は無いが、この国の首都である守都鈴
にいるおじいさんとおばあさんが貴族で、跡を継いでいる美風の父親の兄が、いつまでも独身でいる妹を心配して誰かと結婚させるのだと言うのである。
そして美風は伯父と同じく守都鈴にいる祖父母の元へやられるのだそうだ。
この話を聞かされたとき、美風は顔をしかめた。
「私は、いや。だって叔母様は私のお母様よ。それにここには友達がいっぱいいるの。それに叔母様は私のお父様とお母様が大好きなんですもの。結婚って好きな人とするものなんでしょう?ねぇ、どうしても叔母様は誰かと結婚しないといけないの?そんなのおかしいわ」
こう言われても、叔母にはどうする事も出来ないようだった。
叔母さんははっきり言った。
「お前のおじいさんとおばあさん…それに伯父さんが守都鈴に来るようにと言っているのです。そしてわざわざお迎えの方が来たのですから、行きましょう」
美風は考え込んでしまった。叔母さんも悲しそうに言った。
「あなたのご両親が生きてらしたら…何と言うかしらね。でも、きっと賛成してくれていると思うわ、美風のお父様はお家に帰りたかったのではないかと思うのよ」
美風は怒って言った。
「違うの!叔母さんや海や、海のお母さんや学校のお友達、お隣のおじいさんやおばあさんと離れるの、いやなの」
次の日、ハンサムな紳士がまたやって来た。
この人は伯父の使いとして二人を迎えに来た、大地と言う人である。
彼の父親が、長い間祖父母や伯父の家のかかりつけの医師として働いていた。
父親と同じく医者を目指していた大地は美風に色々な事を話して聞かせた。
美風を引き取る事になるおじいさんやおばあさんがどれだけ金持ちか。
そして美風が大きくなれば、今度はもっとお金持ちの家にお嫁さんに行って、大変贅沢で幸せな暮らしが出来ると言うのだ。
しかし、美風はそれほど心を動かされはしなかった。
海の事が気になって仕方ない。
海はなんと言うだろうか。
朝の食事を済ませて、美風は海の家へ行った。
海の父親は沖に漁に出ていて、母親は食事の後片付けをしているところだった。
海は縁側で新聞を読んでいた。
美風はいきなり近付いて言った。
「おはよ!」
海は美風を見ると新聞を畳んで笑顔を見せた。
「早いな」
海の隣に座って、美風はう〜んとうなった。
いつもはにこにこしながら遊びに行こうと言う美風なのに、どうしたんだろうと海は不思議そうな顔をした。
「ねぇ海、私がどっか行ったら寂しい?寂しいよね?」
「うん、それはね」
美風は意を決したように言った。
「私ね、お金持ちになれるんだって」
「え!?」
海が叫んだ。
「嘘じゃないの、この前おじいさんやおばあさんのお使いって人が来て、守都鈴にお金持ちのおじいさんやおばあさんがいるから、それでおいじさんやおばあさんは私や叔母様に会いたがってるから、来て欲しいんだって」
「へぇ。おじいさんやおばあさんがいたんだ。よかったじゃん、会って来いよ」
海はお金持ちになれると言う事より、そっちの方に驚いた。
美風は両親がいなくて、親戚も知らないと言っていたから。
「でも海、守都鈴って遠いんでしょ?」
「あぁ、海を一つ越えないといけなかったかな」
「私、海と遊べないの、いや」
「少しの間だろ?辛抱しなよ。それにさ、本当のおじいさんやおばあさんがわざわざお前に会いたいって言ってくれてんだろ、きっと寂しいんだよ。これでお前が行かなくて、おじいさんやおばあさんを寂しい思いをさせたら親不幸だよ。あ、おじいさんやおばあさんだからおじいさん不幸?かな」
「うん…海、ずっと私が戻って来なかったらどう?」
「え?」
「どう?」
「…行くのをやめるのは駄目なのか?」
「あはは、海言ってる事ちがーう」
「いいだろ」
「えへへ、海がそう言ってくれるの嬉しいなー。でも、絶対行く事になると思うの。叔母様が、私のお父さんやお母さんも行くのを喜ぶだろうって言うから」
それから、海と美風は真面目に話し合った。
海は色々な事を訪ねてきた。
美風は分からないなりに答えていた。
ただしそれは、大地に教えて貰った事ではなく思いつきで言っただけである。
大地は父親から美風の一族の財産や勢力の事を詳しく教えられて知っていた。
美風の父親が両親や兄から疎まれていた事も、政略結婚させられた事も、殺されてしまった事もよく知っていた。
祖父母と兄は今でも美風の父親の事をよく思っていないようだった。
そして、遠くへ引っ越してしまった叔母の事も。
そのせいか大地も美風の父親やその妹に対してあまりいい印象を持っていなかった。
大地が叔母と美風の家についた時、その家の余りの小ささと貧しそうな様子に脱力した。
しかし出てきた叔母を見て、大地は思わずあっと叫んでしまった。
叔母は何の飾りも無い黒い服を着ていたが、大地が写真で見た時より美しく若々しくて、まるで娘のようだった。
大地は写真で見た、美風の両親の顔を思い出した。
美風の父も母も美しかったから、その子の美風も可愛い子だろうと思った。
大地はあらたまって優風に自分が何故ここに来たかを話始めた。
優風は真っ青になった。
「何ですって!?私が結婚!?」
声を震わせた。
「何故今更そんな話が?私は美風の母です」
大地が溜息をついた。
「優風様。由緒あるあなたが嫁がれない事をよく思わない人もいるのです」
「美風はどうなります」
「ですから優風様のご両親がおひきとりになると…」
「父や母がそんな事を!?」
「はい、ご両親の意向だけでなく、優風様の兄上流気様の意向でもあります。既に屋敷の近くに相応しい家を建て、生活費を差し上げると」
「そんな事だろうと思いました。私が結婚したとして、あの子を新しい夫の下へ連れて行く事は出来るのでしょうね。いつも会う事は出来るのでしょうか」
「それは相手の方の迷惑になるのでご遠慮願いたいとの事です。ですが、美風お嬢様が貴女を訪ねる事は構わないとの事でございます」
優風はため息をついた。
「私は兄が…あの子の父である流が大好きでした」
と、優風は低い声で言った。
「流兄さんはひどい仕打ちを受けながらも私達家族を愛していました。奥様の事も、美風の事も大層愛していて、ただ一つ、人とは違う力を与えられた事が悲しいと申していました。大地さん、美風は力を継いでいるのです」
大地は心の中で驚いた。
「両親とお兄様はご存知ないでしょう。そうお伝え下さいませ」
その時、美風が部屋へ入って来た。
大地は目を見張った。
美風は父親似であった。
父親と同じ緑がかった黒い目で、母親と同じ艶やかな茶髪だった。
(何て綺麗な子だ)
大地は口には出さなかったがそう思った。
「君が、美風…?」
と美風を見つめた。