第三十一話 助かるためにできること
少年は余裕の表情を崩さない。
「……ぐっ。あああ……」
ランスは困惑した。感じている痛みがあまりに突然だったからだ。
朦朧とする頭を押さえ、原因の解明を急ぐ。
そして自分の頭から流れているものと同じ液体が付いた岩石を見つけランスは理解した。
(まいったな。勝てねえ)
ランスはすぐに決めた。逃げようと。
槍を構え、司祭姿の少年目掛けて全力投げた。ほぼ自動的に反応した土の壁により槍は止められた。少年は止めた槍を土の壁から受け取った。少年は槍を興味深そうに眺めすぐに投げ捨てた。
その隙にランスはオネスタを背中の乗せ、クリオシタを抱えて走った。
「オネスタちゃん! 無事か!?」
「生きてます」
痛む体を堪えてオネスタは応える。
「なら能力使ってくれ! 目くらまし!」
「今は出来ません……」
「なんで?」
「その、なんというか……」
オネスタは言い淀んだ。
彼女は原因がわからなかった。説明できないのだ。
オネスタの状態を察してランスは質問を変えた。
「わかった。なら走れるか?」
「走れます」
「よしじゃあ降ろす―――」
ガクンとランスの体が前に崩れる。
左足に土が絡まって動けなくなっているのだ。少年の能力だろう。
「何だよこれ」
「逃がすわけないじゃん」
少年はゆっくりと歩き二人に近づく。
彼の周りでは土の柱のようなものが取り囲んでいた。
「逃げるんだよ」
ランスは左足を固めている土を右足で蹴り砕いた。飛び散った土の塊を掴んで少年に投げつける。
それは真っ直ぐに少年の方に向かい、柱の一つが変形し土の壁で受け止められた。
さっきの槍と同様、一瞬ではあるが視覚を奪えた。
「行くぞオネスタちゃん!」
走るランスにオネスタは続き、カントネの方に向かう。
「だから逃げられないんだって」
少年が目を向けると、地面がそれに応じて動いた。
それを見たランスはオネスタを抱えて、地を飛んだ。直後、二人がいたところに土が盛り上がった。
「二回はねえよ」
冷や汗を流し、ランスは前を向き直し、立ち止まった。
目の前に巨大な壁が出来上がっていたからだ。
「嘘だろ……」
ランスは壁を思い切り殴ったが、壊れた箇所はすぐに修復された。。飛び越えられる高さでもない。完全に追い詰められた。
「オネスタちゃん。ステラ君はどこにいるんだ?」
「トライストに行ってます」
彼は今、クリオシタの母親と友達を探しに行っている。
「こんな時に何やってんだ」
イラついたようにランスは吐き捨てる。
土の壁は全方向は包囲していない。少年のいる方向はまだ空いている。完全に逃げ道を閉じる必要がないからだろう。二人を追いかけることは少年にとっては遊びのようなものだ。面白ければいい。抵抗する様を見て楽しんでいるのだろう。
そこに隙ができる。
「俺が時間を稼ぐ。オネスタちゃんはこの子を連れて逃げてくれ」
「でも……」
勝てる相手じゃない。戦いになるかもすら疑問だ。
「死にゃしないから安心しろって」
ランスは笑った。こんな状況だと言うのに。
彼自身も勝てないことはわかっているだろう。まず、間違いなく死ぬ。それを理解したうえで、安心しろと彼は言ったのだ。
その覚悟をオネスタが否定できるだろうか。
「わかりました」
オネスタはクリオシタを預かり走る準備をした。
いよいよ少年は数メートルの所にまで来ていた。
「もう終わり?」
「行くぞ! オネスタちゃん!」
二人は走り出した。ランスは少年に向かって。オネスタは壁と少年の間にある抜け道へ。
随分迷惑をかけてとオネスタは思った。
ランスは、ここに来たのは偶然だったのかもしれない。逃げている途中にオネスタを見つけたのか、それとも誰かに言われて来たのか。
オネスタが知ることはないが、市債姿の少年に出会っていなければ、ランスは無事に生きていたかもしれない。まだ死んではいないが。
そう考えていると、オネスタは冷静を取り戻していた。
一度、少年の方に振り向き睨みつけた。少年は自分よりも年下に見える。子供だ。でも今は敵だ。
オネスタは憎しみを込めて強く念じた。
(お願い。出てきて!)
煙が当たりを覆い、ランスと少年の視界を黒く染める。
オネスタの精一杯に助力だった。今できるのはこれが限界だろう。オネスタはカントネの方に走った。
(ランスさん。ごめんなさい)
ランスは驚き、だが気にせず突っ込んだ。少年の位置は把握している。見えなくともそっちに向かって突っ込めばいいだけだ。
勘に頼りランスは少年の後ろにまで回り込んだ。拳を振りかぶり、一歩二歩助走をつけそして全力で殴りかかった。
「おおおおおおおおおおお!!!!!」
煙をかき分け、ランスは少年の姿を捉えた。
鈍い音が耳に入る。だが感触には違和感があった。
ランスの拳は少年には届いていなかった。少年を卵のように覆った土の壁によって阻まれていたのだ。
「どこから来るかわからなくてもさあ、全方向を防御してれば何にも怖くないんだよねえ」
煙で見えないが多分少年は笑っている。
僅かにへこんだ壁をランスはもう一度殴った。何度も、何度も。
「何がしたいのさ」
少年はランスのいる方を眺めている。
徐々に壁は割れていき。ランスの拳が血だらけに染まってようやく壁は破れた。
「もう届くぞ」
少年の目が驚きに染まる。
道具も能力も使わずに壁を破ったのはすごい。さっきの壁よりも薄い壁だがすごいと思った。
ランスがしたことを見て、少年は疲れたように呟いた。
「何がしたいのさ」
つまらないと言わんばかりに少年が指を鳴らすと彼を覆っていた土の壁が動き始めた。ランスとの間の壁は動かさないままに、土は無数の槍を形作った。
ランスは逃げの姿勢をとった。すぐに少年から離れ、次の攻撃に備えようと構えてたところで、最初の槍がランスの右足のふくらはぎに刺さった。
激痛を感じ、ランスは地に倒れる。
二本目の槍がランスの左足の太ももを貫いた。これで走って逃げることは叶わなくなった。腕を動かそうとしたところで三本目の槍がそれを食い止めた。四本目の槍はもう片方の腕を地面に固定した。
うつぶせに倒れたランスの目に刺された槍が映る。なんの皮肉か。その槍はランスの槍と同じ形をしていた。他の槍も全部そうだった。
「自分の武器に殺される気分ってのはどう?」
少年は静かに笑った。
「……」
ランスは答えない。
「なんか言ってよ。面白くないよ」
五本目の槍がランスの心臓を貫いた。
◆ ◆ ◆
カントネの光景には既視感があった。
建物は焼け落ち、そこら中に石やら木片やらが飛散している。焦げたようなにおいがオネスタの鼻にまとわりつく。立ち上がっている煙は自分の能力の煙よりも凶悪なものだろう。街灯はほとんどが割れている。オネスタの知っているお店の服が焼け爛れて地面に落ちていた。
これは、オネスタが経験したことよりも酷い光景だ。
絶対に、二度と見たくないものがそこにあった。
(みんな。みんなは無事でいるよね)
ジュスティスやカリーナ。カヴァールや騎士の人たち、他の住人の人たち。オネスタはまだ誰一人ともあっていない。
背中のクリオシタを揺さぶってちゃんといることを確認する。正直オネスタに他の人を助ける余力はない。クリオシタと一緒に逃げるだけで限界だ。
逃げるためにも武器がいる。今のままではクリオシタすら逃がせないだろう。
ステラの家にはオネスタの石がいくつか置いてある。それがあれば多少はましになる。ランスが稼いだ時間は、逃走のための準備に使う。