第二十二話 動き出した危機
騎士団長の事件から三か月。
あれから何も起こることなく、事件が起きたこと自体が嘘だったかのように何事もなく暮らしていた。
結局、事件の犯人につながるものは何も発見できなかった。犯人の追跡ばかりしていては通常の業務にも影響が出る可能性もあるため一か月もすれば捜査は打ち切りとなった。
一時はカントネ村の端々にまで騎士団長が死んだことが広まり大騒動となったがそれもやがてゆるゆると収まっていった。
「準備オッケーだよ」
村の外れの森でオネスタはジュスティスを見据える。
「ほんじゃ見せてみろ。煙」
この日、オネスタは訓練の成果を確認する、言わばテストを受けていた。
内容としては、ジュスティスの言われたとおりに能力が使えるかということだ。単純作業の反復練習で最近になってようやく能力の使用に慣れが出てきた。そこで一度テストしてみようと言う事になった。
オネスタは煙のイメージを頭に浮かべなんとか生み出そうと気張った。暫く歯を食いしばってみたが一向に煙が出る気配はない。
名前も知らない鳥の鳴き声だけがオネスタの耳に入る。
「なんかあれだな」
小さなジュスティスが呟き、オネスタは一度力を抜いた。
「うんこ我慢してるみたいだな」
「頑張ってる人にそういうこと言います?」
「悪い悪い。続けてくれ」
悪びれもなくジュスティスは謝る。
「そんなこと言われた後じゃやりたくないです」
教えてもらっている身ではあるが、うんこを我慢している顔を見せたいとオネスタは思わない。テストとジュスティスは言ったが向こうから気の削がれるようなことを言われてはやる気もなくなる。
「なるほどな。確かに俺はオネスタの気分を害するようなことを言ったが、もしもそんな状況に陥った時、時間は待っちゃくれねえぞ」
「それはそうですけど……」
渋るオネスタを見てジュスティスは静かに息を吐く。
「わかった。ならテストはやめだ。見た限りじゃ成長は見られなかったしな」
近くの切り株にジュスティスが腰を下ろし、オネスタもそれに並んだ。
見抜かれていた。実を言えば、オネスタは自身の能力にあまり成長を見いだせていなかった。朝方にテストと言われたときは緊張していたがよくよく考えてみれば彼女は意味がないことに気づいた。
それを言わなかったのは果たして優しさなのかはたまたそれ以外の何かなのか。
「じゃあ今日はどうするんですか?」
「俺の飯でも作っていってくれ。若い女の子に作ってもらう飯なんざいつぶりだこれ」
ジュスティスは上機嫌に言ったが残念なことにオネスタはまだ料理という技を習得していない。
「ジュスティスさん、私料理できないんですけど」
「そんなこと言ってたな……なら作り置きがあるからそれ温めるだけでいいや」
そう言うとジュスティスは立ち上がり、村の方に歩き始めた。
「そんなのでいいんですか」
ぽつりと呟き、オネスタはジュスティスの後を追った。
世間話でもしようと隣に駆け寄ろうとした時だった。感じたことのない視線がオネスタの首筋を撫でた。未知の視線とはいえ、敵意が含まれていることは明確だった。
後ろを振り返り視線の主を探す。木々の間、茂みの中、大木の頂上、出来る限りくまなく探したが怪しい人影は見つけられなかった。
「どうかしたか?」
ジュスティスが気配に気づいた様子はない。ジュスティスは今こそ何の能力も持っていないが、かってはそこそこ有名なほどの実力者だったとオネスタは聞いている。仕事の内容や過去の功績などは教えてもらってはいないが、培った経験は決して浅いものではないはずだ。その彼が気づいていないとなると、視線の主は相当な実力があるのだろう。いや、そもそも人間だと断定することすら間違っているのかもしれない。
「いえ、今行きます」
オネスタはもう一度振り返り、今度こそジュスティスの隣に位置づいた。
オネスタは気のせいだと思うことにした。理由はいくつかある。一つ目はカントネ村にそう何度も事件が起きることはないと、ステラに説明されたこと。二つ目は気配と言う曖昧なものを感じ取れるとは思っていないということ。三つめは、無意識のうちにオネスタが外敵の可能性を頭から外してしまったから。
それら全ての理由を「何となく」と抑え込み、オネスタは森の中を後にした。
◆ ◆ ◆
二人から遠く離れた古ぼけた石造りの教会がある。
かつて人が住んでいた村の中にあるその建物は好き勝手に植物が生え散らかり、一目見ただけで教会と判別できる者は少ない。入り口は数ヶ所あり、その中は明かりこそ点いていないがステンドグラスから差し込む光で明るさは保たれている。世間から隔離された教会は生き物の存在を感じさせないほどの静寂に沈められていた。
「いいねえ」
数人の人間が沈黙を続ける中、深くフードを被った、司祭の格好をした少年の言葉が教会内を反響する。少年の名はシュタイン。彼は口角を吊り上げ、仲間の一人に視線を向ける。その先にいた女はシュタインの表情から状況を察する。
彼らは驚くべき方法でオネスタを監視していた。正確に、見ていたのはシュタイン一人だ。
彼は自分の目が届く範囲で、そこに土または土で出来たものがあればそれを意のままに操ることができる。また、合成した土はモデルとなった物の特性をある程度持つことができる。大砲や街灯と言った構造の複雑なものはただの置物と化すが、例えば、弓と矢を形作れば実際に発射でき、目の形に合成すれば彼の視覚と共有することができる。今のように。
「仕上がりは上々ってことだね」
まるで、自分が植えた種が立派な果物に成長したかのようにその女、バーギアは満足げに頷く。
「まあね」
少年が答えると、バーギアは不満顔に変わる。
「まあねって、誰が余計なことしたんだろうねえ」
「ちょっと楽しんだだけだよ」
「警戒心を解いて平和に溺れた所を叩き落とすのが楽しみだって言ってたのはあんただろうに」
「それはごめんなさい。でも騎士団長弱かったよ? あれならステラも大したことないんじゃないかな?」
少年は軽々と述べる。
「バレてなきゃいいんだけどね」
バーギアはそう言って席を立った。
「どこ行くの?」
「飯だよ。腹が減った」
当たり前のことを聞かれバーギアは不満を呈する。これは怒っているなとシュタインは感じ取り、口を噤んだ。口元を両手で塞ぎ、バーギアが去ったところでやれやれと両手を振った。
「この辺りに料理店なんてあったっけ?」
シュタインはその場にいた仲間の一人に視線を移す。教会を見つけたのはバーギアで彼らは皆、彼女に案内されただけだ。この辺りの地理に詳しい者などそもそもこの場にはいなかった。
「さあねえ。隠れた名店でもあったりして」
視線を向けられた男が口を開く。
「適当だなあ」
あまりに思考の浅い発言にシュタインは辟易とする。
言われた男はたいして気にも留めずけらけらと笑っている。彼だけでなく、他にいた連中も釣られて笑いだした。「くっだらねー」「そいや今日の飯ってどうするんだっけ?」「つか俺最後にここに来たんだけどなんで今日こんな無言だったんだ?」「知らねーよノリだよノリ」。
数秒前とは打って変わり、今度は口々に話始めた。
前述したとおり、この辺りの地形に詳しいものはバーギアしかいない。教会にいれば、腹を満たすことも、腹を満たす場所に行くことも出来ない。見かねたシュタインが口を開く。
「はいはいみんな。バーギアさん行っちゃったから追いかけないと飯抜きだよ。早く行きましょうー」
シュタインが扇動するとシュタインの仲間達は「それもそうだな」と教会を後にした。入り口の人影が完全に消えたのを見てシュタインはまた一つ息を吐く。
気配を感じ、シュタインが目を入り口に戻すと男が一人戻ってきていた。彼はシュタインの仲間の一人、名をテルトと言う。
「トップの二人は律義に一年待ってやるつもりなのか?」
テルトは一つ不満を持っていた。ある日突然帰って来たかと思えばシュタインとバーギアは「一年後実行する」と仲間に言い伝えた。勝手に決められることに不満はない。だが、待つと言った期間を破り、騎士団長を殺害し、自分ひとりだけが楽しい思いをしたことが腹立たしかった。
「やめてよトップなんてさ。僕が一番年下なんだから」
「年齢なんて関係ないだろ。強い奴が発言権を持つ。それが俺たちの決まりだからな……。まあそんなことどうでもいい」
組織に名前はない。
歴然とした上下関係はないが、組織である以上何らかの命令系統がなければあっという間に混乱する。シュタインの力は他の仲間を大きく凌駕している。そのため、意志の統括者として実力が拮抗したシュタインとバーギアの二人に任されている。
彼自身が言ったように彼は仲間内では年が一番下だ。それでも、彼らの中に不満を持つ者はいない。
「今更誰が上かとか興味ねえけどよ。自分だけ楽しい思いすんのはずるくね?」
「やっぱそう思う?」
むーと悩む仕草をシュタインがとる。
「俺はな。てなわけでもう行かせてもらう。止めても聞かねえから」
そう言ってテルトは一口から背を向けた。
「え、ちょっと待ってそれは困る。僕がバーギアさんに怒られる――っていないし」
トップとは言えども彼らの立場はみな平等だ。従うかどうかは自由意志。何をするか明確な目的もない。漠然とした指針としてあるのは二つ。実力主義と娯楽主義。楽しければそれでいい。最初に設定したプランよりも楽しそうなことが出来ればすぐにそっちに移る。
今回のテルトのような行動は多々起こる。時には、彼に限らず他の仲間も突発的に動く。シュタインが騎士団長を殺害したのもその気まぐれだ。バーギアは多少癪に障ったようだが、特段怒っているわけでもない。他の者は言うまでもない。
であれば、今のテルトを誰が責められるだろうか。
「……と、言うわけらしい」
散り散りになったメンバーはいつの間にか集合していた。それもさっきよりも人数が増えている。子供を除く男、女、老人様々な人間が楽し気な笑みを浮かべている。まるで新しいおもちゃを見つけた子供のように。
「じゃ、テルトを追おうか。そこのおばちゃん。バーギアさんに伝えて」
「はいよ。まだ三十なんだけどね」
かくして、彼らは自分たちで決めた一年を待たずに本格的に動き出した。