第二章〔6〕 /…忍び寄る運命
誠河はその日の勉強に区切りをつけ、何となく厨房に向かった。
厳格ながらも自分や兄には甘い真賀太。
美風が来てからは美風も加わった。
「真賀太、夜食を頼むよ」
厨房の奥から聞き慣れない声が響いた。
「すみません、真賀太様は外に出ておりまして」
「…君は?」
誠河は声の主を探した。
「はじめまして。海、と申します」
厨房の隅に並ぶ大きな冷蔵庫の陰からモップを片手に、陽に焼けた逞しい青年が出て来た。
「海…」
どこかで聞いた名だ。
「生まれは?」
「火南です」
「火南にいた頃、途中で引っ越した小さい女の子がいたろう?別れる時、女の子に守り袋を渡した覚えはあるかい?」
誠河が聞くと、青年は目を見開いた。
「その女の子はお守りだと言い、今もそれを手放さない」
「…はい」
海が頭を下げると、誠河は微笑んで言った。
「夜食はもういい。今度君の話しを聞かせてくれ。…美風に伝えた方がいい?」
「いいえ」
海は首を横に振った。
「分かった、オヤスミ」
海は掃除に戻ろうとして、振り向いて誠河の方を見つめた。
誠河からかけられた言葉が胸に残っている。
「忘れられるもんか、忘れられる筈ないだろう…」
学校の昼休み、理奈穂から渡された、有名なパーティードレスの雑誌を見ていた美風は、肩を叩かれ振り返る。
「うーん、やっぱ美風は可愛い」
「な…」
守芳は後ろから手を伸ばすと、美風が見ていた雑誌をめくる。
「この子…こっちの子も中々…けど、美風の方が可愛い」
「あ、りがとうございます」
守芳がもどかしげに、美風の手の側に自分の手を置く。
「今度開催されるパーティーでは最初に、僕と踊ってくれるだろう?」
「えぇ、もちろん」
「踊るついでに抱きしめたいな」
「構いませんよ」
「本当に?」
「えっ…えぇ、仲良しですから」
「勢いで、手がどこに伸びるかわからないけどそれでもいいかな?」
「そう…ですか」
美風はさっと立ち上がる。
「おいおい、何で逃げようとするんだ」
「そう言うわけではありません」
美風は心の中で呟いた。
(私は…私は…どうしたらいいんだろう?守芳さん、守芳さんは何を考えているの…)
パーティーの当日、守芳は美風の一族に近づき、ふと膝をついた。
「手伝おう」
勇潤が気付いて助け起こす。
「助かりますよ。僕は守芳です、大好きな勇潤兄様」
守芳は軽く美風の口まねをして、握手を求めた。
「守芳君か。守芳君は、顔がいいから割にモテるだろう?」
「勇潤さんに言われても…まぁ。勝手に寄っては来ますから。ただ、彼女達が困るんですけど」
「何故?」
「僕の取り巻きに性質の悪い連中がいるんですよ。物を売ったり、逆に誘ったりする…」
一方、海は手伝いとして、真賀太と助手達と共に、会場の厨房に他の名家のシェフと打ち合わせをする。
このパーティーの、特に料理の準備は数カ月前から行われていた。
海は荷物を両手に抱えて、指定された場所に何度も運んだり、掃除したり、片付ける。
「…すごい世界だな、何もかもが村と違う」
呟いた時、後ろから声がした。
「いつかの新入りだな」
振り返ると流気だった。
「はい、旦那様」
「む…ならちょうどいい。人手が足りないそうでな、君には、会場で飲み物を配る仕事をしてもらおう。意外と重要な仕事だから、注目されるだろう。真賀太には伝えておく。失敗はするなよ」
「はい、旦那様」
「お一人ですか?」
門柱に寄り掛かっていた美風が振り返ると、守芳だった。
「ずっと、待っていた?」
美風は少しふくれた。
「重柳さんや他の方も声をかけて下さいましたが、あなたと最初に踊るって約束しましたから」
美風は広間へ続く道を進みかけ、振り返った。
「行きませんか?」
「もちろんさ。だが、もう少し二人でいてもいいんじゃないかな」
美風は軽く溜息をついた。
「それは無理です、兄様達が見てるから」
それは残念だ、と守芳は笑う。
「どうぞ」
会場へ入ろうとした二人の間に、同じ歳ぐらいのボーイが現れ、飲み物を差し出す。
「ありがとう」
美風はホッとして飲み物を取り、何気なくボーイの顔と名札を見て、ハッとした。
「あなた…海と言うの?」
青年が苦笑した。
「はい」
「お生まれは?」
「すみません、仕事中ですので」
「そうだよ美風。彼の邪魔をしてはいけない」
守芳も苦笑して、美風の隣に立つとボーイの方を向く。
「君、早く自分の持ち場へ行きたまえ」
「はい、申し訳ありません」
青年が一礼し、美風に背を向けた。
「海、待って」
美風が、背を向けた海の服を掴もうとしたその時、会場の明かりが一斉に消え、真っ暗闇の中、何者かが彼女を押さえつけた。美風は、見えない誰かがいると感じた。
「予告通り、彼女をもらいに来たわ!」
「え?」
美風は暗闇の中、目を見開いた。
髪やドレスが、風にはためくように動き、何かに締め付けられるように息苦しい。
「「美風!」」
異変に気付いた海と守芳の声がした。
「来たか」
勇潤は、連中が美風を連れに来た時に、下手に抵抗すると彼女を攻撃されるのでは無いかと、連中が自由に動けるよう、わざと扉を全て開けていた。
勿論警備員を置いて警戒を怠らなかったが。
警備員を連れ、急いで美風がいた場所へ走る。
それに呼応するように明かりが一斉についた。
「勇潤さんっ」
一足先に現場に着いた美子之が、艶やかなドレス姿で拳銃を構えたまま立っていた。
「どうだ?」
美子之は動揺していた。
「それが、美風さんは消えましたっ彼らと警備員以外どこにも、誰もいませんでしたわ!なのにっ」