第四話 牢屋からは絶対に逃げられない
階段で見つかった瞬間から、クリオシタの目的は下見から逃走へと変更することを余儀なくされた。大穴までのルートを考えられなくなったのは痛いが捕まってしまえば元も子もない。しかし、逃げることに関しては全く問題ない。飛んでしまえば追いつけるものはいないだろう。逃げるにしても大勢の兵が見ているこの状況下で、堂々と能力を使って逃げることは避けたい。能力から身元が特定されかねない。とりあえずは後ろの兵たちを撒く必要がある。
クリオシタは走りながらそう考えていた。
「でもちょっとだけなら、ちょっと走るスピードをあげるくらいなら、ばれないよね――」
呟いて、集中して能力を使う。クリオシタは細かい調整が必要なこの使い方は攻撃の時のようにぶっ放す使い方よりも苦手なのだ。
無事に能力が発動し、兵との距離がみるみる離れていく。
「これなら……!」
いける。この調子で最上階に行くことが出来れば誰にも見られずに飛ぶことができる。
クリオシタはそう思った。
逃走成功の目処が立った。安心し、安堵し、そして心が緩んだ。
発見された場所の一つ上の階を走り抜け、最上階に着いた。だが、クリオシタは失念していた。自らがここへ侵入した際、ブレーキの余波で部屋が盗人にでも入られたかのように荒れてしまったことを。
その結果、
「うわあっ!!!」
足が何かに引っかかり大きな音を立て前に倒れた。
さらに大きな誤算がクリオシタを襲う。倒れた体を起こそうと立ち上がろうとするが、足が動かない。無理もない。何時間も飛び続け、走り続けたことから生じる疲れ。加えてもう長い間寝ていない。高いテンションで誤魔化していたがここに来て足にツケが回ってきた。
なりふり構わず能力を使い、窓から飛ぼうとするがそれも叶わない。疲れを自覚したことで集中力が途切れた。うまく風を起こすことができない。
「――これは、本当にやばいかなあ……」
階段から何人もの足音が鳴り響いて来ている。手詰まりだ。クリオシタにもそのことはよくわかっているはずだ。それでも腕を使い、窓に向かうことを諦めなかった。焦りからか、いつの間にか汗が大量に流れている。床に擦れた脛の辺りが痛むがそれでも前に進むことをやめなかった。
「いたぞ! あそこだ!」
「捕まえろ!」
怒号が聞こえた。国のために働いている兵たちはそんなクリオシタの状態など考慮に入れていない。真剣な表情で王城侵入という重罪犯を捕まえようとしている。
ずるずると逃げようとしているクリオシタの周りを兵が取り囲んだ。
そして、無抵抗なままクリオシタは捕まった。
捕まった。もうどうしようもない。
兵に運ばれる中、暴れることも出来ないクリオシタは、目的が失敗したことに対する虚脱感、今まで蓄積した疲労感によりゆっくりと、眠るように目を閉じた。
◇ ◇ ◇
目が覚めた。起きた。覚醒して、状況を把握するのにたっぷり一分程経過した。
クリオシタは小部屋にいた。小部屋と言っても、ロンタノ村で捕まった時のような小部屋とは異なる。
まず目についたのは格子だ。金属で作られたこの格子は滅多なことでは壊れないだろう。次に目についたのは扉だ。丁寧に扉の上に設置された板にトイレと書かれていた。中に入ってみる本当にトイレで、水道と換気用の窓が一つあった。
「牢屋じゃん」
そう結論付ける他になかった。クリオシタがいる部屋にはトイレ以外何もなかった。いや、トイレから出たときに見つけたのだが床に一枚、紙が置かれていた。紙には、「おはよう。さっそくだが、今兵たちは遠征に向けて忙しい。順当に貴様を裁くには人も時間も惜しい。遠征の飛行船を見届けてから、貴様に処分を言い渡す。決して逃げるな。絶対だぞ」と書かれてあった。
「これはあれかな、振りかな?」
「やめとけ」
声が発せられたのは、格子の向こう側、さらに通路を挟んで向かいの牢屋の中からだ。いたのは退屈そうに寝転がっている男。背格好から四十代、少なくとも三十代後半であることが伺える。
「城内が忙しいっつても囚人に逃げられるほどじゃない。脱獄に失敗すればそれこそ即刻打ち首だ」
「そうなの?」
「第一どうやってそこから出るつもりだ。あと敬語」
「それなら問題ないよ! あ、ないです」
果たしていい年齢の大人でありながら牢屋にぶち込まれている彼に敬語を使うべきなのかクリオシタは判断に悩むが好意に振舞って損はないだろう。出る方法についてだがクリオシタにはこれぐらいの牢屋なら簡単に出られる術を持っている。そう、能力だ。クリオシタは風を操り、鉄をも切れる刃物のように扱うことができる。飛ぶ斬撃。それをプレンタとの交戦時に使わなかったのは、クリオシタに殺人を犯すほど常識がないわけじゃないし、そこまで堕ちているつもりはクリオシタにはない。
「私の能力で――」
他人に見せるため軽い風を放出しようとした。
おかしなことが起きた、風が出ない。寝たことで回復した集中力をもってしても一瞬たりとも風は起きない。飛ぶ斬撃はもちろん、そよ風さえ起きてはくれない。
「入ったばかりのあんたは知らないと思うがここは能力の使用制限がかかってる」
「なんだそれ!!!」
「そういう前例があったんだろうな。能力封じの能力者でもいるのか、魔導士の魔法かはわからんが。それより嬢ちゃん、あんた生ゴミでも捨てるようにそこに入れられてたが何したんだ? 第一ここは男の牢屋なんだが」
「王城に入ったの。無断でね――え、男用なのここ……」
「はあ!? 王城に侵入? それもう打ち首もんじゃないか。嬢ちゃん見かけによらずやんちゃだねえ」
打ち首よりも男部屋にぶち込まれたことに絶望しているクリオシタだったが、能力を封じられたことにより、一気に打つ手がなくなった。能力が使えない今クリオシタが他人より優れている物は、持ち前の体力と、高速に慣れているという部分だけだ。
「どうしよー。ところで今何時ですか?」
「今か? 通路の奥を見てみい」
言われて格子に顔を張り付け、通路の奥を見ると、突き当りに置いてある時計が八時を示していた。
「びっくりしたぞ、嬢ちゃん。夜中の四時半ごろだったかな、突然兵がぞろぞろと女の子を運んできたんだからなあ」
「そうなの? それで日付は?」
「運ばれてきた日と同じだな」
もはや敬語の存在を二人とも忘れてしまっている。
「そっか。ところで――」
名前は、と聞こうとしたその時通路の突き当り、さらにその奥から鳴り響く足音。その音が聞こえたと思うと、急に周りの牢屋が忙しなく動き始めた。戸惑っているクリオシタをよそに足音は近づき、すでに突き当りまで来ていた。
「おはよう、諸君! 喜べ今日は遠征の日だ、いつもなら働き始める時間だが、今日だけはゆっくり休みたまえ!」
全牢屋中に鳴り響きそうな、高い大声を上げ、鼓膜を刺激する。口ぶりから察するに看守だろう。
コツコツと乾いた革靴を鳴らし、牢屋を見回りながら囚人が起きているか見ているようだ。
「起きろ! 1023番!」
激しい音とともに格子を蹴り飛ばし、寝ていた囚人を叩き起こしている。さっきの慌ただしさはこの看守の足音を聞いて囚人たちが飛び起きたせいだろう。
暢気にそんなことを考えていると、クリオシタの前で看守は立ち止まった。
「君が夜中に収容された子だね。今は忙しいけど安心して、最初の飛行船が出発したら、君にかまってあげるから」
さっきまでの爽やかな大声とは打って変わり、ねっとりと纏わりつくような声でクリオシタに話しかけた。
「どうぞご自由に、というかあなた男性だったんですね。声が高いので女の方だと思ってました」
強気なクリオシタに、看守は眉を歪ませ、怒りを露にするがすぐにそれは引っ込んだ。感情のコントロールがうまいのだなと、クリオシタは適当に考える。
「元気で何よりだ。君はじっくりと裁いてあげるよ」
全くそんなことはなく、怒りに振り回されていた。殴りにかかってこないだけいいほうだ。
そう言い残し看守は来た道をそのままそっくり戻っていった。
「嬢ちゃん、あんまり逆らわないほうがいいぜ」
呆れたようにぼやく向かい側の男だが、クリオシタからの返答はない。
プルプルと震えたかと思うと、いきなり床に寝転がった。
「あー! 怖かった……」
「怖いならやめとけよ……」
従順でいるのは負けている気がするのでクリオシタにその選択肢はない。
「あれ」
寝転がった時に、違和感に気づく。ゴーグルは首にかけっぱなしだし、ポケットからはちゃりちゃりとなる小袋と、懐中時計、フォルティモから貰ったキューブまで確認できた。
「荷物くらい、没収されるもんじゃないのかな」
兵たちの適当さには呆れるが、それはクリオシタにとっては好都合だ。特にフォルティモから貰ったキューブはありがたい。これがあればいつでもフォルティモの家まで行くことができる。
これで万事解決、と一気に安心したクリオシタは、向かい側の男に挨拶をすまして、フォルティモのキューブを使うことにした。