第九話 信用
突然鳴った扉を叩く音を聞いて主人は流しに皿を運ぶのを一旦止めた。誰が来たんだと困惑している。朝早くの来客は珍しいのだろう。
オネスタとステラも興味はあるようだがじろじろ見てせっかくの客を逃がしてしまっては悪いと思い、さっさと部屋に行くことにした。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
二人が部屋に戻ったことを確認すると、主人は扉を開けた。その来客は扉が開く直前まで叩き続けていた。
「失礼する」
そこにいたのは礼装を着た若い女だった。年は二十台半ばほどだろう。
客にしてはえらく改まった言葉遣いに主人は戸惑った。そんな主人の態度の意味が分からなかったのか女は首を傾げた。
二人の人間が沈黙すると言うかなり気まずい時間が生まれた。何も言わない女を前に主人はいっそ恐怖まで感じている。
「ああ、すまない」
先に沈黙を破ったのは女で胸元辺りのポケットを弄り始めた。主人が警戒すると女は何かを取り出した。
「私はこの街の治安維持部隊だ。私を知らない者がいたとはな。驚きだ」
取り出したのは掌に収まるほどのバッジ。それはソプラ国の騎士団に所属していることを証明するバッジだ。
この街のようなチェントルと騎士団支部との間にある街には騎士がそんなにいない。大きな街で二十人ぐらいだろう。この街なら五人程度といったところだ。
「騎士団の方でしたか。どういった御用ですか?」
「ああ。聞きたいことがある――」
一方、二階の部屋にいたオネスタはベッドに寝転がってうとうとしていた。お腹が膨れて眠くなったからだ。
オネスタは安心しきっているがステラはそうではなかった。特に有名な施設や自然の景色があるわけではないこの街の宿に朝から来客が来るはずがない。その事を主人の困惑した様子からステラは察していた。
(大丈夫だとは思うけど一応……)
だからステラは能力を使用して聴力を何倍にも上げ、主人と騎士団の女の会話に聞き耳を立てていた。
「聞きたいことがある」
聞きたいこと、それが女にとっての本題だ。ステラの警戒心が高まる。
「ここにオネスタという女は来たか?」
オネスタの名前が女の口から出ると、ステラの掌から汗が染み出た。
(なんでオネスタの名前が出てくるんだ。金持ちの娘だからか?)
ステラは何も考えずにオネスタを連れ帰ることにした。もちろんオネスタの同意を得てだ。
しかし、それは他人から見ればどう映るだろうか。屋敷ごと焼け死んだ家族の唯一の生き残りの娘が失踪してしまった。誰かがステラの存在を認知していたとしても、誰にも言わずに連れ出した事を誰が好意的に解釈してくれるだろうか。
ソプラ国では死んだ人間の財産は最も近しい人間にすべての財産が譲渡される。他人から見れば財産目当ての賊が悪巧みしてると考えるのが妥当だろう。騎士団が動くには十分すぎる。
(俺、やらかしたかなあ)
ステラは眠そうなオネスタを横目に一人項垂れる。
「オネスタ、オネスタ。はて、どうじゃったかのう。ステラさんならいるんじゃが……」
そういえば主人がオネスタの名前を読んだことは無かったな、とステラは思う。
主人は恍けているのではなく、ただ覚えていないだけだ。
「そうか。一応宿泊客に話を聞いても構わんか?」
女に食い下がる気は無い。
「少し待っておれ」
そう言って主人は扉を閉めることなく、二人のいる部屋に向かった。
(騎士団だって言うなら、素直に全部話して理解してもらった方がいいよな)
ステラの頭にはもう一つ、とっととこの宿から逃げて自分の家まで全速力で帰るという選択肢があった。だがそれは女が騎士団を名乗り、証拠まで提示した時点で消えた選択肢だ。
態々騎士団に歯向かってブラックリストに乗らなければならない理由はステラにはない。
部屋のドアを軽く叩く音がする。ドアを開けないのは主人の気遣いだろう。
「ステラさん、騎士団の方が話があると言っていますがお通ししてよろしいですか?」
「はい、お願いします」
主人が階段を降りる音を確認するとステラはいつの間にか眠っているオネスタがいるベッドに近づいた。
ステラだけが必死に説明しても騎士団の女は納得するはずがない。安らかな寝顔を見るとステラは申し訳なくなったが起こすことにした。
「オネスタ、起きろ」
反応がない。今度は肩を掴みゆっくり揺らした。
「起きろー」
まだ反応がない。まさか叩き起すわけにもいかない。もう一度揺らしてみるも起きる気配なはい。
不思議に思ったステラの頭に嫌な想像が過った。
「まさか、あの爺さんには薬でも盛られたのかオネスタァァァ!」
ギャー! と頭を抱えて悲鳴を上げるとオネスタがもぞもぞと起き上がった。
「うるさいです」
目を擦りながらオネスタは言った。珍しく悪態をついた。オネスタの寝起きの機嫌は良くない。それも寝てるところを起こされる時は一段とだ。屋敷にいた時は満足するまで寝られることは無かったからだ。
「いや、なんでもない」
ふう、とステラは息を吐いた。良くしてくれている主人を疑うなんて、冗談とは言え良くないとステラは反省した。
「どうかしたんですか?」
「騎士団の人が用事があるみたいだからオネスタもいてくれ。というかオネスタがメインなんだけど」
自分に用事と聞いてオネスタはいい顔をしなかった。オネスタの繋がりはステラを除けば、富豪一家との関係しかない。心残りが無い事は無いがあまり思い出したいものでもない。
しかし、厄介事を後に回してステラに迷惑でもかけるとなるとそれは我慢出来ない。だからオネスタは受け入れる。
「居ればいいんですね?」
「そういうこと」
そして、再び部屋のドアを叩く音が鳴った。
二人の間に緊張の糸が貼り巡る。
「どうぞ」
応えたのはやはりステラだった。失礼する、と声がしてドアはゆっくりと開いた。
入ってきたのは女一人で主人の姿はなかった。
声だけを聞いていたステラはもちろん、オネスタにとっても初めて会う女だった。だがオネスタもステラもどうしてか警戒心を緩めることは出来なかった。
「君がステラ君か。私はこの町の騎士団支部の支部長のバーギアだ。とは言っても五人しかいないのだから大した権限もないがな」
バーギアと名乗った女はステラに右手を向けた。女は柔和な笑みを浮かべていた。だが本心はステラにもオネスタにも分からなかった。
差し出された右手に応じるべきかステラは迷った。一つ、解せないことがある。それはこの対応の早さだ。ステラがオネスタを連れてからまだ二日目だ。失踪したオネスタを探すのはまだわかる。だが離れたこの町にまで捜索範囲を広げる理由はなんだ。
財産の相続権か。あの一家に別の大きなつながりがあるのか。はたまた、騎士団と言うのは嘘っぱちでこの女は別の追手なのか。可能性を上げればきりがない。
あれこれ考えた末、穏便に越したことはないと思い、ステラはその右手を握った。
「ステラです。よろしくお願いします」
手を離すとバーギアの視線はオネスタに行った。明らかに敵意を持った目をしているオネスタを怪訝な様子で見ていた。
「そちらの少女は?」
「紹介します。この娘がオネスタです」
「なんだと? それでは――」
「私が説明します」
女の態度が急変した。誤解を生むことは二人にとって避けたいことだ。女が本当に騎士団に所属しているのなら。
女には椅子に座ってもらい二人はステラのベッドに腰掛けた。それからオネスタは説明した。富豪一家との関係。あの夜に起こったこと。ステラは信用できる人物であること。これからどうしたいか。能力のことも全て話した。
◆ ◆ ◆
「――なので私はこの人のお世話になろうと思ってます」
三十分かけて全て話し終わった。時々、ステラが補足を加えたり、女の質問に答えたりなどもした。
最後のオネスタの言葉を聞いて、しかし女はすぐには口を開かなかった。何か思うところがあるのか。単に話を整理しているのか。
数十秒経つと女はようやく口を開いた。
「なるほど。理解した。だが財産はどうする? 貴様のいた街でないとどうしようもできんぞ」
「いりません。全部お任せします」
オネスタは即答した。それは紛れもない本心だった。生きてきた中でほとんど物を買ったことのないオネスタは金に執着がない。たくさんの金があっても意味がないとオネスタは本気で思っている。
「わかった。善処しよう。最後に一つだけ聞いてもいいか?」
「いいですよ」
「すまない。ステラ君にだ」
「え、俺?」
突然指名されステラは戸惑う。その様子がおかしくてオネスタは心の中で笑った。
「君の能力は同時に何人ぐらい相手が出来そうなんだ?」
「そんなこと?」
「単なる興味だ。答えたくなければ答えなくてもいい」
「かまいませんけど。そうだなあ。そんなの試したことないけど……百人ぐらいならいけるんじゃないですかね」
百人、その単語をステラが口にすると女が僅かに顔を歪ませたようにオネスタは見えた。
「そうかわかった。私は本部に報告に行く」
そう言って女は席を立った。
「ああそうだ」
オネスタの緊張の糸が緩んだ瞬間、ドアの前で女が振り返る。
驚きのあまり、まるでボールのようにオネスタの肩が跳ねた。
「何かあった時のために君の住んでいるところを教えてくれないか?」
駄目だ、と本能でオネスタは感じた。
大体、騎士団なら住んでるところぐらい記録書を読めばわかるしわざわざ本人に尋ねる必要もないはずだ。その方が手っ取り早いと言われればそこまでだが、この女には教えないほうがいいとオネスタは感じていた。
「いいですよ」
だがステラの警戒心はとっくに解かれていた。
「北の方にあるカントネという町です」
「協力感謝する」
頭を下げて女はドアから去って行った。
階段を下りる音がリズムを刻み、最後に宿の扉の開閉音が鳴った。
結局、オネスタは黙って聞いていた。ただの杞憂かもしれない、もし本当に女が優しい騎士でいらぬ疑いだとしたらどうしよう、という考えが頭から離れなかったからだ。
オネスタが自信を持って自分の意見を言わなかったのは、他人を信頼する心が形成されていなかったからだ。
◆ ◆ ◆
「小敵とみて侮る勿れ」という諺がある。どんな敵でも軽んじてはいけない、と言う意味だ。もちろんソプラ国の人間は誰一人この諺を知っている者はいないが、結果として彼女――バーギアはその諺に適した判断をしていた。
「あー息苦しい」
そう呟いた下着姿の彼女の足元にはいっそ気持ちのいいほどにびりびりに破かれた礼服が散らばっていた。
彼女はオネスタ達がいた宿から去った後、街のはずれにある、木が散在する草原に向かった。そこには目的とするようなものはなくましてや騎士団の駐屯基地があるわけでもない。
そこにいたのは、仰々しい司祭の格好をして、何かに座っている少年だった。その少年は他人から顔を見られるのを避けているためか深くフードを被っている。
「つーかなんなのこいつら」
バーギアが目をやった先には転がっている四つの塊。その中に生物と呼べるものはない。フードの少年はその内の一つに腰掛けていた。
「さあね。友の仇だ! とか言ってたけど」
少年はくすくすと笑った。まるで、自分が殺した四人の騎士など覚えていないかのように。
「仇? ああ、これか」
足元の礼服のポケットの中を探り騎士団のバッジを取り出した。しかし必要がないのかすぐに適当な方向へ投げ捨てた。そのバッジは黒く変色した血で僅かに汚れていた。
「他の奴らは?」
他の奴らとは、騎士団の他の仲間やこの街の住民のことを指しているのではない。彼等にも仲間がいる。騎士団が確認しているだけでも五十人はいるが予想ではその倍は超えると思われている。
「お留守番。仲良くご飯でも食べてるんじゃないかな」
「あっそ」
それだけ聞くとバーギアの関心は他に移る。無事だとわかれば気にする必要なないからだ。
「いつにする?」
本題に移った。バーギアはこの時にはすでに少年に宿での会話の内容を教えていた。
「そうだな。百人相手でも余裕らしいから一年ぐらいでいいんじゃない。そのくらいには警戒心も全くないでしょう?」
彼等の目的はオネスタただ一人。彼女の持つ富豪一家の遺産を手にすることだ。その為にはまずは障害となるステラの排除が必要になる。
「わかった。そうしよう。バーギアの言うことはいつも正しいから」
少年は一切の反論を出さずにバーギアの言うことを聞き入れた。
「じゃ。帰ろうか、シュタイン」
獰猛な笑みを口の端に浮かべ、バーギアは歩き出した。シュタインと呼ばれた少年は慌ててバーギアの隣まで走り出した。
隣に立つ直前にシュタインは急に立ち止まった。
「忘れてた」
後ろを振り返り騎士の屍が転がっている辺りを見渡す。そして右手の人差し指を軽く捻った。それを合図に地面が騎士とバーギアの破り捨てた服を囲うように蠢いた。ミキサーように掻き回し数秒経つとそれは収まり、何の変哲もない地面に戻る。
そこにはあったはずの物体が何一つとして残っていなかった。