第三十四話 終わらない絶望
カリーナは安心していた。
カントネの中を半分ほど移動して、オネスタもクリオシタも自分自身も無傷で逃げられる可能性が出てきた。最大の難所だと考えていた中央広場につながる大通りもすんなりと通ることができた。
不自然なほどすんなりと。襲撃してきた奴らが何人いるのか、カリーナは知らない。
明確なことはわからないが破壊の規模から考えて五十人はいるだろうとカリーナは推測していた。予想通りなら、何人かはこの大通りを見張っていてもおかしくない。カリーナはそこまで考えるべきだった。
だが、ことが起きる寸前でカリーナはそのことが何となく頭に引っかかっていた。
だから、大通りを横切った最初の角の裏に男が待ち構えていたことに気づくことができた。
声を出した。しかしその声はオネスタには届かなかった。当たり前だ。カリーナが自身の能力を使っているのだから。オネスタは安心していたのか、気が緩んでいた。絶対に気づいていなかった。
それなら、カリーナのやることは一つだ。自分の身を挺してでも大切な友達を守る。
◆ ◆ ◆
後ろからの衝撃がカリーナによるものだと分かった。そんなことは彼女の肩から流れ出る血に比べれば些細なことだった。
(カリーナ!)
オネスタは叫んだ。もちろん声にはならない。
よろけるカリーナをオネスタは体で受け止めた。手はクリオシタを背負っているので使えない。
「お前がオネスタだな?」
男が低い声を出す。
(カリーナ! どうしよう。ごめんカリーナ。私を庇って……!!)
肩を押さえて苦しんでいるカリーナにオネスタは話しかける。押さえても流れ出る血が痛々しい。
慌てふためくオネスタの胸の辺りをカリーナは強く押した。手で追い払う素振りを見せた。カリーナは何かを言っていた。オネスタに訴えているのだ。
それはオネスタには聞こえないが、カリーナがどうして欲しいかがオネスタには痛いほどにわかってしまった。
つまり、「自分を置いて早く逃げろ」とカリーナは言っている。
「なんだ。こいつら?」
男が見ている光景はシュールだった。言われた通り逃げてきた女を切ってみたら、助け合いを見せられた。それはまだわかるが、なぜこいつらは一切喋らないんだと、それは理解できなかった。
悲劇が繰り広げられていると言うのに、これじゃあむしろそういうお笑いなのかと疑ってしまう。
男が呆気に取られていると、事態は動いた。
オネスタはすぐにわかった。カリーナを連れて逃げることは出来ないと。どうしようもないだろう。なんとかならないだろう。怪我人を二人も抱えていては全員が助からない。
そんなことをすぐに結論付ける自分が、オネスタは大嫌いだ。自分のために危険を冒したカリーナを見捨てるべきだと冷静に判断出来てしまう自分が気持ち悪い。
助けたいと言う気持ちもある。そういう風に行動しようとしても、無理だとわかる。
カリーナが自分を押し退けてくれたのはカリーナもわかっているからだろう。
「オネスタ、行って! 早く行って!」
とうとう立つことも出来ずにカリーナは床にへばった。いつの間にかカリーナの能力は途切れていた。
カリーナの言葉を聞いて、オネスタは動いた。逃げるのだ。この男から。
オネスタは振り返り地面を蹴って、カリーナのいるこの場所を後にした。
「おい待て! 逃げんじゃ―――」
逃げるオネスタを追おうと男は叫んだ。「逃げんじゃねえよ!」。そう叫んだはずが声は出ない。ああん、と違和感のある足元へ目をやると足首をカリーナが掴んでいた。これより一分間、男はいかなる音も出すことができない。援軍を呼ぶことも叶わない。
突然自分を襲った謎の現象に男は戸惑ったが、それがカリーナの能力だと言う事は男にも何となくわかった。
角を曲がってしまってオネスタとクリオシタはもう見えない。カリーナの行いは足止めだ。ならそれに応じてやるのが戦う相手としての礼儀だ。
男はそう判断したようだ。オネスタを捕らえることを命じられたが関係ない。限界必死の人間を切り捨てる快感だけは誰にも邪魔されたくない。
どこを切り落とそうか吟味して、項垂れるカリーナの頭に男は目を止めた。
納得したようにうなずき、下品な笑みを浮かべ男は刃をカリーナの頭上に構えた。
「はいストップ」
振り下ろそうとした刃を男は全力で止めた。腕の筋肉が吊るかと思ったが、それでも男はよかった。バーギアの命令に逆らうよりは。
「その子ね。中々よさげな能力持ってんだよ。だから殺すのは駄目だ」
「わかったよ。邪魔すんなよな」
「何か行ったか? テルト」
聞こえたか、とテルトと呼ばれた男は舌打ちをする。
「何でもありませんよ。バーギアさん」
それでも表立って逆らわないのはバーギアの方が力が上だと認めているからだ。
「で、そいつ。どうすんの?」
瀕死のカリーナに目をやってテルトは聞いた。
「持って帰るんだよ」
「その後は?」
「どうにかして従わせる」
「そんなに便利かねえ。音を消す能力」
テルトにしてみれば貧弱でくだらない力にしか思えなかった。
「おいおい。そんなことぐらいわかってもらわないとこっちも困る」
そう言ったバーギアはまったく困って居なさそうに笑う。
「……まあ。良からぬことに使うってことはわかるんだけどな」
彼らのトップはやはりバーギアだった。力では土を操る少年、シュタインの方が僅かに上だろう。純粋に力もそうだが、バーギアの得意とすることは作戦や計画だ。
そのバーギアが笑っているのだ。多少の想像はつく。
「音を消すんだろ? こんなに金持ってるカスを殺すのに向いてる力はないとは思わない?」
「……はあ」
心底嬉しそうなバーギアの表情を見てテルトは息を吐いた。
「やっぱバーギアさんは最高だな」
「わかってることを言うんじゃない。恥ずかしいだろ」
ならもっと恥ずかしそうにしろ、とテルトは心の中でツッコんだ。
「ま、後は他の奴とシュタインに任せれば問題ないだろ。ステラもいないことだしな」
彼らは、一週間前から機会をうかがっていた。カントネから一時間ほど離れた場所にある森の中で潜んでいた。その場所から、シュタインによって監視されていた。そして今日、ステラがカントネから出たタイミングで動き出した。
「俺はオネスタを追ってもいいか?」
「いいけど。殺すなよ?」
「了解」
そう言い残してテルトは走り去っていった。
「ほんとにわかってんのかね。あいつは」
宝石を見つけた冒険家のような目をしていたテルトはバーギアの頭を悩ませる。
「さて、あんた。まだ死んでないよな?」
地べたに寝転がるカリーナの肩からはまだ血が流れている。
バーギアは悩んだ。カリーナを持って帰るとして、やはり背負うのが一番だろう。そこで問題が起こる。バーギアの服装は白を基調としたものだった。カリーナのいる場所にはすでに小さな血の海が出来ている。これでは血で服が汚れてしまう。
困ったバーギアは血を落とすことにした。
バーギアは横に腕を上げた。それに反応して、バーギアの肩から巨大な植物が姿を現した。何か動物のような形の植物は、中央にあった花弁を開き、その中から大量の綿を生成した。
腕を振るうと植物がカリーナの全身を綿で覆った。生きているように動いた綿がカリーナから離れると、血の池もカリーナの傷も塞がっていた。傷には綿が詰められていた。
「服は……もういい。脱がすか」
血の流れは止めたが服に染み付いた血はどうしても取れない。
さらに腕を動かして植物はそれに従った。血の付いた綿を吐き出し、花弁の底から新たな綿を出した。
カリーナを喰うようににして花弁が覆い、ぐずぐずと蠢いた。やがて植物が離れると、一糸まとわぬ姿のカリーナが地べたに寝転がっていた。
「これでいいな」
バーギアは一切同情しなかった。