第三十五話 再起動
オネスタは崩れていく街の中を走った。
時々躓きかけるのはいつもよりも疲れていることを足が訴えているからだ。限界なんて通り越していた。もはや何のために逃げているのかわからない。
走っている途中に何度か人の死体らしきものがあった。それから目を逸らすようにしているのも耐えられなかった。
生きている影に気をつけながら南に進んでいると、やがて声が聞こえた。
「あんたがオネスタか?」
見知らぬ女だった。多分奴らの仲間なのだろう。オネスタはすでに疲労でへろへろになっていた。足取りも不確かで、むしろこの女が歩く速度よりも遅かった。
無視した。
武器を持っていることは見えた。だが、それがなんだと言うのだ。
「無視すんな!」
荒っぽい口調で女がオネスタの肩を掴んだ。女に引き寄せられ、オネスタは女と向かいあった。
「ふんふん」
女は注意深くオネスタを凝視し始めた。
「何の用ですか?」
はあ? と女が気の抜けた声を出した。
オネスタが自分でも愚問だと思ったぐらいだ。女はさぞ不思議に感じたのだろう。
「あんたを捕まえればお金がもらえんだよ。どうやら本人らしいな」
やはり目的はオネスタだ。
「……もういいよ」
「何だって?」
正直、オネスタは諦めていた。自分が誰なのか聞かれるのは何度目だ。自分の代わりに何人が犠牲になった。次は、誰を犠牲にするのか。
フランテロやソルレアは誰のせいで死んだ。ランスやカリーナは誰のために命を張った。自分は誰かのために何かをしたんだろうか。果たして、自分が助かる意味なんてあるのか?
「もう、疲れたから。誰の元にでも連れて行ってよ……」
「え? まじで? ラッキー。いやーあんた捕まえた人は他の人よりも報酬を高くするって聞いたからよかったよ。これでしばらくは楽して暮らせるわ」
女が馴れ馴れしくオネスタの肩を叩く。オネスタはそれを払う気にもなれなかった。
二人の元へ足音が聞こえてきた。
男が二人、異変を感じてこちらに近づいてきたのだ。
「おーい。お前ひょっとしてそいつがオネスタか?」
「そうだよー。あたしが捕まえたんだからね!」
女がオネスタの前に立ち、所有権を主張した。
「わかってるっての」
「あーあ。終わり終わり。早く帰ろうぜ」
「早い者勝ちだしな。仕方ない」
彼らの間で、こういう時の決め事と言うのがあるのだろう。それを破ろうと考える輩はいないらしい。
やれやれと彼らは中央広場の方に歩いて行く。その後を女はオネスタの手を引いてついて行く。
まるで楽しかったパーティーが終わった後のような様子だ。彼らのとっては、この焼けた街も、無残に転がっている人間も所詮遊びの範疇に過ぎなかったと言うことだ。
冗談じゃない。
遊びでこんなことになって、なぜ許せるだろうか。
そう思っているのに、抵抗しようと思えない。自分が暴れたところでまた犠牲者が出てしまう。ほとんどの人が街から脱出したと言っていたが、逃げられなくてまだ残っている人もいるはずだ。うまくやり過ごせたところを自分が、自分のために見つかってしまうようなことになるのは避けたかった。
黙ってついて行くオネスタは一つの声を聞いた。
「……ここ、どこだろう」
知っている声だ。後ろから聞こえた。
振り返ると、クリオシタが不安げな表情で辺りを見回している。寝ぼけているのかオネスタ達には気づいていない。
いつの間にか背中から落っことしていたのだ。近くには死んでいる人間もいた。クリオシタも同じだと勘違いされたのだ。
「クリオシタちゃん」
小さな金髪の少女とオネスタの目が合った。
そのおかげでオネスタは思いだした。なぜ自分が逃げるのか。自分がどうして頑張るのか。
「お、オネスタお姉ちゃん」
クリオシタは叫ぼうとしたが、見知らぬ人を見て不穏な空気を感じ取った。小さな声で名前を呼ぶだけにとどまった。
このままクリオシタを置いていいのか、自分に問うた。
クリオシタにとってこの街は来たばかりの街だ。自分はステラ、ジュスティスを除けばもはや他人しかいない。そんな彼女を平気で人を殺すような連中のいるここに置いておくのは危険だ。助けてくれる人もいないだろう。
「私は、何やってんの?」
オネスタが足を止めた。
「ねえ。止まるなよ」
腕は掴まれている。女がオネスタを睨む。
やるべきことは簡単だ。クリオシタを安全な場所まで連れて行く。逃げられなかったとしても、せめてクリオシタを守る。最初から自分はやっていたではないか。それを再確認するために余計に時間をとってしまった。
「やっぱり行けないや」
オネスタは呟いた。
女が何か言う前にオネスタは強く念じた。能力が発動するように。
「あああああああ!!!!」
閃光が炸裂した。
女はたまらずオネスタの手を払い目を覆った。カランカランと、剣が地面に落ちた。前を向いていた男が三人がこちらに振り返った。叫び声を聞いたからだろう。
クリオシタもこっちを見ていたのか巻き込まれて目を覆っていた。それは申し訳ないことだが、オネスタは少し嬉しくもあった。
自分が守りべき者はちゃんといるのだ。
「捕らえろ!」
男たちがオネスタに迫ってきた。
三人も敵がいる。これをピンチと言わず何だと言うのだ。だがオネスタは落ち着いていた。不自然なほどに自分が冷静になったことが理解できた。
男たちは同時に縦に並んで飛び込んできた。オネスタの能力対策だろう。そうすれば光を出しても最初の男がほとんど受け止めるだろう。
だからオネスタは煙を出した。
「くそっ!」
辺りに広がった煙は男たちの視界を奪い、オネスタのだけが明瞭な視界を保っていた。人数差は埋められた。
女が落とした剣を拾い、先頭にいる男の胴体を貫いた。力任せに剣を抜き取り、オネスタは前へ進んだ。まだ二人いる。
動揺したのか二人目の男は出鱈目に剣を振るっていた。正面からも、後ろからも近づけそうにない。
オネスタは迷わず走り出した。男の剣のリーチが届く直前に倒れこむように前に飛び出した。男の足元に潜り込み、そのまま剣を上に突き刺した。太ももの辺りに穴を開けた剣をそのまま前に振り切った。
あと一人だ。煙はまだ黒々としている。
「逃げてもいいんですよ」
最後の男は静かに佇んでいた。耳を集中させているのだろう。
「逃げる? それはお前のすることだろう?」
「そうですか」
オネスタはポケットから石を取り出した。能力を連動させる石だ。
それを男に向かって力強く投げた。
「そこか!」
投げた石は男の僅か右の地面に落ち、軽い音を鳴らした。オネスタの狙い通りに男は右へ動き、持っていた剣を振るった。
できた隙を狙い、オネスタは突っ込んだ。空振りした男は焦り、もう一度音に集中する。
もう一つ石を掴み、オネスタは投げる。今度は男の左の方に。
さっきと全く同じ音だ。男も罠だと分かっている。それでも無視できない。それがただの石ころである可能性が男はゼロだと確信できなかった。
そのために反応が遅れた。
オネスタは足を動かし男に向かう。
これが全力だ。オネスタのできる限りの抗いだ。
「うあああああ!!!!」
「おおおおおお!!!!」
最大限の力を放ちオネスタは剣を男に向かって投げた。それは男が振り回す剣を通り抜け、男の頭に突き刺さった。
男は倒れた。
「やった……」
オネスタは膝をついた。息が上がって、腕に力が入らない。当たり前だ。オネスタに剣で人の肉を切り裂くほどの筋肉など元からない。限界を超えた力を出せば、動かなくもなる。
まだ休憩している暇はない。辺りは血の海だ。それに加えて、内臓みたいなものまで転がっている。クリオシタにこの惨状は見せられない。
ぐらつく足を動かしてオネスタはクリオシタの元まで歩いた。
「あの、大丈夫、ですか?」
「大丈夫。行こっか」
心配の目を向けるクリオシタにオネスタは手を差し出した。クリオシタが握ってくれた手をオネスタは強く握り返し、二人は歩き始めた。
いつの間にか、さっきの女は居なくなっていた。
だが気にすることはない。オネスタはこの難局を乗り切ったのだ。