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天上の世界の明日に向けて  作者: 奈宮伊呂波
オネスタ編
9/50

第一話 人との関わり

 蹴り。蹴り。蹴り。

 オネスタの体にはその衝撃が響き渡っていた。


 十八歳になってしばらくたったその日、オネスタは初めて買い物に行かされた。足りなくなった食材の補給。物を買うことはオネスタにとって久しい行為だった。父親――イディオットがいたころに何か買っていた記憶がある。

 少し離れた町までオネスタは向かった。オネスタが露店に立ち寄り、食材を買う際に店員が不審な目でオネスタを見ていた。追い払われることはなかったが店員の接客は終始素っ気ないものだった。


「……」


 商品を手渡すときにオネスタが何か言っていたが、店員には聞き取れず、眉をひそめた。

 オネスタはどこの店に行ってもそのような反応を受けた。

 誰から見てもオネスタからは生気が感じられなかったのだ。生きている覇気を感じなかった。服装が簡素な、いや、みすぼらしいものであることがそれを助長させた

 そうして食材をすべて購入したオネスタは、自分の『家』である富豪一家の屋敷へ帰ろうと、来た道を戻っていった。通りを進み、路地に入った。

 その時だった。

 ぼんやりと歩くオネスタの周りを十人ほどの男女が取り囲んだ。オネスタに負けないほどにみすぼらしい恰好。思い当たるのは貧困層の連中。


「――何か用ですか」


 小さな、虫の鳴いたようなか細い声でオネスタは呟いた。それに答えたのは正面の大男。


「姉ちゃんよお。随分たくさん買ったみたいだけどよ。見かけによらず金持ちか?」


 オネスタは答えない。


「何とか言ったらどうなの?」


 男の隣に立つ女が苛立ちを露にする。

 オネスタは、答えない。


「はあ。とりあえず持ってるもの全部置いてどっか行け」


 それでもオネスタは何も答えなかった。恐怖に押し潰されているわけではない。オネスタはただ何を言えばいいのかわからなかった。義理とはいえ家族とすらほとんど話すことのない生活が続いていた。そんなオネスタに大人数に囲まれての対話は刺激が強すぎる。


(何か、何か言わないと……)


「それも出来ないってか、もういい、お前ら持っていくぞ」


 正面の男がそう言うと、周りの人間がオネスタの持ち物を奪おうと近づいた。

 オネスタは咄嗟に荷物を庇った。地に膝をつき、自分の腕で荷物を抱え、空に背を向けて庇った。それは反射的なことだった。今持っている食材とお金を失くせば、富豪一家に何を言われるか分かったものではない。


「急に動くんじゃねえ、ぞっ!」


 そう言って、まず後ろにいた男が背中を蹴り出した、それに続いて男、そして女たちはオネスタに暴行を加え続ける。


「こいつ何も言わねえぞ! ぎゃはは!」


「しっかり守れよ!」


「あなた随分強いのね! あっはは!」


 その男女たちは、もはや目的が変わっていた。物を強奪することから、自分たちよりも弱者をいたぶり、楽しむことへと。

 殴られ蹴られる中、オネスタは痛みを感じた。富豪一家からは受けたことのない、経験したことのないものだった。それは富豪一家の下で受けてきたものとはまるで違う種類の痛み。その痛みに対する処置の方法をオネスタは知らなかった。自分は何をすればいいのか、どうすればこの痛みや苦しみから解放されるのかオネスタにはわからなかった。


 戸惑いと焦燥感、そして痛み。それらがオネスタの感情をかき混ぜた。そして高まった感情は一つの事象となった。


「何とか言え――おい!なんだこれ!」


 男の怒号が引き金になり、それは起こった。

 オネスタの華奢な体から、大量の黒煙が噴出した。それはたちまち路地の一帯を覆い、オネスタを除くそこにいた全員の視界を片っ端から埋め尽くした。


 能力。オネスタはいつからか能力を持つようになった。大した力ではない。黒煙を噴出す能力。オネスタに与えられた能力は見えなくする能力。他人が黒煙を浴びると視界が黒く染まり何も見えなくなるが、オネスタ自身には殆ど効果はない。

 能力が発現してからはより一層今の家族から疎まれることになった。この貧弱で、逃げるために使うような能力を富豪一家は嫌悪した。


「……っっっ!!!」


 そしてようやくオネスタは買った食材を手に持ち、その場から逃げ出した。逃げて逃げて、数分走ったところでオネスタの体力が尽きた。オネスタは運動が得意ではないからだ。

 近くの家の壁にもたれかかり、痛む背中を摩る。


 しかし、体中に痛みを持ちながら、オネスタは久しく感じていない生きた心地という物を感じていた。今まで他人から向けられる感情は、冷たく乾燥した無関心に近いものだった。そんなオネスタにとって自分を痛めつけるということは、確かに他人を感じられる瞬間だった。痛いのが嬉しいのではない。自分以外の他人が自分に興味を持ったことが嬉しいのだ。

 間違った嬉しさを感じている中、足音が聞こえた。さっきの男女の内の女の一人が追い付いたのだ。ばらけて探していたのか他には誰もいないようだ。


「あんた。探したよ。どんな小細工を使ったのか知らねえけどよ。あたしらから逃げられるとでも思ってるのかい?」


 オネスタの中で生まれたのは恐怖ではなかった。戸惑いでも焦燥感でもない。


「いいえ。でも、もし許されるなら、もっと私を見てください殴ってもいいです蹴ってもいいですなんなら荷物もお金も持って行っても構いませんだから私にかまってください私を幸せにしてくださいお願いします!!」


 女の正面に向き合い、立て続けにオネスタは言った。もう富豪一家に何を言われてもいい。いやむしろ何でも言って欲しい。私に集中して欲しい。オネスタはそう思うようになっていた。

 女はまるで犯罪者でも見るような目でオネスタを見ていた。明らかに引いている。オネスタの異常なまでの剣幕に気圧されているのだ。一歩下がり、女は我に返る。なぜ私がこんな惨めな女にビビらなくちゃいけないのかと、オネスタに近づいた。


「お望み通り……!! 何度でも踏み潰してやるよ!!」


 女はまずオネスタの顔を掴み、床に叩きつけた。そしてそのまま何度もオネスタを踏みつけた。オネスタがなんの抵抗もしていないことも気にせず右足を動かし続けた。オネスタの足を、腹を、肩を、腕を踏み続けた。同じ女のよしみか、顔だけは踏みつけることなく何度か蹴るだけだった。目当てだったはずのお金にも手を付けず一心不乱にオネスタを痛め続けた。ちらりと見えたオネスタの口角が吊り上がっていることも無視して蹴り続けた。

 女の体力に限界が訪れ、肩を揺らし、膝に手を尽くまでに二十分はかかった。オネスタの服は破れ、肌が一部露出していた。意識はもうない。


「気持ち悪い。もう二度と会いたくないね」


 言い残して女は、オネスタの持ち物を持たずに去った。



 ◇ ◇ ◇



「――痛いっ」


 その後すぐにオネスタは目が覚めた。その瞬間、オネスタに激痛が襲う。傷が痛み、熱を感じた。立ち上がろうとすると、全身が悲鳴を上げていた。オネスタはそれらを全て無視し富豪一家の下へ帰ろうとした。


「――さっきの人。何も取っていかなかったのかな……」


 荷物を持ち、帰路に就く。

 周りの視線はオネスタに集まっていた。しかし、誰もがすぐに目を背けた。尋常ではないオネスタの様子は見てられないほどだったのだ。などではなく、人々はオネスタの屍のような姿を見て、関りを持ってはいけない類の事件性を感じ取ったのだ。


「ただいま帰りました」


 扉を開き、挨拶するが迎えるものはいない。使用人もいる、おそらく富豪一家もいるが迎えの言葉を送る者はいなかった。

 食材を調理場に持っていくと、ある人物がオネスタの姿を見て声をかけた。使用人にも無視されたオネスタにだ。


「あなたその恰好どうしたの」


 その人物は、オネスタの父であるイディオットと結婚するはずだった富豪の娘、テネレッタだった。


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