第二十七話 本を読む少女と男
真っ直ぐジュスティスの家に向かうつもりだった。オネスタは家から出る時にクリオシタが読んでいた本と、邪魔にならない程度のお金を持って出てきた。それが間違いだったのではと、今になって気づいてしまった。
「オネスタお姉ちゃん! クリオシタ、あれが欲しいー!」
家の外で手を振っていたのはオネスタに早く来て欲しかったから。それは間違いじゃなかった。ただ、その時のクリオシタは本とは別のことに興味を持っていた。
優しそうなおばさんが朝から野菜や果物を店頭に並べているのをクリオシタは発見していたのだ。朝早いためほとんどの店はまだ閉まっているが、もちろん開いている店もある。
オネスタがおまたせと近くまで行くと、かなりの距離があったはずなのにどうやって発見したのか露店まで一直線に走っていった。
「さっき朝ごはん食べたじゃん……」
オネスタが苦言を呈するもクリオシタは聞こうとしない。やいやいやいやい果物よこせと彼女の欲望は収まる気配はない。
一応外食費としてお金は持ってきたのだが、嗜好品のために払うつもりは一切ない。クリオシタの願いを無視してジュスティスの家に行って本を読ませてみたら自然と収まるだろうか。
悩んだ末にオネスタは、
「その赤いやつと青いやつください……」
「まいどあり。オネスタちゃんも大変ね。その子親戚か何か?」
オネスタの出自は一部の人を除いて秘密にしている。聞かれることはまずないし、聞かれればステラの親戚とだけ答えるようにしている。二人の見た目はまったく似ていないが、可能性として一番高いのは親戚だ。
「そんな感じです」
事細かに説明するわけにもいかないので適当にごまかすことにした。
いくらかの小銭と果物を好感しておばさんと別れを告げた。
「はい。どうぞ」
「やったー!」
赤い果物を渡すとクリオシタは喜んだ。そのまま齧りつくと甘味に打ち震えた。垂れた汁を慌てて拭う姿が可愛らしくて買ってよかったとオネスタは思った。
もう一つ買った果物は自分が頂くことにした。
朝の街はやはり静かで、二人のシャキシャキと言う咀嚼音がオネスタの耳に集中する。カントネの街が活気づく時間まではまだ早い。昼にもなっていない今の時間に外から街に誰かが来れば人が住んでいないのかと困惑することだろう。
果物を食べていくと最後に残るのは芯の部分だ。オネスタは気にせず食べてしまうがクリオシタはそうもいかなかった。なにしろ年齢がまだ四歳ほどなので硬い物は食べられない。特にクリオシタが食べていた果物は硬い物だったようで、とうとう食べることができなかった。その辺に捨てるわけにもいかないので抵抗感はあったがオネスタはそれも食べることにした。他人の唾液が混ざってると考えると絶対に食べられない気がしたので無心で口の中に放り込んだ。ほんのり暖かく、硬いのに所々柔らかい妙な食感がした。
曲がり角をいくつか曲がったところで、ようやくジュスティスの家に着いた。
「ここがジュスティスさんの家だよ」
「おおー」
手を鳴らしてクリオシタは感動を表現する。
オネスタが扉を叩くと「ういー」と間抜けな声が家から聞こえてきた。起きているみたいだ。
「私です。オネスタです」
靴が床を鳴らす音が聞こえ、数秒すると扉は開いた。
「よお。昨日はどうだった―――ってあれ?」
オネスタの後ろにいる少女の存在に気づきジュスティスは首を伸ばした。オネスタが半身ずらすとジュスティスとクリオシタの視線が交錯した。
クリオシタはサッとオネスタの後ろに隠れてジュスティスを警戒している。オネスタやステラとは違いジュスティスは年齢がかなり離れている。見た目も立派(?)な大人と言えるような見た目となっている。少し距離感があっても仕方がない。
「なんかビビられてるみたいだな」
「ビビってなんかないです!」
どうみてもビビってるだろと二人は思ったが口には出さない。
口には出さない代わりにジュスティスは大きく腕を広げて脅かすそぶりを見せた。さらにオネスタの後ろに隠れるクリオシタを見て、ジュスティスはなぜか満足気だった。
「大人気ないですよ」
「わるいわるい。で、何の用だ? こんな朝早くから」
全く謝る気のない謝り方だった。
「本を探してるんです」
睨みをきかすクリオシタに代わりオネスタが答える。
「へえ。どんな本が欲しいんだ?」
家の大きさから考えてどんなジャンルの本でも何でもござれと言うわけでもない。
「歴史に関することです。この国の、でいいよね?」
「……はい」
「そういうことなんで、何かないですか?」
オネスタが注文を出すとジュスティスは数秒悩んだ。
「あるさ。中入れ」
そう言ってジュスティスは二人を家の中に招き入れた。家の中は相変わらずでいろいろなものが散乱していた。
ジュスティスは部屋の奥の方にあった本棚から二冊本を取り出すとクリオシタに渡した。受け取る瞬間までクリオシタは拒絶的だった。本を手に入れると一目散にオネスタの後ろに逃げた。結局クリオシタはジュスティスに心を開きそうはない。
「あの娘さんはそんなに歴史に興味がおありなのか?」
「あるんです。駄目ですか?」
「駄目とは言わんが、こんな子供が興味を持つなんて珍しいと思っただけだ」
「まあ、そうかもしれませんね」
「その本も歴史の本か?」
オネスタの持っていた本を指差しジュスティスは尋ねた。
「そうですよ。読んでみます?」
「そうしよう」
二人が本を読み始めたことでオネスタは完全に手持ち無沙汰になった。興味のある本でも借りればいいのだがなぜか気分が乗らなかった。ちなみに興味があるのは料理に関する本だ。
何度か紙が擦れる音を聞くとオネスタは外に出た。案外二人は言葉がないほうがうまくいくのかもしれない。
やることが無くなったオネスタは仕方がないので空を眺めていることにした。大量の雲は昨日の雨を思い出させる。あれだけ雨に打たれて布団で寝込んでいない自分が正直信じられなかった。
(まあ。濡れたから必ず風邪をひくってわけじゃないってことかな)
どれぐらい時間が経っただろうか。一時間か二時間か、通りすがりの顔見知りとこんにちはーと挨拶を交わし続けているといつの間にかお昼時を過ぎていた。
オネスタは家の中に顔を出すとクリオシタが気づいたようで、本を閉じてオネスタの方に足取り軽く近寄った。
「もう帰るの?」
「帰りはしないけどいったんお昼ご飯食べよっか」
「クリオシタもお腹減ってたかも」
言われてからクリオシタは自分のお腹を触り減り具合を確かめる。返事をするように彼女のお腹の虫が鳴いた。
「あはは。何か食べたいものはある?」
「何でも食べれる!」
「んーじゃあどこでもいっか」
「どこでもいいです!」
どこにしようか悩み一番初めにパッと頭に浮かんだ店に行くことに決めた。ジュスティスに挨拶をしておこうとオネスタは一度開いたドアの前に立った。
「ジュスティスさん。ちょっとお昼ご飯食べてきますね」
気の抜けた返事を待つが返ってこない。
「よければ一緒に来ますかー?」
聞こえてないのかもしれない今度は大きめの声で呼びかける。しかしやはり返ってこない。どうしたのかと中まで進み、ジュスティスの元まで様子を見に行った。
彼は変な装飾のついた木の椅子に座っていた。そこでさっき貸した本を読んでいる。真剣な、いやそれどころかもの凄い剣幕で。
「ジュスティスさん。私達お昼ご飯食べに行きますね」
「……え? あ、ああ。行ってこい」
ようやく反応したが彼は酷く動揺しているようだ。
ジュスティスはステラとオネスタの師匠だ。能力に関することを教えてもらった。生活面はどうか知らないが年が一回り上だと言う事もありオネスタはジュスティスを頼りにしている。だから気にしなくてもいいだろうとオネスタは思った。
そのまま外に出て行くところで、
「なあ、この本はどこで手に入れた?」
「ステラの家にありましたよ」
「いつから」
「少なくとも始めて私がステラの家に入ったよりも後です」
本はいつの間にかあった。クリオシタが起きる前に目をふらふらしていると、最初に家に招かれた日に一瞬だけ遊んだ双六の上に発見した。元々はなかったはずだ。
「そうか。わかったもういいぞ」
「はあ」
オネスタは釈然としないままジュスティスの家出た。
待っていたクリオシタを連れて近くにあった料理店に入った。近くと言っても五分ほど歩いたのでクリオシタは少し疲れたようだ。
午後の予定は決まっている。クリオシタをソルレア、フランテロに会わせることだ。ステラがまだ時間がかかるだろう。その間何もしないと言うのも気が引けるので友達作りの仲介ぐらいはしてあげようと思った。
「お昼セットを二人分お願い」
「はいよ」
顔なじみの女店長に注文を済ませ、十分ほどで料理は卓の上に用意された。
オネスタには大人用、クリオシタには子供用の料理が前にあった。適当な注文にもかかわらずこういった気遣いをしてくれるのでオネスタはこの店が気に入っている。
二人で両手を合わせ、オネスタはクリオシタが美味しそうに料理をほおばる姿を見て少し不安になった。
多分この子、全部食べられないんだろうなあ。