第三十六話 ヒーローの登場
オネスタは歩き始めた。隣には小さな少女、クリオシタがいる。
友達や知り合いが死んで、自分も助かるためにいくつもの命を奪った。
後ろには男の死体が三つ。それらが怨念を放っている気がしてオネスタは胸が締め付けられる思いだった。
「とりあえずチェントルまで行こう」
カリーナと決めた当面の目的をクリオシタに伝える。
「そこって遠いの?」
「ちょっとね」
「わかりました」
話しながらもオネスタは周囲を警戒していた。
何度も危機に直面して、誰かの助けを得て何とか脱することができた。
不安はある。
それよりも右手を握る少女を守るべきだと言う気持ちが大きい。クリオシタはおそらくオネスタよりも今の状況を理解していない。そもそもさっきまで気を失っていたのだ。すぐに把握できる方がおかしい。
倒壊した建物も、いくつか散見される人の死体もクリオシタが見ていい物ではない。
奴らによる侵略が完了したのか、戦闘音や悲鳴はどこからも聞こえなくなっている。オネスタやクリオシタの足音や、時々崩れる石の山の音だけが聞こえてくる。それが一層不気味だった。
「出口だ……」
簡易的に設置された検問所を発見しオネスタは呟く。辺りには誰もいないように見える。
近くに寄ってみると、中には誰もいなかった。おそらく、戦いに参加したのか逃げたのだろう。
無事でいるように願って検問所を通ろうとしたその時だった。
ゴン!! とオネスタの耳元で鈍い重音が響いた。
オネスタが気づいた時には、すでに体は地面に仰向けになっていた。自分の頭が殴られたことに気づくにはさらに十秒かかった。
「まだ、いるの……?」
自分の頭を押さえてクリオシタの手が離れていることに気づいた。
ぐらつく視界の中に男が映る。
「やっと見つけたぜ」
頭上にいる男は殺す気はないのか、武器らしいものは何も持っていなかった。オネスタの頭も拳で殴られたのだろう。
「オネスタお姉ちゃん!」
クリオシタがオネスタの元に駆け寄ってきた。どうしたらいいのかわからずあたふたとするクリオシタの頭を優しくオネスタは撫でた。
大丈夫だよ、と言ったつもりなのに声が出てこなかった。
男は何も言わずにその光景を眺めている。
「おーい殺すなよテルトよー」
テルトと呼ばれた男の向こう側から別の男の声が聞こえた。
体を翻し、声のした方を見てみるとやはり男がいた。
「テルト君は元気いいから。私はいいと思うよ」
いやそれだけではない。若い男から、老婆やこどもまで何人も人が集まっていた。大体三十人。今までよりも圧倒的な人数だ。
「お前は逆におとなしすぎるんだよ」
女が言ったことにテルトは面倒くさそうに応じる。
バーギアやさっきの少年の姿はどこにもない。ならこれで全員ではないのだろう。街のどこかにまだこいつらはいる。
「まあいい。あー、オネスタだよな? シュタインからどんな奴か聞いている。お前で間違いないな」
テルトが他の仲間に確認をとると、その中の一人が「合っている」と答えた。
「ならいい。そこのガキに興味はない。ただ抵抗するって言うならそいつもどうなるかわからんがな」
冷淡に男は述べる。
奴らの狙いは自分だが、それ以外の人たちは楽しむためについでに殺してしまおうと考えているのだろう。今まで見てきた連中がそうだったのだ。こいつらもそうに違いない。
それなら、ここから逃がすと言う選択肢はもはやない。オネスタの能力を使ってとしても、クリオシタが一人で逃げ切ることは不可能だろう。
男の声が続いた。意識が朦朧とする中、なんとか聞き取ることができた。
「返事がねえな。逃げないように足を切っておくが構わないな?」
誰に聞いてんだよ、とオネスタ思った。どうせやめてくれないなら確認など取らないで欲しい。
体は動かない。歩くことすらぎりぎりだった体は、脳を揺さぶられとうとう限界を迎えたのだ。
クリオシタはオネスタのすぐそばにいた。肩の辺りが冷たく感じたので多分泣いている。
でもオネスタはその涙を拭ってやることすらできなかった。
「お前に恨みはないが、これで終了だ」
誰かから受け取ったのか、テルトは剣を一本握っていた。オネスタの足を切るためだろう。
剣を振りかざし、テルトはため息を吐いた。シュタインやバーギアが一年待つと言った計画がこんなにあっさりと終わってしまい、残念に感じているのだ。何人も殺してみたが、全然足りていなかった。まったく満足などしていない。
自分が満ち足りるためには何をすればいいだろうと、襲撃の最中にテルトは考えていた。拳を血で汚しても、耳を悲鳴で埋めても満足できないなら何をすればいいのかと。
結論は一つ。
命令を破ることだ。シュタインもバーギアも自分よりは強い。それは認めている。自分が下に立つことにも納得している。
不満など無い。ただ興味が出てきたのだ。彼らの命令を無視すれば、オネスタを一思いに楽にしてやれば自分はどんな感情を持つのか。
「おい? テルト?」
テルトの仲間の一人が何か不穏な空気を感じ取った。
果たしてテルトが握った剣はオネスタの足を向いていただろうか。いや、それは、オネスタの心臓を狙っていた。
「待て!」
「よせ、テルト!」
彼の仲間が異変に気付き、テルトに静止を求める。彼らにとって目的は「オネスタの捕縛」であって殺すことではない。命令を遵守しなくても、反抗さえしなければ罰されることはない。だが、もし反抗すれば。
オネスタを殺そうとしているテルトを止めない理由はない。
だが止まる気はない。興奮に歪んだ笑みを浮かべ、テルトは剣を突き刺す想像をしている。オネスタの心臓に狙いを定めて。
周囲の人間は止めようと走り出すがもう遅い。それよりもテルトの方が早かった。
「死ね!」
オネスタは逃げられない。
それどころかクリオシタも巻き込まれかねない。
自分の力のなさをこれほど呪ったことはないだろう。自分にもっと力があれば、何でもできる、誰でも守れるくらいの力があればよかった。
ステラのように。
遠くで、自分を呼ぶ声がした。聞き慣れた声だ。誰よりも自分を助けてくれて、誰よりも力になってくれた。死ぬその瞬間に彼の声が聞けたのなら、少しは救われたと思った。クリオシタの事は守りたかったが、もうどうしようもない。
死を覚悟した時、自分を呼ぶ声はより鮮明に聞こえた。
「―――オネスタああああ!!!!」
その声を聞いて、オネスタの意識は浮き上がった。
はっきりと見た。ステラがテルトの向こう側にいる人の群れを飛び越えてきた。そう認識した直後に、テルトの全身が吹き飛んだ。
剣が明後日の方向に飛んでいった。それが落ちる音が聞こえるよりも前に、ステラが着地する音を聞いた。
「おい」
ステラが呟いた。聞いたことのないぐらい低く、威嚇のような唸り声だった。
一度、ステラがこちらを振り向き、すぐに視線を戻した。
それだけで彼はこの状況を理解した。
「オネスタに何してんだよてめえら!!」
少年は咆える。
答えるものはいない。
「こんなにぼろぼろになって……」
少年の拳が強く握られる。
能力も使っている。どれほど巨大な力が込められているのか、地面には血が滴っている。
彼の怒りは眼前の敵にではない。自分がいない間にこんなことになっていると言う事に、自分の助けが遅かったせいでオネスタをこんな目に合わせたこの状況に怒っている。
何より、この街が、オネスタが危機に瀕していることに気づきもしなかった自分自身に彼は憤っていた。
そして、最強の少年は大切な人を守るためにその力を振るう。