第二十五話 判明する少女の正体
食事中、妙にステラの顔が険しくなっていることはオネスタも気づいていた。それでいて料理はしっかり食べているのだから、そのギャップに笑ってしまいそうになるのを何とか耐えた。
落ち着いて考えを巡らせると、ステラの表情に見覚えがあった。それは仕事の時だ。大猿、ゴウジュウキヒや昨日のクアレオンと接触する前にしていた表情だった。こういう時は何かを真剣に考えている時だ。オネスタは邪魔をしないように静かにすることにした。
それから数分して、ステラの作った料理を堪能し終えたオネスタは、最後に両手を合わせて締めようとした。
しかしそれは伸ばしたステラの手によって憚られた。ステラはもう一歩の手の人差し指を口元に当てオネスタに静止を促していた。じっと隣の部屋、女の子が寝ているはずの部屋の扉を見て身動ぎしない。
一度だけオネスタの方を見て、声には出していないが、動くなと言われたことをオネスタは理解した。ステラは音を立てないようにすり足で扉まで近づく。
ステラは冷静に能力を使っていた。オネスタへの忠告は彼がずっと考えていたことで、間違ったことは言っていないつもりだ。オネスタの置かれたソプラ国での地位は富豪一家の財産を受け継いだことで受け継ぐ前よりもずっと高くなっている。油断しないに越したことはない。
隣の部屋で寝ているはずの女の子でさえ疑えと言うのは極論だが、何となく気になり、能力を使い聴力を強化してみた次第だ。
すると、扉のすぐ向こうに人の気配を感じた。寝ているはずの女の子を除けば誰もいないはずの部屋からだ。謎の人物は聞き耳を立てることに集中しているのか身動ぎ一つしていない。そのせいで人物像が全く浮かび上がってこない。男か女か、年寄か若者かその一切が、だ。
ステラは音が鳴らないようにドアノブに手をかけ、オネスタに目をやるとゆっくり扉を開いた。
「うわ!」
少し開いたところで扉の向こうから声が聞こえた。小さな女の子の声だった。ステラの手に扉が何かにぶつかった感触がしたので、おそらく頭かどこかをぶつけたのだろう。
ステラはオネスタと顔を見合わせ、もう一度扉を押した。今度は引っかかることなくすんなりと開き、目の前には床に座り込んでいる金髪碧眼の少女がいた。愛くるしい大きな目に、少女らしい丸い顔の輪郭に対し、長い金の髪は美しく、どこか不釣り合いに見えた。
「え、と、元気か?」
オネスタに警告した手前、無防備に受け入れるのは気が引けたが、かといって純真無垢な少女に冷たく接することも出来ずに中途半端にステラは声をかけた。一瞬ちらとベッドを確認したら、そこには誰もいなかった。二人が助けた女の子で間違いないだろう。
少女はワンテンポ遅れて答えた。
「お腹、減ってる……」
見知らぬ人に話しかけられて困惑しているのか、声は小さく、主張も控えめだった。対して、腹の主張は強く思い出したかのようにぐう、と鳴った。
「とりあえず、飯食うか?」
「うん。あ、はい」
素直に返事をしたので食卓に少女を通す。
とりあえず残っていた料理をそのまま女の子に差し出した。先生が言ったことを守り、今回はパン一切れと、肉の野菜巻き一つだけを与えた。
「なあオネスタ、いくら何でも早すぎないか?」
女の子に聞こえないように二人は少し離れた。
早い、と言うのは女の子が起きるまでの時間の事だ。医者は数日間森の中にいたと診断していたので、こうして起きていることにステラは正直驚いていた。
「もともと体力があるんじゃないかな? 悪い子じゃないみたいだし気にしなくてもいいと思うけど」
よほどお腹が減っていたのか、二つの皿にあった料理は瞬時になくなってしまった。もっと、とせがまれたが「もうない」と言ってステラは断った。
「ちょっとは元気になったかな?」
食事をとったことでさっきよりも活力があるように見える。
オネスタが尋ねると、少女は一度だけ縦に頭を振った。
「じゃあ自己紹介から始めよっか。私はオネスタって言います。こっちの男の子がステラ」
「よろしくな」
名前だけの簡単な自己紹介を聞いて、礼儀正しく女の子は頭を下げてお辞儀をした。
「クリオシタです。よろしくお願いします」
「よろしくね」
クリオシタの目線まで腰を下ろし、手を出して握手を求めるとクリオシタもそれに応じた。
えへへと高い声で笑うクリオシタだが表情からは疲れが見える。その疲れは決して小さな女の子が見せていいものではない不健康な疲れだった。目の下のクマがくっきりと表れ、少しやせ細って見える。
風呂にでも入れて温めてあげるべきだ。
今は毛布をくるくる巻いただけで寒いだろうし早く服も乾かさないと。それともう少し寝かせたほうが良いのかな。とオネスタが考えている時だった。
するりとオネスタの手からクリオシタの手が離れ、とすんとその場に座ってしまった。
「ど、どうしたの?」
実は重大な病気なのかと心配したが、どうやらそうではないらしい。
クリオシタ本人も立ち上がれないことに目を白黒させているがステラは経験則で判断した。
「疲労だろうな。休ませてやれ」
「やっぱりそう簡単に回復はしないか……」
「なあ、一つだけ聞いてもいいか?」
自分の状況もつかめていない少女にステラは聞く。
クリオシタは小さく頷いた。
「クリオシタちゃん、だよな。君のお家はどこかわかる?」
優しく諭すような口調でステラは尋ねた。
少し考えて少女は口を開いた。
「ロンタノって言う村」
「ロンタノ? ここから相当離れた村じゃねえか」
「知ってるの?」
オネスタが質問する。
ステラは仕事であちこちを飛び廻るため、ソプラ国の事ならほとんど知っている。それが遠く離れた場所でも例外ではない。
「東の方にある村だな。何回か行ったことがるけどあそこは何よりも自然が美しい村だった」
「へー。いつか行ってみたいね」
言葉から簡単に景色を想像してみるとそれは中々にオネスタの興味を惹くものだった。
「そういやオネスタは行ったことないか。ああ、ごめんごめん話が逸れたなクリオシタちゃん」
「んーん」
「ごめんな、一つって言ったけど他にも聞きたいことが出来ちゃった。まだ元気はある?」
「ある!」
「よし。じゃあクリオシタちゃん。君が最後に覚えてること、言ってみて」
「私ね、遊んでたら森の中で迷っちゃって。頑張って帰ろうしたんだけどどっちに行けばいいのか分からなくて……。それで気づいたらここにいたの」
「なるほどね。因みに遊んでたのは一人で?」
「フォルも一緒」
「フォル……君かな? とはどこで遊んでたの?」
「フォルとはね、お母さんと三人で旅行に出かけてたの」
お母さんとはクリオシタの母親だろう。
「おおー旅行。楽しいね、いいじゃん。どこの街に行ってたのかな?」
「お母さんはトライストって言ってた気がする」
「あーあそこね。結構遠いとこまで来たんだな君たちは」
心当たりがあるのかステラは直ぐに納得した。
「うん。色々回ってるの!」
あれとあれと、とクリオシタは指を一つずつ数えていく。どうやらソプラ国の様々な街や村を回る大規模な旅行のようだ。オネスタは、幼子二人と大人一人だと危険だと思ったが、今はそれどころではなかった。
この少女を親に会わせることが第一にやるべき事だ。
「トライストってどこにあるの?」
聞くとステラは説明した。
「前に宿に泊まったことがあるだろ。ほら、あの爺さんのやつ」
「覚えてるよ。あそこってそんな名前だったんだ」
忘れているはずがなかった。あの日から、今日までのことをオネスタは全て覚えているが、そういえば村の名前も宿の名前もオネスタは知らなかった。
「で、トライストってのはあそこの村の隣の村だな」
「なんだ、あれじゃないのか」
「ん? そうだけど?」
「ねえね。私帰れるかな?」
質問ばかりされて不安になったのかクリオシタは二人に向かって控えめに聞いた。
小さな子供は不安な気持ちになる必要は無い。安心させるためにオネスタは直ぐに答えた。
「帰れるよー。お姉さんたちに任せといて」
グッと右手の親指を立ててみると、わざとらしいような気がしてオネスタは少し恥ずかしくなった。
「そうだな。任せろ」
そんなオネスタに続き、ステラもグッと親指を立てた。
こうあからさまに被せられると強調されているみたいで余計にオネスタの胸が熱くなる。それを覆い隠すように努めて笑顔でいると、答えるようにクリオシタの顔が明るくなった。
「わかった!」
少女の元気な声を聞くとオネスタはその分元気になる気がする。
よし、とステラが女の子の頭を軽く撫でて、彼らしい優しく温かい微笑みを浮かべた。
「とりあえず。俺はトライストに行ってクリオシタの無事を伝えに行く。オネスタはクリオシタの面倒を見ててやってくれ」
オネスタはもちろん、ステラだって公的な機関には何も所属していない。騎士団に預ければ彼らは組織力を使ってすぐにでも解決するかもしれない。前に多少やられたからと言っても集団としての力まで奪われたわけではない。
それでも二人は「任せて」と言い切ったのだ。二人がそうしたいと思ったからだ。
それは、単なる優しさからこみあげてくる純粋な気持ちであるだろう。だが、それがいつも正しいとは限らない。
「了解です!」
右手を上げて中途半端な敬礼をオネスタは送る。
「明日出発するよ」
早いに越したことはないが、雨音を聞いてオネスタは納得する。
「今日は雨だしね。じゃあ今日は三人で遊ぼっか?」
「うん!」
「本当は寝てた方がいいんだけどな……。まあいっか」
本人がいいならいいだろうと、ステラは気にしないことにした。
それから三人は、ついさっきまで衰弱で寝込んでいたとは思えないほどの体力を見せつけたクリオシタが疲れて寝付くまで触れ合いを楽しむばかりだった。