第二十九話 絶望は突然やってくる
すでに始まっていた。
オネスタは切り株の横を通り過ぎて走った。今はかくれんぼ中だ。あの何かの破壊音は他の三人にも聞こえているはずだ。しかし二人は気にせず隠れているだろう。むしろより深くに隠れてしまったかもしれない。だが、ソルレアは違う。探す方に回っている彼女なら、
「いた! ソルレア!」
オネスタの予想通り、ソルレアはいた。森の中で暢気に歩いていた。さっきの音はおそらく建物か何かが崩れた音だ。爆発の音はなかったので使わなくなった建物の解体作業かもしれない。なんて、希望的観測をオネスタは捨てきれていなかった。
「よかった。ソルレアは無事みたいだね」
ソルレアの全体を見ても傷らしいものは何一つない。血も流れていないしそもそもソルレアは何が起きたのかすら判断出来ていないみたいだ。
「おねすたー。さっきの音って……」
「わからない。でもソルレアは私がきっと守るから」
「う、うん」
ソルレアはオネスタが言ったことも理解していないだろう。だがそんなことは関係ない。これから起きる事態に向けてオネスタが決めたことは、誰にも知られる必要はない。自分自身が知っていればいい。
「とにかく、私から離れないでね」
後はフランテロとクリオシタだ。二人は完全にどこにいるかわからない。
森の中を探そうと一歩踏み出した時だった。
「―――えちゃん! 助けて!」
クリオシタの声だった。その直後に、街から再び轟音が聞こえた。今度は鈍い爆発音も聞こえた。街から火が上がっている。悲鳴すらも聞こえた来た。
街かクリオシタか迷うことはなかった。
森の奥に進み、オネスタはクリオシタの声のした方へ向かった。
かくれんぼの範囲はいつもそんなに広くないようにしている。最初にいた場所から大体百メートルくらい。それでも広いと思うが今までそれで迷子になったことはないので特に気にしていなかった。
それが今、距離として大きな足かせとなっている。
「クリオシタちゃん!」
永遠かと思った時間はやがて終わりを告げる。幸いにも、数十秒走ったところでクリオシタを見つけることができた。クリオシタはおぼつかない足取りでふらふらと走っている。彼女は何かから逃げているらしいがそいつは見当たらない。
全力で走ったせいかオネスタの息は切れている。
「お姉ちゃん!」
オネスタに気づくとクリオシタはすぐに駆け寄ってきた。怖い思いをしたに違いない。それは目元の雫を見ればすぐにわかった。
小さな体を抱き上げて、オネスタの無事を確認する。とりあえず怪我はしてなさそうだ。
「クリオシタちゃん。何があったの?」
腕の中で震えるクリオシタにこんな言葉しかかけられない自分に腹が立つ。全て任せて安心しろと言うのは簡単だ。でもオネスタにはそれを全うできる自信がない。ちょっと訓練してステラと一緒に仕事をこなした程度では足りない。
「知らない人が、追いかけてきた……」
周りを見てもそれらしい人はいない。その人物は大人に違いない。子供のクリオシタを見失うだろうか。不自然だがいないのなら好都合だ。
「わかった。ソルレア、とりあえず村に戻る―――」
ようやくオネスタは気づいた。ソルレアがいない。どこにも、どこを見てもいない。はぐれた。十数秒しか走っていないのに。オネスタは全力で走った。脚力の差は年齢の分あるとはいえはぐれるまで走ってはいない。
最悪だ。フランテロも見つかってない。
オネスタはすぐに足を動かして森の中を探す。背中にクリオシタを乗せているのでさっきよりも遅い。気を失った人間の重さをオネスタは再確認してしまった。
まだ昼だと言うのに街の方は騒がしい。人の悲鳴がオネスタの耳に刺さる。建物が倒壊する音や、地響きを肌で感じた。
言いようのない恐怖感を抑え込んで森の中を探しているとオネスタはソルレアを見つけた。ソルレアは後ろを向いていた。
「ソルレア!! ごめんはぐれた早く―――」
言葉に詰まった。誰かがソルレアと向かい合う形で立っていた。
「おね、すたあ」
泣いている。
怖いんだろう。
急いでいるのにうまく足が動かない。もう体力が限界に近い。いつもなら数秒で届くはずの距離が遠い。
「ソルレアから離れろよ!」
焦りは言葉に出る。
誰かのシルエットはだんだん鮮明になり、若い男だと言う事が分かった。大柄で、凶悪な顔をした男。そいつの右手には物騒な短剣が握られていた。
男はオネスタを一瞥すると口角を吊り上げる。笑ったのだ。
クリオシタを一度降ろそうかと考えた。だが、またはぐれるのでは? と思いとどまる。
オネスタにはもう一度手放すことなんてできなかった。
「まあ。運命を恨め」
男の右手が上がる。短剣が光に反射してオネスタの目が眩む。
振り下げられる直前だった。オネスタの目にフランテロが映った。木の上からだった。多分ずっと隠れていたのだろう。
飛び降りたフランテロは男の顔面を重力のままに足の裏で蹴飛ばした。
「うおえ!!」
男は地面に背中と尻を地面につけた。
「ソル! 急いで逃げるぞ! 立って!」
フランテロは手を伸ばす。ソルレアは手を握り足に力を入れる。だが、
「おにいちゃん。ソルレア、たてない……」
「何言ってんだ! 早くしろって!」
フランテロの手は震えていた。何となく、お兄ちゃんも怖がっていることはソルレアにもわかった。早く逃げないとダメなような気もしている。だけど、足に力が入らない。
言っている間に、男は立ち上がる。
「ああ。やってくれたよなクソガキ」
頭の蹴られた部分を左手で押さえ、ゆらりと二人の前に立ちふさがる。
オネスタはまだ届かない。
「どのみち殺すつもりだったがよ。お前からにしてやるよ」
右手が下った。
オネスタは、赤い液体が飛び散るのを見た。オネスタは、料理の時ステラがやっていたような肉を叩く音を聞いた。オネスタは、フランテロの頭がつぶれるのを見た。
「やめろって! お前! おい、おい!」
ソルレアの目から涙が溢れている。現実を受け止めきれていない。なのにしゃくりあげて止まらない。オネスタは、ソルレアの泣いた声を聞いた。
後、数メートルだった。
「オネ―――」
言葉は途切れた。
オネスタの顔に何か硬い物がぶつかった。何だろうと自然と目が移した。怪我をしてわけでもないのに、左目か右目が赤く染まって焦点がぶれてしまっている。服の袖で目を拭って、よく見てみると、それはソルレアの頭だった。
膝が崩れた。
体力なんてもうなかった。でも、気力だけで、守りたいと思う気持ちで前に進んでいた。それが破壊された。
オネスタの足元に石が転がった。ソルレアの持っていた石。夜になると光る不思議な石。
「こんな時に渡されても嬉しくないよ、ソル」
ポケットにしまった。
「あんたよお。オネスタってやつ知らねえか?」
男が尋ねる。二人をその手で殺しておいて、道でも尋ねるようにごく自然に振舞う。
「私が、オネスタだよ」
「そうか。後ろのガキはいらねえから置いていけ」
直後、オネスタの能力が発動した。
(クリオシタちゃんだけでも守る。今、自分の手の届く場所にいるこの子は傷つけさせない。)
網膜を焼き尽くすほどの光を放ち、男は呻き声を上げて両目を覆う。
オネスタはクリオシタを背中から降ろし、男の右手から離れた短剣を拾った。
そして、男の左胸を刺した。