第三十話 強大な敵
人が刺されて死ぬときは出血多量が主な原因だ。刺した後に凶器を刺し傷から抜いた時に大量の血液が流れ出るため、助けるためにはあえて抜かない場合もある。
目の前で地面に潰れる男の左胸にはナイフはない。オネスタが抜いたからだ。
たとえ、二人を殺されたといえど、この男だって人なのだ。出来ることなら苦しませずに死なせてやりたい。
「なわけあるか。死ね」
オネスタ言葉を吐き捨てる。そうすることで胸の中の黒い異物を取り除きたい。
だがそれもうまくいかない。
自分が何をするべきなのかオネスタは見失っていた。守れない自分が何をしても無駄なんじゃないか。そういった無力感がオネスタの思考を衰えさせた。
すぐそばから、小さな呼吸が聞こえた。そこにはクリオシタがいた。背中から降ろしたせいで随分きつい体勢になっている。
(そうだ。守るものなら。まだあるんだ)
オネスタはもう一度決意する。ギリギリ自分を保つために。持ちこたえるために。
今度こそ守りたいものを守るために。
でも自分だけの力では足りない。どうしようもなかった。自分の武器である能力も発動してくれなかった。オネスタの能力は彼女の心の状態で大きく左右される。急な事態に動転してしまったのだろう。
助けを求めるためにオネスタはカントネに戻る。クリオシタをもう一度背中に乗せて。ソルレアとフランテロを残して。
後ろから足音がした。二つ気配を感じた。
何となく、これは敵だと感じた。ゆっくりと後ろ振り向くと、さっきの男と同じような武器を持った男が二人いた。さっきの男の仲間だろう。
「ふざけんな……」
脚を前に進めた。
やつらは仲間の死体を眺めて笑っていた。心の底から楽しんで笑っていた。腹がねじ切れるまで笑っていた。
もしかしたらこの騒動はただのエンターテインメントなのかもしれない。彼らにとってはそうでも、巻きこまれたこっちはどうなんだ? ふざけんな、とオネスタはもう一度呟く。
「よおよお姉ちゃん。お急ぎの所悪いが。ちょっといいかい?」
「つーか、遊ぼうぜ。背中のガキは置いてけよ」
居酒屋のナンパよりも軽い口調で男たちは話す。
オネスタは無視して進んだ。
「ああ? 無視かよ」
「つまんねーぞおい!」
男の片割れが勢いよくオネスタの足を引っかけた。
体が一瞬宙に浮き、オネスタはバランスを崩した。上半身を使い何とか横に倒れて受け身を取った。
クリオシタへの衝撃は抑えられたはずだ。その分オネスタに痛みは集中している。
頬が雑草や小石で傷つき、膝の皿が擦りむいた。
「なあ。質問したいんだがいいか?」
「オネスタってやつを探してんだけどよ。あんた知らねえか?」
また、自分だ。
「オネスタがどうかしたんですか……?」
男達は顔を見合わせて、それから面倒くさそうに言った。
「あんたに言う義理はねえ。まあ、死んどけ」
現実を一枚の紙として保存する―――いわゆる写真と言われるものはソプラ国にはない。
彼女が誰なのか、「オネスタ」がどんな姿形をしているか彼らは知らない。
だから彼らは容赦しない。持っている剣を適当に構えて、
「あばよ」
おそらく自分は刺されたと思った。能力も発動しないし、ろくに動くことも出来ない。クリオシタは気絶したままでどうやっても逃げることは出来ない。
それでも手足を止めなかったのはまだあきらめていなかったからだ。
時期に来る痛みに耐えるため、歯を食いしばっていた。
「ぐっ、あああああ!!」
叫び声に驚きオネスタは男の方を向いた。
見ると、男の右手首が地面に落ちていた。もう一人の男は呆気に取られていて動けないでいる。二人の男とオネスタの間に立っていたのは長く鋭い槍を持ったランスだった。
何があったか見ていたわけではない。周囲の状況を見て、自分が間に合わなかったことを彼は悟る。槍に付着した血を振り払い彼は言った。
「ぶっ殺す」
ランスは槍を構え、そのまま前に突いた。狙ったのはすでに右手首が無いほうの男。心臓を狙った槍は間一髪でもう一人の男に防がれた。
ガギン、という金属音が響き、ランスの槍は大きく弾かれる。隙のできたランスの胸元に男二人が追い打ちをかける。
咄嗟に槍の柄でランスは対応した。剣を持っている方の腕を叩き男をひるませ、続けてもう一人の右手首がないほうの男の顔を殴り剣を避けた。
容赦なく彼は槍を振るった。
無言のままにランスは手首のない男の心臓を刺した。
もう一人の男が剣を掲げたのでそれを蹴飛ばし、刺さった槍を引き抜いた。赤黒い血液が流れ、男は血を吐いて倒れた。
「お前ら。何なんだよ……」
一人仕留めたのにランスの顔には余裕がない。
「は? 何が?」
対して男は仲間を二人もやられて少し苛立っている。
「いきなりここに現れやがって。もう何人も死んだよ。俺たちが何かしたって言うのか……?」
悲痛な声だった。
「オネスタを出せっつってんだ」
「オネスタ……を?」
ランスの視線が僅かにオネスタに向かう。
「知ってるか? なんでもそいつはよ。金持ちの親族なんだと。で、そいつらが全員死んで残ったオネスタに金が回るんだ。大量の金さ。そこで、俺たちが貰ってやろうと言う事になった。」
「金だと?」
「ああ。貴族がたんまり貯めた金だ。そいつを受け取るには生きたオネスタがいるんだってよ。本人が正式な場で指印を押さないといけないとかなんとか。詳しくは知らねえがな」
「それを俺に言っていいのかよ」
「どうせ死ぬんだ。かまいやしねえ」
決着はすぐに着いた。
何か作戦でもあったのか、仲間の剣を拾おうとした男の首をただぶった切った。それだけで男は動かなくなった。
「ふう」
一つ息をついて、ランスはオネスタの元に近寄った。
「大丈夫だったか? ってどう見ても無事じゃねえか」
「いえ、ありがとうございます」
オネスタはランスの手を取り立ち上がった。
彼の手は暖かく、そして大きかった。自分よりも大きく、頼りになる人が助けてくれた。
オネスタは安心した。街の方がどうなっているかはわからないが、自分の味方に出会えた。それだけでオネスタは嬉しかった。
「助かったところ悪いけど」
オネスタは何も言っていない。ランスの声でもない。
声のした方を見ればそこには少年が立っていた。少年はフードを深くかぶり、司祭のような恰好をしていた。
「あんたがオネスタだね?」
ランスには能力がない。騎士団に入る者には能力がある者が少なからずいる。そう言った者はほとんどが出世していく。無能力よりも戦闘力が高いからだ。その中で、彼は槍一本で生きてきた。カントネという小さな世界の中だったが、その実力は仲間からは高く買われていた。事実、不意打ちとはいえ彼は謎の男二人を無傷で屠った。
そのランスが槍を構えたときにはもう手遅れだった。
「遅いなあ」
少年は腕を水平に上げ、人差し指を横に振った。
ランスは何事だと困惑した。
ゴン、と言う鈍い音がオネスタは聞いた。それは飛んできた岩石がランスの頭を叩いた音だった。