第十九話 広場での論争
軽くドアを叩いたがドアは開かず返事もなかった。もう一度ドアを叩き「オネスタでーす!」と近所迷惑にならない程度に大声を出した。
誰か気づいてくれたらしく、家の奥の方から床を踏む音が聞こえた。
「オネスタさん!」
ドアが開く音をオネスタが認知したのと同時に、お腹の辺りに小さな衝撃が走る。バランスを崩しかけるが、抱きついてきた人影が倒れることを想像しなんとか堪えた。
「いきなり危ないでしょー、フラン」
出会い頭に突進してきた人物はソルレアではなくフランテロだった。彼は妹がいると体裁を気にして真面目に努めているが、二人きりだとこうしてよく甘えてしまう。恥ずかしがりなのだ。
「すみません……ところで今日はどう言った用事ですか?」
パッと離れると、フランテロは首を傾げた。
「そうそう。これ見つかったから届けようと思ってね」
ポケットに入っていた石を見せると「ええっ!」と声が上がった。フランテロはまじまじと石を見回して、一体どうやってとでも言いたげだ。
「ステラが見つけてくれたんだって。帰り道にたまたま」
「それはありがとうございます」
礼儀正しくフランテロが頭を下げる。
「ソルを呼んできますね」
「え? ちょっと―――」
そう言うとオネスタの制止を聞く間もなく家の奥に戻っていった。まあいいか、と待つこと数秒。オネスタが思うよりも早くに二人がやって来た。
「おねすた―」
起きたばかりなのか寝間着姿のソルレアがオネスタの腰に目掛けて突進した。突進兄妹の小さい方は体が比較的小さく、来ると分かっていたおかげで構えることも出来たので、さっきのようにバランスを崩すこともなかった。
ぐりぐり頭を押し付けてくる子供を見ていることも楽しかったが、いつまでも続きそうだと思い頭を軽く叩いて、離れるようにオネスタは促した。
後ろに着いてきたフランテロも「離れなってソル!」と懸命に引っ張っているが一向に離れる気配がない。
「苦しいよーソルー」
明らかに棒読みだったが、呻き声のようなものをオネスタが上げるとソルレアはもの凄い速さでオネスタから離れて行った。あまりの速度に若干オネスタは悲しくなった。
「ごめんなさい」
小さな唇から紡がれた言葉は謝罪だった。悪いことをした後に叱られた子供みたいだった。離れてもらうためとは言え、好きで自分に抱き着いてくれたソルレアにこんな表情をさせてしまったことをオネスタは恥じた。
「ごめんね、嘘だよソル。苦しくなんてない。ほらソルの石持ってきたから元気出して」
目線を合わせるためしゃがんでから掌を広げる。その中を見たソルレアの表情が花が咲いたように明るくなった。
「ありがとーおねすた!」
よっぽど嬉しいのかソルレアはぴょんぴょん跳ね回り、そのまま家の中に戻っていった。母親に喜びを伝えに行ったようだ。「お母さーん!」と言う声をオネスタは聞けて満足した。
「すみません騒がしい子で」
「いいよー。可愛いくて私は嬉しいから」
ソルレアの喜んだ顔を思い返し、自然とオネスタの頬が綻んだ。急に破顔したオネスタにフランテロが一瞬、全身を強張らせたがオネスタがそのことに気づくことはない。
「あ、あの。オネスタさん……」
フランテロは恐る恐ると言った様子でオネスタに声をかけるが、彼の声は元より他の人に比べ小さめだ。想像に浸っている今のオネスタにそんな彼の声が届くはずはなかった。
「オネスタさん!」
「はい! すみませんでした!」
珍しく大声を上げたところでようやくオネスタが迅速に反応する。声を荒げたもののフランテロは怒っているつもりはない。まるで悪さをした子供のような振る舞いをするオネスタを見てフランテロは誤解を解こうとした。
「怒ってるわけじゃないですよ? 何と言うか、返事をしてくれなかったので……」
「わかってるよ?」
いったい何がどうしてフランテロが困っているのかオネスタには理解出来なかった。
「え? あ、そうですか」
「うん?」
「なんかすみません」
「よくわからないけどいいよ?」
「はい」
妙な空気が、二人の間を漂う。どこか噛み合わない会話を続けた二人は変な気まずさを感じ、何となくオネスタは「じゃあ行くね」と、その場を離れることにした。中が悪いと言うわけではないのに、むしろ中は非常に良好だと言えるのに何だったのだろうか。そんな疑問がオネスタの頭の中に残ったが、すぐにまあいいかと思考を切り替える。
ステラはすでにジュスティスの家に向かっているだろう。オネスタの次の予定は彼らとの会議だ。尤も、反省会自体はジュスティスは参加しないだろう。彼の仕事は二人の反省を聞き、次の訓練を考えることだ。
朝に通った広場に足を踏み入れると、朝飯時が過ぎたからかぽつぽつと人が現れていた。その多くが小さな子供で何人かその保護者が見守っている、という構図だ。絵に書いたような平和な光景の額縁ギリギリに、およそ場違いな人達がいる。
言い争っていた。大体十人ほど。その全員が黒い服装を着ている。その中にはカヴァールもいた。オネスタが広場に入ったことに気づいた様子はない。
「―――聞いてないぞ! いくら本部の方と言えど上の許可無しに勝手に村を回られては困る!」
そう叫んだのは集団の真ん中に立つカヴァール。ああ見えて彼は生来の性格の柔らかさと高い戦闘能力から、騎士団や村の住民から確かな信頼を勝ち得ていた。彼は村の騎士団の中ではそれなりに強い発言力を持っている。
彼の大声を聞いて動揺する子供達を大人が宥めようとしている。
オネスタは、さっきのカヴァールとは違った顔をしているカヴァールに興味を惹かれはしたが、激昂している彼を見て、近づくのはやめておこうと判断した。
が、
「伝わってるはずだ。オネスタという人物はいないか探しに来た。この街の騎士団長に会わせろ」
前触れもなく、突然に自分の名前が会話に出た。その事がオネスタの足を止めた。
ソプラ国の騎士団が自分を追う理由が思いつかない。ステラの住むこの村に不法侵入した、ということであればその村の騎士団が捕縛に動く。わざわざ本隊が出てくる必要は無い。本隊が動く時は、それは犯罪を犯した時だけだろう。もちろん、オネスタは悪事を働いたことはないし、加担した覚えもない。
その自分の名前が、騎士団同士の会話に上がるなんて、オネスタには信じられなかった。
物陰に隠れて、オネスタは聞き耳を立てる。
「き、騎士団長はご不在だ。一週間ほど前から病を患っていらっしゃる」
おそらく、カヴァールの脳裏ではオネスタのことが浮かんでいる。傍から見れば、彼が言葉に詰まったのはオネスタが会話に上がったことによるものではなく、相対している男に臆したから、と取れるだろう。
「病気だと? 支部とは言え団長を務める男がなんたる体たらくだ」
あからさまに落胆する男に村の騎士達は不快感を露わにする。
「そういう訳で、今回はお帰り頂きたい。また来ていただく際は令状でも持ってきてください」
カヴァールは冷静に努めるが、言葉の端々には怒りの情が見える。
「我々は任務でここまで来ている。任務を達成せず、手ぶらで本部まで帰れと言うのか?」
「そう言ってるつもりです」
「ふざけるな」
強気なカヴァールに、本部の団員は一歩も引かない。大義はこちらにある、と言いたげだ。
「一介の騎士に一体なんの権限があって我々に楯突いている。いいから散れ。貴様らのために使う時間があるほどこちらも暇ではないんだ」
「だからと言って、ここから先を通すわけにはいかない」
「ここから先って、ど真ん中まで入らせているじゃないか」
ぷくく、と本部の団員は堪えきれなかった笑いを口の端から零す。他の数人の団員もちらほら口角が曲がっている。
「それはあんたらが勝手に入ってきたからだろうが!」
「そんな適当な監視体制で、もしもの時市民を守れるか心配だな」
語調を荒らげるカヴァールに団員の男は至極冷静に対応する。的確な指摘にカヴァールは言葉に詰まる。
一方で隠れているオネスタは両腕を組みながら「なるほど」と呟く。
「なるほど、大体分かってきた」
言葉にすることで自分がちゃんと理解していることを再確認。
つまりは、「オネスタを探す」と命令を受けた騎士団員がこの村まで来たが、何かの手違いで村の騎士達にその事が伝わっていなかった。その事を知らない本部の騎士団員達は許可が降りていると思いこの村に入ったということらしい。
「オネスタを探す」意味はオネスタに分かることではないが、解決策は思いつく。
情報が伝わっていないのであれば、上に確認すればいい。簡単な話だ。そんな簡単なことを今のヒートアップしている彼等が捻出できるとはオネスタには考えづらかった。
自分が直接伝える、ということも頭に浮かんだ。
しかし聞く限り、話の中心はオネスタにあるようだ。それも追われるという形で。そんな中にオネスタが割って入ることは、まさに爆弾そのもの。一波乱起こることは間違いない。
ちらっと顔を出して様子を伺ってみると、やはり言い争いは続いている。形だけの敬語も失われて、「いいからとっとと帰れ」、「貴様がそこをどけ」とむしろさっきよりも白熱している。このままではいつ実力行使に移ってもおかしくない。時間は多くない。
「……」
オネスタは数秒思案すると、力強く足を踏み出した。